34. 鎮魂歌
白い光の中を、一つの影が跳んだ。
アンナの腕を斬りつけた勢いのまま、空中を横切る。
タカセは目を細めた。逆光で顔は見えない。それでも、誰だか分かってしまう。
「──タカセ!!」
「グレイ!」
響いた声と同時に、空中を一丁の拳銃が回転しながら飛んできた。
鈍い銀色のフレーム。レインが調整したChiappa Rhino。
タカセは飛ばされた物を問わない。見なくても分かる。この状況でグレイが寄越すものなど、一つしかない。
伸ばした手が、回転するグリップを正確に掴んだ。重さを確かめる暇もないまま、そのまま指先で回し引き金を落とす。
乾いた銃声が響く。
「ギャッ!」
アンナの関節が大きく揺らぎ、軌道が逸れた。巨大な腕がタカセの肩先を掠めながら、床へ叩きつけられる。
轟音と共に、砕けた床材と白い粉塵が吹き上がった。
ほんの一瞬その隙間に、グレイが滑り込むようにタカセの隣へ立った。
「──待たせたな」
掠れた声。だが、生きている。
タカセは一瞬だけ目を見開いた。
「グレイ……毒は」
「我らがイノウエ様が、どうにかしてくれたよ」
いつもの軽口。
──生きて戻ってきた。
その事実が、崩れそうだった何かを少しだけ支える。
しかし次の瞬間、それすら踏み潰すように影が落ちた。
アンナの脚。空気ごと叩き割るような一撃。
タカセとグレイは同時に跳ぶ。
グレイはその爆風の縁を滑るように抜け、着地と同時に体勢を殺さずに回る。
「なんだコイツ! イキのいい的だな」
タカセも遅れず着地。視線はアンナから一瞬も外さない。
「アンナ、と呼ばれていた」
「アンナ?」
グレイが短く考え込む。そして、舌打ち混じりに吐き出した。
「……マリアの双子の片割れのことかもな」
「双子?」
「勘だ。アイツ、ガキの頃に姉を手にかけてる」
言葉が落ちた、その瞬間。アンナの腕が振り下ろされ、空気が悲鳴を上げた。
グレイは刃を返し、踏み込んだ。
一閃。
力の流れが切断され、アンナの腕が逸れる。
「とりあえず、動きを止めるぞ!」
その背中を見た瞬間、タカセの中で止まりかけていた感覚が少しずつ戻っていく。
──独りじゃない。
その感覚だけで、照準がぶれなくなる。タカセの視界が一点に収束する。
──肩関節。
呼吸は一度だけ。引き金が落ちる。
弾丸は、逸れかけた肩関節へ正確に吸い込まれた。
鈍い衝撃に、アンナの腕が止まる。
・
生まれた一瞬の間に、タカセはマリアを見上げた。
マリアが自分を「僕」と呼んでいたこと。
アンナという存在。
愛される関係を作る、Hello・Baby。
断片が、線になりかける。
(……そういうことか)
そこまで考えた瞬間、答えになる前に音が割り込む。インカムが通信を拾った。
『タカセ、グレイ、聞こえるか?』
ノイズ混じりの声。レインだった。
少し遅れて、タカセの肩から力が抜ける。
「──レイン!」
声が少しだけ上ずる。戦闘中に出すような声ではなかった。ようやく“戻れる場所”を思い出した声色だった。
レインの通信に、隣でグレイがいつもの軽口を挟む。
「無事に合流したぞ。バディ復活だ」
『──タカセ、いけるか』
レインの短い言葉。しかしその一言の中に、多くのものが含まれているのが分かる。
──まだ壊れてないか。
──まだ戻れるか。
タカセは一度、目を伏せた。唇を引き結び、胸の奥に沈みかけたものを押し戻すように、息を吐いた。
「──ありがとう」
タカセの声に、普段ぶっきらぼうなレインがほんのわずかだけ息を緩める。
『……無茶すんなよ』
ノイズがはしる。通信はイノウエに代わった。
『あんたたち。帰ったら報告書が山程あるんだから覚悟しなさいね』
その声に、グレイは肩をすくめる。
「辛辣ぅ〜」
再び、レイン。
『──近況だ。イノウエがサーバ核を破壊完了。施設機能は順次停止に入る』
空気の奥で、遠く何かが崩れるような振動。それは終わりが始まっている音だった。
グレイが口笛を吹く。
「さっすが」
『もう一つ。condorから最終指令だ』
その単語ひとつで、タカセの背筋がわずかに硬くなる。グレイの動きも一瞬だけ、精度を増す。
『──Hello・Babyの首謀者の抹殺』
空気が冷える。
『母体は実験対象外の可能性が高い。だが保証はない。抹殺対象は胎児も含む』
タカセの視線が、上階のマリアを捉える。
マリアは変異していない。
腹には子どもがいる。
あれは、培養槽のサンプルじゃなければ、名前のない検体でもない。確かに、“生きている命”だった。
(……本当に、これが正しい方法なのか)
正しさという言葉が、急に薄っぺらく感じる。
自分たちがこれから行うことは、“人間が人間を殺す行為”だ。
だが、任務という名前を借りているだけで、やっていることはマリアと同じなのだと、頭のどこかが囁く。
だが別の声が、それを否定する。
──あれを生かせば、また誰かが死ぬ。
一瞬だけ生まれた迷い。その空気を、グレイは背中越しに感じ取っていた。
「タカセ」
押し殺したような、低い声だった。
「──データを消す。全部終わらせる。二度と繰り返させねぇ」
アンナの攻撃を受け流しながら、グレイは続ける。
「それが、死んだ被害者たちと、カムイとセシルにできる……俺たちなりの祈りだ」
タカセの視線が、一瞬だけ上階へ逸れる。
撃てば終わる。理解はしていた。
コード・リーパーになる時に、あの裏路地の夜に、覚悟はしたはずだ。
事件を終わらせるために、腹は括ったつもりだった。
(.......殺す、のか)
彼女は“止まらない意思”そのものだ。
拘束しても諦めない。生かしても終わらない。それが分かっているからこそ、止めるしかない。
頭では完全に理解はしている。それでも指が引き金の前で止まる。
ふと、記憶がよみがえる。ジョウの声。
──汚れ仕事を全部押し付ける場所が必要なんだよ。
──そういう“枠”がな。
その言葉が、今になって意味を変える。
コード・リーパー。
誰かがやらなければならない仕事。それは便利なものではない。正当化していいものでもない。
そのライセンスは免罪符なんかでは無く、責任の引き受け先がない地獄の穴だった。
その時。タカセの迷いを察したのか、グレイが口を開いた。
「タカセ。お前がやれ」
タカセの目が揺れる。
「俺が?」
「そうだ」
銃声の合間みたいな静けさだった。グレイは続ける。
「俺でもいい。今すぐ終わらせられる。でも、それで終わったら──お前はずっと、この事件に囚われたままだ。俺がやったら、お前は“見届けただけの奴”になる。また同じだ」
グレイの声は静かで、断言だった。
「お前はずっと、終われない側に戻る。だから、お前が終わらせろ」
タカセの喉が鳴る。グレイは短く息を吐いた。
「……でも、それを“殺していい理由”にするな」
一瞬だけ、空気が静まる。
「俺たちは、正しいからやるんじゃない。やらなきゃいけないからでもない......やった結果を、引き受ける奴がいないだけだ」
だから。
「正しさで、殺すな」
グレイはアンナへ刃を向けたまま、低く言い切った。
「ただ終わらせろ」
【continue…】




