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23 治癒魔法

 その日の夜、事件の後始末を終えたヴァレリオはルーチェの元を訪れた。

 騎士団員に怪我はつきものだとは言え、自分が近くにいながらここまでの怪我を負わせてしまったことにすまない気持ちで一杯だった。


 ルーチェは治癒魔法を全く受け付けない、と聞いた。

 背中の傷に触れないよう、うつ伏せで寝かされたルーチェの頬にそっと手を伸ばすと、高い熱が掌に伝わってきた。

 騎士団では怪我をしてもすぐに治癒魔法が施されるので、大きな怪我を負ったままでいることは少ない。その分、怪我に対する処置が簡略化されがちだった。

 ルーチェも騎士団に所属してから今まで、一年以上も無傷だったとは思えず、何度か治癒魔法を受けていると誰もが思っていた。まさか治癒魔法を受け付けないなどと、誰が予想できただろう。

 ヴァレリオは、あまり得意でない治癒魔法を、ルーチェの右手にかけてみた。

 魔犬のボスに噛まれた手の牙の痕がほんのわずかに光り、血は止まったようだが、傷が埋まることはなかった。


 ゆっくりと目を開けたルーチェは、ぼんやりとヴァレリオを見ていた。

「痛むか?」

 声をかけても反応がない。

 浄化の魔法で服はそれなりにきれいになっていたが、本人には効きが悪かったようだ。怪我が残っていることもあって髪や体を充分に洗えず、所々土や血糊がついていた。試合中に剣で切られたのか、髪が短くなってしまった部分もある。

 ヴァレリオはルーチェの髪に触れ、ルーチェの髪を縛っているのが自分の髪紐なのに気がついた。心の動揺をなくし、冷静を強いる繕い魔法を足し込んだ髪紐だ。

 表情をなくし、痛みも感じていないのはこれのせいか。

 しかし、これだけの傷を負っている今、この髪紐をほどいてしまったら、感情が戻ると同時に痛覚も戻ってしまう。

 何故ルーチェがこの髪紐をつけているのか。

 それは自分の髪紐に触れればすぐに判った。自分に守りの繕い魔法を譲るために、付け替えたのだ。


「…ほんと、おまえ、ばかだな」

 ヴァレリオのばか発言に触発されたかのように、ルーチェは深い瞬きから数回の瞬きを経て、目覚め直したかのように意識を取り戻した。

 言葉はまだ出ない。深い眠りから覚めたばかりで、ルーチェ自身、今の自分の状況に戸惑っているようだった。

「魔犬騒ぎは解決してる。安心していい」

 ヴァレリオがそう言うと、長い間を置いた後、こくりと頷いた。

「治癒魔法が効かないらしい。魔法騎士団の連中がみんな匙を投げた。…自覚はあるか?」

 この質問にも、頷きを返した。

「じゃあ、元々効きにくいんだな。…一つ、試したい。いいか?」

 ルーチェの返事を待たず、ヴァレリオはルーチェの左手を掴んだ。

「他人の魔力を受け付けないのなら、自分で治すしかない」

 ひどい負傷で固定されている右の中指の上にルーチェの左手を置き、その上にヴァレリオが手を重ねたまま指先で魔法を促す。

「やり方は、この前の繕い魔法と同じだ。魔力を出すタイミングと、仕掛けるタイミングを合わせれば、少しづつ発動できるようになる」

 少し戸惑いながらも、ヴァレリオの言うことに軽く頷き、魔力を指先に集めた。


 必要なのは、願い。どうあって欲しいか。

 治りたい。元のように元気に。

 …治りたい?

 元って…?

 小さな疑問が魔法のリズムを狂わせた。流れても紡がれない魔力が魔法の形をなせず、指先から消えていく。

 空回りする魔法をしばらく黙って見ていたが、やがてルーチェが魔力も発しなくなったのを見て、ヴァレリオはルーチェの手から自身の手を離した。

 ルーチェは手を離された途端、急に伝わる熱がなくなったのを感じた。ついさっきまでヴァレリオの手があったことを意識したルーチェは、手に残る感触に、それが今はないことに何とも言えない不安を感じた。


「動かすぞ。痛かったら言ってくれ」

 そう断って、ヴァレリオはゆっくりと様子を見ながらルーチェの体を起こし、背後に回った。

「利き手じゃないから、難しいのは当たり前だ。もう一度、試そう」

 そう言うと、もう一度ルーチェの左手を、今度は背後から左手でつかみ、右手の中指の上に左の人差し指を当てさせた。手の添え方はさっきと大差ないのだが、向かい合っているのと、背中越しにされるのでは、距離感が全く違う。

 まるで自分を包むように回された腕、背後に感じるヴァレリオの胸に、暗闇の中でぼんやりとしていた頭が急回転で回り出した。うるささを増す心臓の音と共に血の流れまでもが早まって、手や顔がかあっと熱くなるのを感じた。にもかかわらず、それを何かが押さえつけようとして、うまく表現できない。

 心の動揺のまま暴走したがる魔力を必死で押さえながら、早く、早く指を治さないと死んでしまいそう、とルーチェは焦った。

「急ぐな。いい感じで魔力が出てる。ゆっくりと、だ」

 必然的に耳のすぐそばにある顔から発せられる声に心が暴れ、髪を通して心を押さえつけようとする力をはじいていく。

 それに合わせるように、少しづつ指の痛みが増してきた。

「…っ、い、…痛っ」

「治ってきてる証拠だ。自分の治る力を加速させて痛みを追いやれ」

 添え木が導く指の方向に、自分の体が記憶する細胞の巡りを合わせ、時々指先からタイミングを知らせるヴァレリオの指の動きに合わせて魔法を紡いでいく。気長に、根気よく、痛みがある程度まで行き着くと、傷の治りと共に痛みが治まってきた。

 骨が正しくつながり、断絶した組織が戻り、欠けた筋や筋肉が再生され、新しいピンク色の柔らかな皮膚が盛り上がると、皮膚の色以外、怪我があったことなど判らない位に指は元に戻っていた。

 しかし、次第にほかの傷が痛みを取り戻していき、ルーチェは懸命に我慢したが、苦痛に体を歪め、目から涙がこぼれてきた。繕い魔法の力で無表情なのが余計に異様だった。

 ルーチェ自身の力で治癒魔法は使えたものの、あまりに時間がかかりすぎる。


 ヴァレリオは少し考えて、

「おまえの魔力、俺に使わせろ」

と言った。

「ど、やって?」

「どう、って…、そうだな」

 ヴァレリオは、ルーチェの左手に指を絡め、自身の左手の人差し指を伸ばしてルーチェの右手の傷口に触れた。さっきは塞がらなかった魔犬の噛み痕が、はじめはじりじりと時間がかかったものの、一度魔力が通るとものの五秒ほどで穴は新しい組織で埋まった。

「…よし、いけるな」

 そのまま手を動かし、次の傷に当てていくと、あっという間に手の傷は全てなくなった。続いて袖をまくり上げて腕に触れると、骨折も驚くほどの勢いでつながり、やがて腫れも痛みも引いていった。


 そのまま肩へと手が伸び、服の上から傷のあるあたりに触れたが、反応が鈍い。

 ヴァレリオは一旦ルーチェから手を離すと、右手でルーチェの首に近いボタンを一つゆるめ、襟ぐりを引っ張ったが、鎖骨も大して見えない。次のボタンも外し、右の襟首に手をやり、肩先まで見えそうなくらい引っ張ると、首回りが顕わになった。

 肩に当てられていたガーゼを剥ぎ、軟膏をそっと拭うと、その下には二本の牙が深く突き刺さり、そのまま背後に引っ張られて二センチほど裂けた傷があった。すぐにもう一度左手を絡め、その傷口に指をやると、傷は埋まり、新しいピンク色の柔らかな皮膚が再生していた。


 淡々と進む作業に抵抗はしなかったが、それは繕い魔法で固められた表側だけで、ルーチェの内側では半はパニックを起こしていた。

 肩を見られた。服をずらされた。肩に触られた!!

 オフショルダーのドレスなど着たこともないルーチェにとって、人に肩を見せるなんて、さらには男の人に触れられるなんて、恥ずかしいこと極まりなかった。


 髪紐のせいで表情に出ないのがいいのか悪いのか、自分の動揺はヴァレリオには伝わっていない。しかし髪紐の力は動揺を表に出さないだけで、ルーチェの心を制御する力はどんどんなくなっていた。

 治癒のため、治癒のためだ。変なイヤラシイことは何もない。自分のために頑張ってくれているヴァレリオを責める要素など何もない。

 しかし、女の子の服のボタンを外し、襟に手をかけるのに全く躊躇がないその態度に、慣れているんだろうか、と抱いてはいけない疑惑が沸き起こる。


 続いて襟ぐりを後ろに引っ張り、背中を上からのぞき込んだが、背中の傷にもガーゼが当てられていた。

 ヴァレリオはためらう事なくシャツの裾をめくりあげ、ガーゼを取った。肩の中央から右下にかけて二本の爪痕が皮膚を長く切り裂いていた。

 ルーチェの手をつかんだものの、背中の傷にまで手を回すことができないと気がつき、ヴァレリオは深くため息をついて、ルーチェの肩に額をつけた。

「どうしたらいいんだ…」

 少し悩んだ後、ヴァレリオの手だけが背中の傷にかざされ、ピンと指を伸ばし、治癒の魔法を施すが、やはりヴァレリオの魔力だけでは傷口は塞がらなかった。

「俺の力は、…受け入れられないか」

 弱々しくつぶやいた言葉に、思わず振り返ろうとして、背中の傷が引きつった。

「っ!」

 痛みに声が漏れ、握りしめた手に手が重なった。

「すまない…」

 耳元に響く謝罪の声。

  どうしてヴァレが謝るの?

 うまく声が出せない。

 痛みが来ないよう、ゆっくりと体の向きを変えて向かい合うと、ヴァレリオは今にも泣きそうな顔をしていた。

「おまえを守れなかっただけじゃなく、傷を治すこともできないのか」

 治せないのは魔法が効かない自分のせいだし、傷だって自分が戦ってつけたものだ。騎士なら傷を負うくらい当たり前だ。ヴァレリオだって判っている筈だ。それなのに、こんな弱気な姿を見せるなんて。

 かけたい言葉が、言いたい思いが口から出てこない。しかし繕いの魔法は表に出る感情を抑えるだけで、もはやルーチェの心を押さえ込む力はなかった。

 ルーチェは、ヴァレリオの頬に流れた涙に唇を寄せた。

  泣かないで

 ヴァレリオは、ルーチェの頬に手を当て、少し顔を動かした。軽く触れた唇はすぐに離れたが、ヴァレリオの手にルーチェの動揺する心がそのまま伝わってきた。

 ルーチェの魔力の変化を感じたヴァレリオは、目を見開き、驚きを笑みに変えた。そして、

「…判った」

とつぶやくと、今度はためらうことなく唇を重ねた。


 大きな鼓動が繕いの魔法をガラスのように砕いた。

 髪を束ねていた髪紐が崩れてほどけ、同時に背中の傷に激しい痛みが戻ってきたが、痛みに身をすくめると、背中にヴァレリオの広げた手が当たり、嘘のように痛みが引いていった。体全体がほんのりと暖かくなり、背中の大きな傷はもちろん、あちこちにあったかすり傷も、打ち身も全て、痛みを失っていくのを感じた。これが治癒魔法なのだ。

 背中に置かれたヴァレリオの手がゆっくりとルーチェを引き寄せる。背中を撫でる手に力がこもり、もう傷はなくなったのだと判った。

 唇が離れると、ゆっくりと治癒の魔法が静まり、いつの間にか閉じていた目を開くと目と目が合って恥ずかしくてたまらなくなった。

 うろたえるルーチェに対し、ヴァレリオは少しも照れた様子を見せなかった。


「おまえが魔法をはじく理由が判った」

 答えが判って、嬉しそうにしているヴァレリオに、

「…どう、して?」

と聞くと、

「おまえがへそ曲がりだからだ」

と、意味不明な答えが返ってきた。

 ルーチェが自分を見上げて首をひねるのを見て、ヴァレリオは、髪紐がなくなっていつものルーチェに戻ったことに安心した。自分が髪紐で心を縛った時、どうしてルーチェが泣いたのか、あのときは理解できなかったが、今のヴァレリオにはよく判った。


 ヴァレリオはルーチェの右の掌を上に向けると、指先でくるくると時計回りに円を描いた。

「魔力は渦を巻いて魔法に変わる。自然界でこの流れは一定だ。だが、おまえの魔力は他の魔法に当たると、何故か逆に渦巻く」

 急に反転した円。

「だから、他の魔法をはじき出してしまう」

 ぱっと開いた手が、軽く掌を叩いた。

「だが、はじき出さない方法があるとすれば?」

 問題を出してにやりと笑うヴァレリオは、魔法の謎が解けたのが本当に嬉しいようで、いつになく楽しそうだ。ルーチェの出す答えを待ち、

「渦が、なければいい?」

 正解にたどり着くと、こくりと頷き、手の指を絡めて握りしめた。

「おまえが俺の魔力を受け入れてくれたんだ。…まずいな。…受け入れられるのが、こんなに嬉しいなんて…」

 ルーチェは、自分こそ怪我を治してもらったのに、ヴァレリオの方が自分以上に喜んでいるのが不思議だった。

「私の方こそ、ありがとう」

 ルーチェの礼に、ヴァレリオは小さく数回頷いて、ルーチェを抱きしめた。

「俺が治したかったんだ。…治せて良かった」

 すり寄せられる頬に応えるように、ルーチェもまたヴァレリオに両腕を回し、肩にもたれてゆっくりと瞳を閉じた。


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