last. 帰る場所
レイヴンが死んでから、数年。
──グレイ、十六歳。
──イノウエ、十五歳。
グレイにも、少しずつ任務が回ってくるようになっていた。
もっとも、正式な依頼はまだ少ない。
周囲から一人前として認められたとは、到底言えなかった。
その日も、いつもと変わらない一日になるはずだった。
──任務報告を終えた直後、本部から緊急招集がかかるまでは。
⸻
ヘリのローター音が、機内に低く響いていた。
グレイは窓際の席で頬杖をつき、流れる夕焼けをぼんやりと眺めている。
向かいの席にはイノウエ。その隣にレインが座っていた。
レインとは、その日が初対面だった。
さらに本部職員が数名。
どこか噛み合わない顔ぶれだけが揃った、妙にちぐはぐな編成だった。
グレイは欠伸を噛み殺しながら言う。
「おいおい……自分で言うのもなんだが、なんで俺なんだ?」
本部職員は誰も答えず、視線をわずかに逸らした。
嫌な沈黙が落ちる。
グレイが眉をひそめた、その時。
機内前方のモニターが起動し、通信接続の表示が浮かび上がった。
数秒ののち、画面に一人の女性が映し出される。
年齢は四十代後半ほど。整った所作と、高価そうなスーツ。一目で分かる。権力者だ。
女はグレイを見るなり、わずかに眉をひそめた。
「コード・リーパーの本部には、今回の依頼に適した人材をお願いしたはずだけれど……まさか、こんな若い坊やとはね」
グレイは数秒だけ黙り、それから肩をすくめた。
「そりゃどうも」
嫌な予感だけが、静かに輪郭を持ちはじめる。
その空気を断ち切るように、イノウエが無言で端末を操作した。
「グレイ。簡潔に説明するわ」
イノウエの声とともに、機内モニターに地図が表示された。
映し出されているのは、聖都市郊外に新設された第七独立特区だった。
グレイも名前くらいは聞いたことがある。自然保護区と都市機能を融合させた、観光資源としても売り出しているエリアだ。
「この方は、第七独立特区の市長──カウン様」
イノウエはモニターの女性へ一瞬だけ視線を向ける。
「その第七独立特区が現在、テロリストに占拠されている」
グレイの眉がわずかに跳ね上がる。
「特区ごと?」
「ええ」
イノウエは地図上に赤いマーカーを次々と展開した。
一つ、二つ、三つ──そして十を超える。
「独立系特有のインフラ構造を逆手に取られているわ。特区内には、少なくとも十か所以上の大型爆発物が設置されている」
グレイは思わず口笛を吹きかけて、途中でやめた。
「特区ごと吹き飛ばす気か?」
「それが、単純な話でもないのよ」
即座に否定が返る。
イノウエは資料を切り替えた。
「テロリスト側から要求が出ている」
モニターに短い文面が表示される。
──土地を返せ。
──事実を公表しろ。
グレイは数秒だけ黙り、それから小さく頷いた。
「あー……なるほどな」
ようやく、全体像が輪郭を持ちはじめる。
グレイはモニターへ視線を向けた。
「市長さんよぉ。無理やり進めたんですね? その都市開発」
機内の空気がわずかに張り詰める。
それに答えるように、イノウエが口を開いた。
「占拠直後、テロリスト側は複数の報道機関および外部サーバーへの接続を試みています」
その言葉に、画面の向こうの市長の表情から、わずかに余裕が消えた。
「──ふん」
短い鼻息。その声音には明確な苛立ちが混じっていた。
グレイは画面を見たまま、静かに尋ねた。
「……依頼は、市民の救助とテロリストの爆破阻止、って認識でいいのか?」
「いいえ。テロリストごと、特区を処理してほしいの」
市長の声に、グレイは一瞬、自分の聞き間違いかと思った。
だが画面の向こうの女は、構わず続ける。
「特区の入り口ゲートは、すでにバックドアでシステム改ざんさせたわ。完全封鎖してあるから誰も外には出られない。仕掛けられた爆弾を利用してもいいし、それ以外の方法でも構わない。テロリストは一人残らず始末すること」
沈黙。機内に、ローター音だけがやけに大きく響いた。
グレイの表情から、軽さが消える。
向かいのイノウエも、言葉を失っていた。
──それが意味するものを、理解できないほど子どもではない。
「……特区民の命ごと、ということでしょうか」
静寂を切るように、イノウエが確認する。
市長は眉一つ動かさない。
「人聞きが悪いわね」
その一言で、機内の空気がさらに冷え込んだ。
イノウエは返事をせず、淡々と資料を切り替える。
第七独立特区開発計画。
土地収用記録。
そして、最後に開かれた機密指定ファイル。
グレイは画面を追い、眉をひそめた。
「イノセンス・エーテル……?」
「国が極秘指定している特殊資源よ。将来的なエネルギー革命を起こす可能性があると言われている」
イノウエが答える。
「この特区の地層から発見されたものよ。元々は、ここの住民たちが研究していたらしいわ」
「で、市長さんが開発名目で追い出したと」
グレイが軽く言う。
モニターの市長は、不快そうに顔をしかめた。
「追い出したのではなく、正当な手続きを踏んで立ち退いていただいたのよ」
「へぇ」
グレイはそれ以上は何も言わなかった。
イノウエが静かに口を開く。
「──特区民を巻き込む必要はないと思います」
だが、市長は即座に言葉を切った。
「黙りなさい。研究員の分際で、政治に口を出さないで」
イノウエの瞳が、わずかに細くなる。
「イノセンス・エーテルは国家機密よ。情報が漏れれば、各国が動く。未開発の戦略資源を巡って、戦争が起きる可能性だってある」
市長は一度、言葉を切った。
「数万人の犠牲が出るかもしれない。ならば、ここで事態を終わらせる。第七特区は今はもう……そうね。それが最も被害の少ない選択よ」
グレイも、イノウエもすぐには言葉を返せなかった。
「本部には報酬はたんまりお支払いしているわ。コード・リーパーは殺しが許可されているのでしょう? いつもの業務よ」
グレイは黙ったまま、視線を落とした。
なるほどな、と心の中だけで呟く。
── 第七特区は今はもう……
市長の言葉が引っ掛かった。イノセンス・エーテルが発見されたこの土地は、何らかの理由で“不要”な土地に成り下がったのだろう。
不要になった土地を破壊する。
報酬は支払う。
責任は押し付ける。
後始末は、すべてコード・リーパー任せ。
事態が露見したところで、市長は知らぬ存ぜぬを貫くだろう。
そして、大量虐殺の汚名だけが、実行した者たちに残る。
──本部にとっても、都合のいい話だ。
グレイは、ようやく自分が選ばれた理由を理解した。
若く、後ろ盾もない。
多少使い潰したところで、組織にとって大した痛手にはならない。
自分は、そういう駒なのだ。
グレイは小さく息を吐いた。
そして通信モニターを見据えたまま言った。
「──テロは止める。だがな、市長さん。俺は、無駄な殺しはしない主義なんだ」
数秒の沈黙。次の瞬間、市長の眉が吊り上がる。
「はぁ!? これは市長命令なのよ! 殺しなんてあなたたちの専売特許でしょ?!」
機内の空気が一気に張り詰める。
だが、その沈黙を破ったのはグレイではなかった。
「……特区住民、五千六百八十名。現在、軍事小隊が住民の保護を続けています」
イノウエだった。彼女は市長を見据えながら続ける。
「テロリスト側の構成員は、戦闘を専門としない元研究員です。爆発物の無力化と住民の避難を優先すれば、特区全体を破壊する必要はありません」
わずかな間を置き、言葉を重ねる。
「戦争を防ぐために、五千六百八十名の命を切り捨てる。その判断が本当に最小の犠牲につながるのか、根拠を示していただけますか」
市長の表情が、わずかに引きつった。
「……俺はレイン。武器開発局の研究員だ」
それまで黙っていたレインが、初めて口を開いた。
グレイは横目でレインを見る。
だが、レインはモニターから目を逸らさなかった。
「イノセンス・エーテルは、国の未来を左右する資源だ。だから国は、あんたに第七特区の建設を一任した」
一度、言葉を切る。
「……で、このザマか」
市長の表情がわずかに強張った。
レインは構わず続ける。
「この話が外に漏れたらどうなるか、分かってるよな?」
返答を待たず、低く言い放つ。
「職権濫用。独立都市住民の大量虐殺未遂だ」
淡々と並べられる単語は、刃のように重かった。
市長は何か言おうと口を開くが、言葉にならない。
グレイはその様子を見て、静かに理解した。
この女が守りたいのは、国家でも未来でもない。
一番守りたいのは──自分の地位だ。
第七特区の建設を国から任され、成果を求めた。
その結果、開発計画の裏側が明るみに出れば、責任を問われるのは自分自身。
だから、すべてをなかったことにする。
住民も、計画の失敗も、都合の悪い事実も。
──ただ、それだけの話だ。
グレイは小さく肩をすくめた。
「……おばちゃん、そういうわけだ。これに懲りたら、危ない橋は渡らないこったな」
市長の視線が鋭く刺さる。それでもグレイは気にした様子もなく、薄く笑った。
張り詰めた空気を断ち切るように、レインが口を開いた。
「グレイ、と言ったな」
グレイが視線を向ける。
レインの目は鋭いが、不思議と威圧感はない。
「テロリストの装備は、それほど厄介なものじゃない。火器も爆薬も市販品の改造レベルだ。お前の戦闘技術なら十分対処できる──ただ」
レインの声がわずかに沈む。その言葉を引き継ぐように、イノウエが口を開いた。
「問題は、爆発物の方よ」
彼女がホログラムを展開すると、特区全域に赤いマーカーが無数に浮かび上がった。
「爆発物には、イノセンス・エーテルが使われている可能性がある」
グレイの表情から笑みが消えた。
「──残り時間は?」
「三十分」
「根拠は?」
「テロリストの声明配信時刻と、イノセンス・エーテルの反応限界から推定したものよ」
「可能性に推定か。ずいぶんあやふやだな」
レインが答えた。
「未解明の物質だ。三十分後に何が起きるか、俺たちにも分からない」
「……なるほど」
グレイはホログラムに目を向けた。
イノウエがマップを切り替える。爆弾の推定位置と、データ転送ポイントが表示された。
「この三十分以内に、あなたはテロリスト十五名の確保。それと同時に──爆発物を発見した場合はデータ回収をお願い」
「それまでが任務ってことか」
「ええ。解析は私がやる」
そう言って、イノウエはポケットから小さなデータチップを取り出すと、それをグレイへ差し出した。
「これを差し込めば、自動でデータを吸い上げる。爆発物の構造解析はこっちで処理する」
グレイはチップを受け取りポケットにしまうと、小さく笑った。
「つまり、イノウエが爆破を止めてくれるってことか」
一瞬だけ、イノウエの言葉が止まる。
その横でレインが腕を組む。
「今回は武器開発局も全面協力だ」
イノウエは短く息を吐き、続けた。
「……やるしかないからね」
短い返答。だがグレイは満足そうに頷いた。
「さすがイノウエ。頼もしいな」
そのやり取りを遮るように、市長の声が鋭く響いた。
「──そのライセンスは飾りなの!? 殺せば、一瞬で終わるのよ!?」
ヘリの中に、短い沈黙が落ちた。
グレイは一度だけ窓の外へ目を向ける。
遠くに広がる第七独立特区の輪郭。その中で、いまも人が生きている。
小さく息を吐き、それから視線を戻した。
「あのな。コード・リーパーのライセンスは、殺しの免罪符じゃねぇんだよ」
市長が言葉を失う。
グレイは続けた。
「“責任の引き受け先がない、地獄の片道切符”だ」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
グレイは窓の外へ目を向ける。その先には、まだ救われるべき人々がいる。
イノウエが静かに息を吸う。まっすぐにグレイを見た。
「──作戦開始よ。グレイ、生きて帰ってきて」
それだけを残す。
ヘリのハッチが開き、風が一気に機内へ流れ込んだ。
グレイは立ち上がり、イノウエを一瞬だけ見て、小さく頷く。
そして、そのまま特区へ身を投じた。
・
その後。
グレイはテロリストの確保と、第七独立特区民の救出を成功させた。
爆発物はすべて無力化され、被害は最小限に抑えられたのだ。
もちろん、イノセンス・エーテルの存在は伏せられたまま。戦争や混乱を招く恐れがあるためだ。
テロが起きた経緯や、住民たちが立ち退きを迫られた理由についても、公表されることはなかった。
──代わりに。
【若手のダークヒーロー、誕生!】
【テロリストから区民を救出!命運を分けた三十分間】
聖都市では、彼の行動を称賛する声が増えた。
コード・リーパー本部ですら、もはや彼の実力を無視できなくなっていた。
──レイヴンがライセンスを託した、天才。
評価は変わった。扱いも、ほんの少しだけ変わった。
それでも、グレイ自身の自己評価だけは変わらなかった。
自分は、消耗品だ。
誰かのために使われ、必要なときにだけ動く。その役目を終えれば、いつでも切り捨てられる、のだと。
─────
治療室で、任務帰りのグレイは眠っていた。
包帯だらけの身体と点滴。モニターの規則正しい電子音。
普段は騒がしい少年なのに、眠っている時だけは妙に静かだった。
十六歳らしく。本来あるべき年齢の姿を、ようやく思い出したように。
医療班たちが言う。
──本当に無茶な子だ。
──死ぬ気だったのか。
私は知っている。
──違う。この人は昔からそうだった。
眠る横顔は、昔と何も変わっていない。
あんぱんを半分に割ってくれたことも。
研究に疲れている話を聞いてくれたことも。
誰かが傷つくと、放っておけなかったことも。
だから思う。
──レイヴン。
あなたが育てたグレイは、コード・リーパーになっても優しいまま。
誰かのために傷ついて、誰かのために無茶をして、誰かのために帰る場所を後回しにする。
本当に、不器用な人。
だから私は、ここにいる。
この人が自分の足で帰ってくる、その日まで。
いつか、自分も誰かに守られていいのだと。
ここを、自分の帰る場所だと思ってくれる日まで。
【end】




