優しい断片
「グレイ、起きて」
「……ん」
「風邪をひくから、ベッドで寝なさい」
「ここでいい……」
「よくないわ」
返事はなかった。
レイヴンはしばらく、すやすやと眠るグレイを見下ろしていたが、やがて小さく息をついた。
肩に毛布を掛ける。
「──おやすみ。グレイ」
そっと、頭に手を置いた。
・
「げー。これ嫌いなんだけど」
「知ってる。でも食べないと大きくなれないわよ?」
「食わなくても背は伸びるし」
「んー、じゃあ、食べられるようになったら、いっぱい褒めてあげる。どう?」
「一生食わねぇ」
「はいはい」
皿の端に残された野菜。レイヴンは呆れたように笑い、それを自分の口へ運んだ。
グレイは勝ち誇った顔をした。
・
夜、灯りの消えた部屋。
「……レイヴン」
「なに?」
グレイが微睡みながら聞く。
「……明日もいる?」
「いるわよ」
「……ふうん」
それきり、グレイは何も言わなかった。レイヴンは本を閉じる。
「……おやすみ、グレイ」
返事はない。もう眠ってしまったらしい。
・
誕生日を知らない少年がいた。
生まれた日も、生まれた場所も、何ひとつ知らない少年だった。
だから。私は決めた。二人が出会った日を、この子の誕生日にしようと。
そうでないと、あまりにも救いがないから。
小さな箱に、苺が乗った白いケーキ。二本のフォークが机に並ぶ。
「……これ、毎年やんの?」
「そうね」
「面倒くせぇ」
グレイの照れ隠しを見て、私は思わず揶揄ってしまう。
「じゃあ、やめる?」
「……やめない」
そう言ってケーキを頬張る姿が、なんだかおかしくて、たまらなく愛おしかった。
私は小さく笑い、もう少しだけ、この時間が続けばいいと思った。
・
「レイヴン」
「なに?」
「呼んだだけ」
「……そう」
レイヴンは振り返り、俺の頭を撫でた。
「変な子ね」
「うるせぇ」
その手を振り払うことは、しなかった。
──俺は知らなかったんだ。
名前を呼べること。帰る場所があること。明日もそこにいてくれる人がいること。
それらが、どれほど幸せなことなのか。
そして、その幸せがいつか失われることも。
後になって思えば、彼女との日々は、あまりにも残酷なほど優しい“始まり”だった。




