04. It's long long good-bye...
後になって思えば。
あの任務は、最初から嫌な予感がしていた。
レイヴンが珍しく無口だったからか、それとも、何度も作戦資料に目を通していたからか。
胸の奥が妙にざわついていた。
理由の分からないその感覚だけは、今でもよく覚えている。
・
奪還対象は、一人の少女。
名前はなく、ただ、イノウエと呼ばれていた。
それだけ聞けば、どこにでもある救出任務に思える。だが実際は違った。
彼女は解析と医学のギフテッドを持つ特別保護対象。
そして今、その少女はギフテッドの研究を行う武装組織に囚われていた。
・
遠くで、爆発音が響く。
遅れて届く衝撃が、地面を低く震わせた。
炎と煙はすでに視界の半分を覆い、空と地面の境界を曖昧にしている。
焼けた匂いと鉄の匂いが混ざり合い、呼吸のたびに喉の奥を刺した。
血の海の中で、レイヴンは横たわっていた。
グレイの手には、少女の手が握られている。
少女は目を逸らさない。ただ涙だけが、状況を理解している証のように落ち続けていた。
グレイの息が浅くなる。
「レイヴン! 起きろよ、レイヴン!」
どこをどう触ればいいのか分からない。出血の量だけが異常な現実としてそこにあり、本能が「もう間に合わない」と告げていた。
それでも、認めることができない。
「……グレ、イ」
かすれた声が、炎の音よりも小さく届いた。
名前を呼ばれて、グレイは一瞬だけ呼吸を忘れる。その声だけで、まだ間に合うと錯覚してしまう。
「気付いたか。今、Condorさんに応援を頼んだ。到着するまで諦めんな」
「……」
レイヴンはすぐには答えなかった。
浅い呼吸を繰り返し、何かを確かめるように一度目を閉じる。
そのまま、しばらく動かなかった。
「……レイヴン?」
呼びかけに応えるように、レイヴンはゆっくりと目を開いた。
そして、静かに上半身を起こした。
その動作だけで、どれほど無理をしているのかが分かった。身体を支える腕は震え、呼吸は途切れがちだった。もう、自分の身体さえ思うように動かせない。
それでもレイヴンは、落ちていたナイフを拾った。握りしめた指先に、力はほとんど残っていなかった。
「……」
レイヴンはナイフをグレイに握らせた。そして、自分の手を重ね、刃先を自分へと向けた。
「……おい、レイヴン、なにして」
その意味を、嫌でも理解する。
「……できるわけないだろ」
ひどい声だった。喉の奥から押し出される言葉が、自分のものではないように感じる。
レイヴンは、少しだけ困ったように眉を寄せた。
「賢い子だと思っていたのだけれど」
「やめろよ、そんな言い方」
グレイの手が震えている。
レイヴンは一度だけ目を閉じて、それから静かに続けた。
「もう、時間がない。あなたは、今この瞬間、コード・リーパーになる」
その言葉で、空気が変わった。
「私の権限を使う。試験はなし。ライセンスはあなたに継承される」
グレイの顔が強張る。
「……何言ってんだよ」
「グレイ、よく聞いて」
「嫌だ」
「聞きなさい」
その声は、任務前のブリーフィングで、失敗した訓練のあとで。何度も聞いた声だった。
グレイは唇を噛む。
レイヴンは浅く息を吐いた。
「私がいなくなったあと、あなたはどこへ行くの?」
「……」
「学校も知らない。仕事も知らない。普通の暮らしも知らない」
呼吸のたびに血が滲む。それでもレイヴンは止まらない。
「あなたが知っているのは戦場だけ」
グレイの指が震えた。レイヴンは言葉を重ねた。
「コード・リーパーは、五十人。誰かが欠ければ、その席は必ず埋められる。私の席を、あなたに渡すの」
「……いらない」
レイヴンはグレイから目を逸らさない。
「コード・リーパーのライセンスは身分になる」
一度咳き込む。血が口元を濡らした。
「嫌いな場所でしょうけど……何もないあなたにとって居場所になる。あなたが生きるための理由になる」
「嫌だ! なんでレイヴンが死ぬ前提なんだよ。諦めるなよ……生きることを諦めてんじゃねぇよ!」
グレイは聞きたくないというように、顔を歪めてレイヴンを怒鳴った。
レイヴンは目を細めた。困った子どもを見るような顔だった。
「ごめんね」
そして次に、少女に目を向けた。
少女──イノウエは、目を逸らさず泣いていた。恐怖からではない。理解した上で、それでも受け止めようとしていた。
レイヴンは静かに声を落とす。
「……聡明な少女、見届けて。そして証明して」
「……」
「この子が、コード・リーパーになった瞬間を」
グレイの指が硬直する。重ねられたレイヴンの手は離れない。
刃が、震えながら持ち上がる。
「やめろ……やめろよ……!」
レイヴンは目を閉じない。最後まで、まっすぐにグレイを見ている。
「大丈夫」
そう言った瞬間、レイヴンは、グレイを抱きしめるように引き寄せた。
グレイの手の甲に、血が伝った。
驚くほど、まだ温かかった。
「……もう、眠る時間みたいね」
レイヴンの声は、いつものように穏やかだった。
「──おやすみ、グレイ」
・
──その温もりを、今でも覚えている。手の甲を伝う血も、温かかった。
今なら分かる。
コード・リーパーは、いつか必ず人を殺す。
それが敵であれ、標的であれ。
けれど最初の一人だけは違う。
最初の一人は、一生残る。夢にも出る。手の感触も、血の匂いも、忘れられない。
だから、レイヴンは、自分を選んだのかもしれない。
俺が最初に殺した人間として。
【continue…】




