29 中和の魔力
ブルノを任された第二魔法騎士団のセレーナが、助けを呼びに第三騎士団に駆け込むと、怪しげな魔法の気配に気付いていた第三騎士団の団員は既に出動の準備ができており、二人はブルノの元へ、三人は林の中へと向かった。
ブルノは気を失ったままで、すぐに救護室に運ばれた。そう経たず目を覚ましたが、自身に起こったことはうろ覚えだった。その日は救護室で過ごし、明日には何らかの聴取を受けるだろう。
林の中で倒れていたのは、第一魔法騎士団員のアルドだった。王に仕える騎士団に所属しながら、普段は目立たず、討伐でも後衛に回ることが多かった。
今日のブルノは明らかに何かに操られ、自分の意思とは関係なくルーチェを襲おうとしていた。その様子は御前試合の日のイーヴォと同じだった。
御前試合の日、第一魔法騎士団は全員が闘技場内におり、アルドは王族の観覧席の下で他の団員と共に警備についていた。そこはイーヴォがいた場所にも近かった。そして今日もまた、ブルノに近い林の中に隠れて様子を伺っていた。行動を乗っ取る魔法の手口も同じであり、無関係とは思えない。
アルドの身柄は一旦第三騎士団で預かり、その後、所属する第一魔法騎士団に引き渡された。
第二魔法騎士団の四人は団長執務室に呼ばれた。グイドも現れ、ヴァレリオとルーチェも同席して事情を聞くことになった。
「ブルノさんに、あの石を渡したのは、私です」
話し始めたカーラは、青ざめ、少し震えていた。
「あの石は、第一魔法騎士団のアルドさんにもらいました。元々は、ヴァレリオ副団長に使うといい、と言って渡されたんです。相手が自分を好きになる、両思いの魔法が入っているって。でも、私達、抜け駆けはしないって約束してたから、誰が使うかで困ってしまって…。それならルーチェさんに使えば、ルーチェさんもブルノさんと庶民同士仲良くできるし、副団長も熱が冷めるに違いないって…」
残りの三人もルーチェとヴァレリオに謝ったが、あまりにも短絡的で、仮にも魔法騎士団に所属する者がすることとは思えなかった。結果的にルーチェは魔法の影響をほとんど受けなかったとはいえ、謝って済む問題ではない。人の心を操り、その人の人生を変えたかもしれないのだ。
「あの魔道具の力は判ってて使ったんだな?」
グイドが聞くと、カーラは頷いた。
「はい。以前によく似た魔道具を使っている人を見たことがありましたから…」
「そんなもん使って仲良くなったところで、うまくいくとは思えないんだけどなあ」
グイドが少し的外れな感想を言うと、リタがもじもじしながら、
「前に似た石を使った人は、二ヶ月で別れたって聞きました」
と話した。
ルーチェは鳥肌が立ち、自分の腕を何度もさすった。
もしあの石が効いて、ブルノに恋心を抱くようなことがあったら…。間違いなく効果が切れ次第別れているだろうが、その間にうっかりヘンな気を起こして、とんでもないことをしてしまっていたら…。
想像しただけで、叫び声を上げそうだった。
団員同士の私的なトラブルとするには悪質で、しかも団の敷地内で魔法がらみの事件を起こすきっかけを作ったことから、四人には後ほど処分が下されることになり、それまでは自宅謹慎となった。
軽い事情聴取ではあったが、その間、ヴァレリオは特に口を挟むことはなかった。
予定していたお出かけは中止になり、ルーチェはヴァレリオに宿舎まで送ってもらったが、今日のヴァレリオはあんな事件があった割に機嫌がいいのが気になった。
「何だかご機嫌ね。私、結構大変だったんだけど」
「おまえがあんな石にかからないのは判ってたからな。ブルノが操られたのには驚いたが、概ね俺の予想が合ってた」
思い出してまだ笑っているのが気になり、
「予想って?」
と聞くと、
「おまえには、魔法が効きにくい。それは前にも話した通り、魔力の渦が逆回りだからなんだが、普段は静かに凪いでいる。それが敵対する魔法に遭うと自然に魔力が渦巻き、中和する作用があるらしい。ブルノが本当におまえを殺そうとしていたら危なかっただろうが、魔法に操られていただけなら、その魔法をなくせばいいわけだ。…おまえの魔力で吹き飛ばされて、あいつも驚いただろうな」
ヴァレリオは、あの御前試合の日にはじける音とともに瘴気を中和したのはルーチェの魔力だと予想していた。
御前試合の日に瘴気が効かなかった者は、第三騎士団員のほか、第二騎士団員、第二魔法騎士団員もいた。
ルーチェが繕い物を頼まれたのは、第三騎士団員のみ。フィデンツィオはそう思っていたが、実際には頼まれた物には第二騎士団員の物も混ざっていた。そして、第二魔法騎士団員の中には、ルーチェから繕い魔法を学んだ者が何人かいる。手本としてほんの一部縫っただけでも、ルーチェが針を刺せばそこに魔力が込められる。
普段はただ糸の中にあるだけの魔力が、強い魔法や瘴気に遭うと逆向きの流れをもち、その力を抑える。
そして今日は繕われた糸ではなく、ルーチェ自身の魔力が直接ブルノを操る魔法を中和した。本人に発動した自覚がなくても、ルーチェの周りに広がった逆向きの魔力の名残を、ヴァレリオは確かに感じ取っていた。
イーヴォから吹き出した瘴気から自分を、グイドを、犬たちを守った、あの力と同じ力だ。
「…言うほど大丈夫じゃなかったよ。ちょっと術にかかっちゃったんだから。私がブルノがいいって言ってたら、どうする? あんな浮気者知るかって、見捨てちゃってた?」
不安げにするルーチェに、ヴァレリオはルーチェの髪をわざとぐちゃぐちゃにかき乱すように頭を撫で、
「あんな奴に本気とか、あり得ないだろ。それを信じるほどバカじゃない」
と言って、実に楽しそうに笑っていた。
「…あの時ね。ブルノが、ヴァレに見えた。ヴァレが笑って、おいでって迎えてくれたように見えて、思わず駆け寄っちゃうところだった。…全然、大丈夫じゃなかったんだから」
うつむいて、しゅんとしょげるルーチェの言い訳に、ヴァレリオはますます機嫌をよくし、
「よく寸前で止まったな。よしよし」
と、さらに豪快にルーチェの頭を撫で、そばに引き寄せた。
「…あいつらが何しようと、絶対守れる自信があった。今日の俺の魔法、見ただろ?」
ヴァレリオの魔法。ルーチェを守るために、ヴァレリオが繰り出した魔法。
魔石を切り、瘴気を生み出した者の元へと飛ばし、雷、風、そして氷の魔法。どれも迷いなく、間を置かず瞬時に発動した。
「属性の違う魔法をあんなに次々と簡単に出せたのは初めてだ。技を出すのが愉快で、癖になる」
ああ、ヴァレリオの機嫌がいいのは、魔法がうまくいったからか。
ルーチェは納得した。
ヴァレリオは、自分の魔法の制御が追いつかないことに腹を立てることはあったが、魔法を出すのも、魔法を解析するのも嫌いではない、むしろ好んでやりたい方で、うまくいくのが楽しくて仕方ないのだ。
「もう三、四発、出してもよかったのに。何であいつ、早々にぶっ倒れるかな」
「あんな魔法かけといて、…早々に倒れてくれてよかった、でしょ??」
事件の解決より魔法を楽しむのは自分のことだけでなく、ルーチェの魔力に対しても同じだった。目を輝かせ、気持ちの高ぶりを抑えきれない様子で
「おまえの、あの雷の反撃はじいたの、すごかったよな」
と語りかけたが、ルーチェは首をかしげた。
「私? あれ、ヴァレじゃないの?」
ヴァレリオには、ブルノが操られていた魔法をはじいた余波で、あれほどの雷の魔法が中和されたことは判っていた。しかし、わくわくしながら話しかけた言葉を止めると、ふと考えを巡らせ、
「いや、…どっちかな」
とごまかした。
ルーチェが気がついていないなら、今はヴァレリオがやったことだと思われていたのでいい。そう切り替えた。
ヴァレリオは、王太子であるフィデンツィオが魔法や瘴気を無効にしたものの正体にかなり興味を持っているのが気になっていた。先の事件で、当初探りを入れていたルーチェの繕いではないかもしれない、と思い直し、調査の方向を変更したところだ。下手に興味をそそれば、ルーチェの意思を無視して王城に囲い込むことも考えられる。相手は王太子だ。本気になり、権力で押し切られれば、自分ではどうにもならなくなることもある。
ルーチェと一緒に、モンテヴェルディに帰る。必ず、一緒にだ。誰にも邪魔させない。
ヴァレリオは、改めて心に誓った。
「ようやく魔法を使うのに不安がなくなった。おまえのおかげだ、ルーチェ」
急に名前を呼ばれて、ルーチェはドキッとした。
いつもおい、とかおまえ、とか呼ばれていて、名前で呼ばれたのは、もしかしたら初めてかもしれないと思えるほどに、記憶になかった
「私、…? な、何が?」
ヴァレリオは自分の髪を見せた。
髪を縛っているのは、第二魔法騎士団を去った日に、ルーチェがヴァレリオにお礼として渡した髪紐だった。
「今まで使ったどんな髪紐より相性がいい。おまえの母親が作ったものより、ずっとだ。無理に感情を抑え、自分をなくさなくても魔法が制御できる。魔力も荒ぶれないで、余計な魔力の波だけを押さえてくれる。自分がやりたかった魔法はこうなんだ、と判るんだ。ほんと、すごいな。…いい物をありがとう」
少しも照れる様子を見せることなく正面からルーチェを見つめ、感心しながら礼を言ったヴァレリオに、言われたルーチェの方が照れてしまった。
思わず目をそらせて俯くと、ヴァレリオは下から顔を覗き込んで、そのまま軽く唇に触れて笑った。いつになく甘く優しい笑顔だった。
今日なら無理も聞いてくれそうな気がして、ルーチェは今まで一度も言ってもらったことがない言葉をねだってみた。
「…私のこと…、好きって、…言ってみて?」
すると、耳元に顔を寄せ、一呼吸置いてから
「ばーか」
と返ってきた。
ルーチェが口をとがらせて拗ね、どうせそんなもんだと溜息をつくと、ヴァレリオはその様子をじっと見て、苦笑をもらしながら言った。
「好きに決まってんだろ。…言葉が欲しいのなら、毎日でも言ってやるよ」
そして急に真面目な顔になって、ルーチェの手を取った。
「手が好きだ。魔法を紡いでも、紡がなくても。剣を握っている時もいい。柔らかい頬も、唇もずっと触れていたくなる」
ゆっくりと頬に手が添えられ、親指が唇に触れた。
「開いた眼もきれいだが、閉じた眼も悪くない」
言葉に続けてまぶたに唇を落とし、ルーチェの瞳を閉じさせた。
「少し意地っ張りなところも、いつも一生懸命なところも、慈愛に満ちた魔力も好きだ」
甘すぎる言葉に力が抜けていくルーチェを支えるように抱き留めながら、ヴァレリオはルーチェのねだる言葉を存分に与える覚悟だった。
「好きだ。…ルーチェ」
耳元でささやかれた言葉に、ルーチェはきゅっと首をすくめて
「も、もう、充分…」
と言いかけたが、照れるルーチェにますますエスカレートしていく。
「照れて恥ずかしがるところもかわいいな」
「もういいってば」
まだ言葉を重ねようとするヴァレリオの口を手で覆ったが、手首を捕まれ、簡単に引き剥がされてしまった。
「声も好きだ。歌う声も、話す声も…」
たまりかねたルーチェが強制的に口を塞ぐと、ヴァレリオは甘い封印を受け入れた。
ルーチェは、こんなにもたくさんの言葉を勝ち取りながらも、どうしてもヴァレリオに勝てた気がしなかった。




