34 往訪
ルーチェには、王都を離れる前にもう一つしなければいけないことがあった。
それは、ヴァレリオの家、アガッツィ家に挨拶に行くこと。
いつ呼ばれてもおかしくないと思っていたのに、なかなかヴァレリオから声はかからず、ようやく
「週末に、うちに来てもらいたいんだが…都合はどうだ?」
と言われたのは、王都を離れる二週間前だった。
それよりずっと前から、そろそろ呼ばれるんじゃない? と、繕い魔法の相談に来た面々からプレッシャーをかけられ、最近は裁縫を教えるよりもルーチェが作法を教わる側になっていた。
モンテヴェルディから戻った後、家から服や靴、装飾品など、訪問にふさわしい装いが送られてきた。この日を想定していたのだろう。父や兄には感謝しかない。
当日の朝、同じ宿舎に住む第二魔法騎士団のライラが髪を整え、着替えを手伝ってくれた。
「頑張ってきてね」
結んでくれたリボンには、繕い魔法の刺繍が入っていた。刺繍のレクチャーを受けた面々が、ワンポイントづつ刺繍を入れてくれていた。
落ち着いて、がんばって、和やかに、気後れしないで、大丈夫、…
柔らかで、確かな魔法がルーチェを励ましてくれた。
第二魔法騎士団の本部の手前に迎えの馬車が来ていて、ルーチェは使いの者に招かれるまま馬車に乗り込んだ。
王都のアガッツィ侯爵の屋敷は、モンテヴェルディの実家さえも小さく思えるほどの大邸宅だった。
この王都の中にあって広い庭を持ち、門から玄関までが遠く感じられた。
しかし、ついこの前実家に帰った時の緊張感に比べれば、ずいぶん冷静だと自分でも思えた。
思えていたのに…。
馬車から降りて、地面に足をつけると、見上げた屋根にゴクリとつばを飲み込んだ。
案内されるまま玄関に向かうと、執事が控えていた。
「お待ちしておりました。こちらへ」
老齢の執事は、目に鋭さを秘めながらも、ほんのりと笑顔を浮かべていた。
後ろについて行くと、客間に通され、ここで待つよう言われた。
しばらく待っていると、ヴァレリオが現れた。
「迎えに行けなくてすまなかった」
普段見かけない、少し長めの外套をまとい、襟にクラバットを捲いた姿は新鮮だったが、少し窮屈なのか、時々襟元を引っ張っていた。
「緊張してるか?」
「大丈夫。実家に帰った時ほど緊張してないから」
「…みたいだな」
茶化して皮肉っぽく笑うところは、いつも通りだった。
ヴァレリオに連れられて向かったサロンには、立ったまま待ち受けている男性と、ゆったりと椅子に座っている女性がいた。
「お時間をいただき、ありがとうございます。共にモンテヴェルディに行くことになったルーチェを連れてきました」
ヴァレリオから紹介され、ルーチェは片膝が床につきそうなほどの深い礼をした。
相手側の紹介はなかったが、これがヴァレリオの父母なのだろう。
ヴァレリオの父エドガルドは威圧感があり、厳しそうな人に見えた。少し不機嫌な時のヴァレリオに似ている。
エドガルドはルーチェにはちらりと視線を向けただけで、
「…いつ出発する」
とヴァレリオに問い、ヴァレリオが
「二週間後です」
と答えると、
「そうか…」
とつぶやき、目を伏せた。
長い間をおいて、
「…好きにするがいい」
とだけ言うと、ヴァレリオをじっと見た。
「では、失礼します」
ルーチェが一言も話さないうちにあっけなく会釈して立ち去ろうとしたヴァレリオに続き、ルーチェも礼をした。
顔を上げたルーチェと目が合うと、ヴァレリオの父は眉間にしわを寄せた。
「結局、モンテヴェルディか。…つまらん」
それを聞いたルーチェは、覚悟を決めた。
やっぱり、言おう。
視線を自分の足下に向け、再度礼をすると、
「失礼ながら。……、…ち…父より、閣下に言付けがございます」
と、切り出した。
ヴァレリオも、エドガルドも、これで往訪は終わったと思っていたところに、いきなりルーチェが口を開いたので、驚いたようだった。自然とその場にいた者の視線がルーチェのもとに集まった。
「聞こう」
許しを得て、ルーチェは姿勢を正した。スカートの裾を広げていた手を離し、両手を前でそろえて強く握りしめると、ゆっくりと息を継ぎ、早口にならないよう気をつけながら、父が服と一緒に送ってきた手紙を思い出した。
「かくも優秀なご子息を、…我が領地に、お迎えできますこと、っ、大変、光栄に存じます。は…、華やかな王都から辺境地へと、手放されますことは、ご心配なことと存じますが、アガッツィ閣下のご厚情に、感謝いたします。…と、父…、リヴェラトーレ・コレッティが申しておりました」
父からの手紙には、もし話す気になれば、と言う前提で、領主としてヴァレリオを歓迎することをヴァレリオの父に伝えてほしい、と書かれていた。それを口にすれば、ルーチェは自分が辺境伯の娘であることを伝えることになる。
恐らくルーチェの父は、アガッツィ家ではヴァレリオのモンテヴェルディ行きが歓迎されていないことを知っていたのだろう。
侯爵ほどの者が、ルーチェがコレッティ家の人間であることくらい、調べがついていない訳がない。しかし、ルーチェと名乗る人間に、庶民を語る一騎士ごときに息子を辺境の地に連れ去られることは、ヴァレリオの父には納得いかないに違いない。
そう思ったルーチェは、さらに勇気を振り絞り、今度は自分の言葉を続けた。
「…モンテヴェルディに、共に戻らせていただけますこと、私、ルーチェリア・コレッティ、心より感謝いたします。…お、王都では庶民として騎士団で勤めておりましたため、ルーチェと名乗っておりますことを、何とぞご容赦ください」
ルーチェは少しぎこちないながらも口許に笑みを浮かべた。
エドガルドは、言い終わってもなおルーチェの手が少し震えているのを見て、口許を緩めた。
まあ、及第点には及ばないまでも、努力賞くらいは与えても良いかもしれない。
エドガルドは、用意していなかった言葉をルーチェに贈った。
「コレッティ殿に、よろしく伝えて欲しい。うちの愚息が世話になると」
エドガルドの隣で座っていたヴァレリオの母、アナスターシアが優しい微笑みを浮かべて会釈した。
ルーチェは片膝を深く折り、礼をすると、数歩後ろにいたヴァレリオを追って部屋を出た。
扉が閉まってもしばらく沈黙が続いたが、急にヴァレリオは立ち止まると、ルーチェを肩に担ぎ上げた。
「なっ」
驚いて足をばたつかせたルーチェに、
「無理すんな。…靴擦れ、痛むだろ」
履き慣れない靴の靴擦れも、言い慣れない言葉の緊張も、すべて見透かされていた。
ヴァレリオが、大人しくなったルーチェの足首に手をかざすと、靴擦れは瞬時に治った。
肩から下ろされたルーチェは、緊張からくる震えが止まっているのに気がついた。
「おまえ、…ほんと、恐いな。よくあの場でしゃべる気になったな」
そう言ったヴァレリオは、少し心配した様子でルーチェを見ていた。
「よかったのか? ルーチェリアで」
ルーチェははっきりと頷いた。
「父がヴァレの味方をしてくれる。それなら私も、ヴァレに不利にならないよう、できることはする。…父の爵位で、ヴァレのお父さんが少しでも安心してくれるなら、ルーチェリア・コレッティを名乗ることなんて、何でもないことだもん。それに…」
ルーチェはヴァレリオの腕に触れ、上着の袖をつまんだ。
「ヴァレは、私がルーチェでも、ルーチェリアでも、変わらないよね?」
そう問いかけたルーチェに、ヴァレリオは真顔になり、
「ああ、そうか。…俺はルーチェとは結婚できないんだ」
と答えた。
「えっ、」
その言葉に衝撃を受けたが、ヴァレリオはにやっと笑うと
「俺はルーチェリア・コレッティと結婚しなければいけないんだった。でないと、コレッティ家におまえの籍が残ることになる」
「…? …あっ!」
改めて言われるまで、ルーチェは婚姻の届に「ルーチェ」とだけ書けばいいと思っていた。
しかしそれでは、ヴァレリオの言う通り、ルーチェリア・コレッティは未婚のままになり、コレッティ家の籍に残ってしまう。
きちんと正式な名前で婚姻し、自分の離籍を記録しなければ、後にどんなトラブルを産むか判らない。
「そう…ね。あは、は、は」
ヴァレリオも同じだ。アガッツィ侯爵家から離籍し、分家であるモンテヴェルディのアガッツィ家に入る。名前は変わらないのに、モンテヴェルディに戻るには手続きを踏まなければいけないが、それくらいの手間を惜しむことはない。ヴァレリオの手続きは進み、まもなく王都の束縛から解放される。
そして、モンテヴェルディに戻り次第、ルーチェリア・コレッティ辺境伯令嬢をコレッティ家からアガッツィ家に迎え入れる。モンテヴェルディの街の中のアガッツィ家に。
この婚姻を決めるのは、モンテヴェルディのアガッツィ家当主になるヴァレリオだ。王都のアガッツィ家に口出しされる云われはない。そう思っていたが、グイドに、ルーチェのためを思うなら、礼儀として父母と顔合わせをしたほうがいいと勧められた。
父の反応は思った通りで、早くルーチェをこの気まずい場から解放したかった。だが、あの場を変えてくれたルーチェの勇気にただ敬服した。ルーチェは悪い印象を持たれず、母も安心していた。グイドの言う通り顔合わせをしてよかったのだろう。例え名乗りもせず、茶の一杯も振る舞われない、形ばかりの顔合わせであっても。
「嫌々は避けたいからな…。コレッティのおじさんの娘になる覚悟を決めてくれて、よかった」
ヴァレリオが腕を差し出すと、ルーチェはヴァレリオの腕をとり、アガッツィ家の廊下をゆっくりと歩いた。
ヴァレリオの言う通り、父の娘になることを受け止められて、ルーチェリアである自分を認めることができて、ルーチェは心からよかった、と思えた。




