05. 生き延びろ
隠し部屋の中。
赤い光に照らされた壁一面に、何百枚もの女性の写真が貼られていた。
その中に混じる、胎児のエコー写真。
タカセは息を呑んだ。何かに引き寄せられるように、指先が伸びる。あと少しで、一枚の写真に触れる。
──その瞬間。
轟音が、すべてを呑み込んだ。
「──なんだ?!」
爆風が隠し部屋にまで押し寄せ、タカセの身体を吹き飛ばす。
(……爆発?!)
床に身を伏せ、頭をかばう。耳をつんざく轟音が遠のくまで、ただ耐えるしかなかった。
やがて、静寂が戻った。
タカセは顔を上げると、隠し部屋から飛び出した。
「……これは……」
目の前の光景に、言葉を失う。
モニタールームは、見る影もなかった。
炎が壁を舐め、煙が天井を覆っている。床には仲間たちが倒れ、崩れた瓦礫の隙間から、見慣れた装備が覗いていた。
鼻を刺す、焼け焦げた臭い。
何が起きたのか、頭が理解することを拒んでいる。
自分は、隠し部屋にいた。
それだけのことで、爆発の直撃を免れたらしい。ほんのわずかな位置の違いが、生死を分けた。
炎と煙の向こうに、人影が見えた。
「マービン! 無事か!」
駆け寄ろうとした足が、止まる。
マービンは立っていた。
下半身に深刻な傷を負いながら、何が起きたのか理解できないといった顔で、自分の身体を見下ろしている。
「……は?」
間の抜けた声が漏れた。
次の瞬間、マービンの身体が崩れ落ちた。
「……っ!」
タカセは駆け寄った。
だが、声をかけても、肩を揺すっても、返事はない。
足元には、黒く焦げた仲間たちが倒れていた。
「……っ、くそ……」
喉が詰まる。
何か言わなければ。誰かを探さなければ。そう思うのに、頭がうまく働かない。
耳の奥で、自分の心臓だけがうるさく鳴っていた。
「……誰か、いないのか!」
声を張り上げ、周囲を見渡す。
その瞬間だった。
──爆破は、まだ終わっていない。
根拠はなかった。それでも、身体が先に反応した。 タカセは咄嗟に後退する。
(……二発目が来る)
偶然の事故じゃない。これは、仕掛けられた爆発だ。
ならば、まだ終わるはずがない。
タカセは隠し部屋へ身を滑り込ませ、銃を構えた。
呼吸を殺す。炎の爆ぜる音だけが、耳に届いていた。
その時。
「……タカセ……! 無事なら返事しろ……!」
かすれた声が聞こえた。
タカセは顔を上げる。
隠し部屋の入口から身を乗り出し、煙の向こうを見渡した。
「……ジョウ?」
瓦礫の中に、人影があった。
身体を引きずるようにして、必死にこちらを探している。
ジョウだった。
(……生きてる)
張り詰めていたものが、一瞬だけ緩んだ。
「ジョウ!」
声が、ほんの少し明るくなる。
タカセは隠し部屋を飛び出し、ジョウのもとへ駆けた。
だが。
崩れ落ちた天井が、二人の間を塞いでいた。
巨大な瓦礫と、熱を帯びた鉄骨。
その向こうで、ジョウと目が合った。
「──タカセ、無事か」
ジョウは、努めて平静を装っていた。
けれど、頭から血を流し、満身創痍のその姿を見れば、無事でないことは明らかだった。
タカセの心臓が、どくりと鳴る。
嫌な予感を振り払うように、首を横に振った。
「すぐ出してやる」
考えるより先に、身体が動いていた。
タカセは瓦礫に両手をかけた。熱を帯びた鉄骨が、皮膚を焼く。
「ッ……!」
それでも、手を離さなかった。
「動け……!」
力を込める。だが、瓦礫はびくともしない。
「タカセ、一人じゃ無理だ……! 応援を呼べ!」
「次にいつ爆発が起こるか分からない。応援を呼んでる余裕なんか……!」
──もし、間に合わなかったら。
その考えが頭をよぎり、指先が震えた。
タカセは歯を食いしばり、再び力を込める。
「隙間を開ける。そこから出ろ。俺とジョウの世界一早い足なら、ここからでも逃げ切れるだろ」
額から汗が滴り落ちる。
ジョウは一瞬だけ目を丸くし、それから笑った。
「──ははっ。お前は相変わらずだな」
その時、頭上で鈍い音がした。
天井の瓦礫が、大きく軋む。
「……!」
タカセの手が止まりかけた。このまま押し続ければ、崩れるかもしれない。
だが、手を止めれば、ジョウを助けられない。
「……どけよ!」
迷いを振り払うように、タカセは体勢を変えた。
「くそっ……!」
鉄骨が軋む。
瓦礫が、ほんのわずかに動いた。
できた隙間は、人ひとりが通れるかどうか。
「ジョウ! 今だ、出ろ!」
タカセは倒れかけた瓦礫を押さえつけ、必死に隙間を広げた。
これなら、二人で逃げられる。
そう思った、その時。
「……タカセ。お前は一人でここから出ろ」
ジョウの声がした。
「……は?」
タカセは顔を上げた。
「何言ってるんだ。二人で出るぞ」
ジョウは答えず、自分の身体に目を落とした。
血に濡れた服。思うように動かない手足。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
「……頼むから、行ってくれ」
「──先輩の話は聞けないタチなんだ。二人で出るぞ」
タカセは怒鳴るように言い返し、ジョウへ手を伸ばした。
目が合う。ジョウは笑っていた。
ひどく傷ついた顔なのに、不思議と穏やかな笑みだった。
その表情に、タカセの胸がざわつく。
「……いいか、ルーキー……」
途切れそうな息の合間に、それでもジョウははっきりと言った。
「……これは命令だ。一人で行け」
「……っ」
「お前がここで死ぬのは、許可しない」
息が詰まった。
それでも、タカセは首を振る。
「ダメだ。置いていけない……! 待ってろ、今──」
伸ばした手が、届く寸前で止まった。ジョウが、タカセの腕を振り払ったのだ。
力など、ほとんど残っていないはずだった。それでも、その手には確かな意志があった。
「──タカセ」
ジョウは血の滲む口元を歪め、いつものようにニカッと笑った。
「生き延びろ」
直後。
二度目の爆発が、すべてを呑み込んだ。
「ジョウ!!」
爆風が瓦礫を揺らし、炎が視界を覆い尽くす。
その向こうにいたはずのジョウの姿が、消えた。
「……嘘だろ……?」
タカセは目を見開いた。
「ジョウ!!」
叫んでも、返事はない。手を伸ばしても、届かない。
ついさっきまで、そこにいたのに。
いつもみたいに笑っていたのに。
──間に合わなかった。
今までも、誰かを助けたくて迷わず動いた。
それなのに、何ひとつ救えなかった。
初めてだった。間に合うと信じて動いた結果が、何も救えなかったのは。
轟音が再び響く。
生き残った者を追い立てるように、爆発が施設を揺るがした。
タカセの身体が宙を舞い、壁に叩きつけられる。
視界が揺れ、音が遠のいていく。
意識が途切れる、その寸前。タカセの脳裏に、あの声が蘇った。
『生き延びろ』
それだけが、最後まで消えなかった。
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