35. 子守唄
「──デカブツは俺に任せろ!」
グレイが叫ぶ。
ブレードを鞘に収めるや否や、ホルスターから銃を引き抜いた。
乾いた銃声。
弾丸がアンナの脚部関節を撃ち抜く。
「──ッ!!」
巨体が一瞬、沈んだ。その一拍を、グレイは逃さない。
銃を仕舞いながら地を蹴り、滑り込むように距離を詰める。
抜刀。
金属が空気を裂く音が、遅れて響いた。
──視界を奪う。
刃がアンナの両目を裂き、白濁した液が飛び散った。
「ギィィィアアアアア!!」
咆哮が空間を震わせる。怒りではない。視覚を失った巨体が、目の前の脅威を捉えられずに暴れているのだ。
「アンナ!」
マリアの叫びが響く。
だが、グレイは止まらない。
着地と同時に身を翻し、巨体の死角へ回り込む。
刃を構え直す動作さえ、次の攻撃への流れに組み込んでいた。
狙うのは、致命傷ではない。反撃を封じ、次の動作へ移る隙すら与えない斬撃。
アンナの巨体が暴れ、空気が軋む。
それでもグレイは、その懐から退かなかった。
「タカセ!! 行け!!」
声は、異様なほど冷静だった。
戦場のただ中で、その一言だけが静かに響く。
タカセは一瞬、目を閉じた。
(──ジョウ)
(──カムイ、セシル)
浮かぶのは、名前だけだった。
(──やり遂げる)
目を開いた瞬間、タカセは地を蹴った。
崩れかけたアンナの巨体へ、一気に踏み込む。
白い肉は弾力を持ち、足場としては不安定だった。それでも、沈み込む感触を利用して次の一歩へと跳ぶ。
一歩。もう一歩。さらにもう一歩。
斬撃で刻まれた傷を踏み越え、巨体のうねりを利用して高度を稼ぐ。
二階層へ。マリアのいる場所へ、一直線に駆け上がる。
その下で、グレイは銃口を構え直す。
狙いは、白い巨体と繋がる細い一本の管。アンナの臍帯。
「……悪いな」
ほとんど吐息のような声だった。
引き金が落ちる。
乾いた破裂音と共に、弾丸が臍帯を撃ち抜いた。
白い管が大きく跳ね、アンナの身体が痙攣するように震えた。あれほど激しく暴れていた巨体が、糸を切られた人形のように動きを止める。
「アンナ!!」
マリアの声が、初めて鋭く裂けた。余裕も、愉悦もない。そこにあったのは、明らかな動揺だった。
「……お前たち、よくもッ」
その視線の先には、二階層へと辿り着いたタカセがいた。
後退りするマリアへ、タカセは迷わず銃口を向ける。そして絞り出すように言った。
「──あなたの生い立ちには、同情する」
失うことの苦しみなら、痛いほど知っている。
戻らない人間に、もう一度会いたいと願う気持ちも。
失ったものを取り戻せるのなら、何だってしたいと思ってしまうことも。
だからこそ、マリアの願いを理解できないとは言えなかった。
「それでも」
タカセは唇を噛み、込み上げる感情を押し戻した。
「あなたが奪った胎児も、その母親たちも。あなたの理屈の中で、なかったことにしていい命じゃない」
マリアは一瞬、何かを考えるように目を伏せた。
「……愛される関係を導いてあげることが、そんなにいけないこと?」
そして、ゆっくりと笑った。その目は、タカセの銃口を恐れてはいなかった。
「価値のない命を生み出すことの方が……それを放置することの方が、よほど暴力よ」
タカセは、すぐには答えなかった。
反論を探していたわけではない。
正しさを証明する言葉など、自分は持っていない。
ただ、一つだけ。
「──ジョウは、面倒な人だった」
唐突な言葉に、マリアの眉が動いた。
「グレイもそうだ」
「おいおい」
アンナの巨体を踏み越え、タカセの背後にまで迫ったグレイが、露骨に顔をしかめた。
タカセは構わず続けた。その声に、揺らぎはなかった。
「レインも、イノウエも。俺も。みんな欠点だらけだし、傷だらけだ。それでも……」
銃口は、マリアから逸れない。
「出会う前から価値が決まっていた人間なんて、一人もいなかった」
マリアの笑みが、わずかに揺らいだ。
「……俺には分からない。何が正しいのかも、誰が幸せになれるのかも」
それは、敗北宣言に似ていた。
理想の命を作ろうとしたマリアに対して、タカセには理想を示すことさえできない。
それでも、口にした言葉に嘘はなかった。
「でも、あなたは最初から決めすぎた」
タカセは、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「生まれてくる前から。誰かと出会う前から。その人間が何になるのかを……俺は決めたくない」
その言葉に、マリアの笑みが歪む。
「……コード・リーパーのくせに。暴力を振るう側の人間が、それを語るの?」
静かに空気が沈んだ。マリアはゆっくりと顔を上げる。
「──地獄に堕ちろ」
タカセは、一瞬だけ目を閉じた。
そして、銃を握り直す。
「……もう、堕ちてる」
・
タカセの指が引き金に触れる。マリアの言葉は、まだ耳の奥に残っていた。
愛される命、愛されない命。選ばれる命、選ばれない命。その境界を、誰が決めるのか。
ジョウの声が、脳裏に蘇る。
──タカセ、生き延びろ。
自分はただ生き残ったわけじゃない。そう思いたかった。生き残ったことには意味が、理由があるはずだと。
だから真相を追った。ジョウが死んだ理由が欲しかった。けれど、ここまで来てようやく分かった。答えなんて、最初からなかったのだ。失われた命に釣り合う理由など、どこにも存在しない。
もしもあの日、ジョウが死ななかったら。自分がコード・リーパーにならなかったら。違う人生もあったのかもしれない。けれど、それはもう選べない未来であり、戻れない過去だった。
タカセは静かに息を吐いた。
ジョウも、カムイも、セシルも、もう二度と戻らない。それでも、彼らが残したものはあった。確かに、繋がった命が。
タカセは、もう独りではなかった。グレイがいる。レインが、イノウエがいる。
最初から決められていた関係ではない。誰かに選別されたわけでも、理想を押しつけられたわけでもない。失った先で出会い、傷だらけのまま繋がった関係。不完全で、面倒で、時にはどうしようもなく腹が立つ。それでも、確かにそこにある繋がりだった。
だから、タカセは銃口を下ろさなかった。マリアを否定するためではない。自分の正しさを証明するためでもない。ただ、自分が選び、繋がってきた命を守るために。
静かに、引き金を引いた。
・
撃ち抜かれた瞬間。
咄嗟に、腹を庇っていた。
理想の愛着。理想の命。
失ったものを取り戻すために、誰かを犠牲にしてきた。
その過程で、マリアは他者を他者として見ることができなくなっていた。
この子さえも。
だから、せめて──
声にならないほど、小さく唇が動く。
──こんにちは、赤ちゃん。私がママよ。
贖罪の、子守唄を。
【next : epilogue…】




