32. 双子
[Memory Flash / MARIA]
「今日から、施設に新しいお友だちが増えます」
優しく、柔らかな女性の声が落ちる。
「アンナちゃんと、マリアちゃんです」
まばらな拍手が起こる。
「──よろしくお願いします」
「二人で、頑張っていこうね」
「うん」
アンナは優しい子どもだった。
少し泣き虫で、少し怖がりで。それでも、マリアに子守唄を歌ってあげる、そんな子どもだった。
「マリア! お前のせいで......お母さん! うわぁァァァァ」
その日を境に、アンナは時折些細なきっかけで癇癪を起こすようになった。完全にパニックに陥り、闇雲に暴れる。そして決まって同じ言葉を繰り返した。
「マリアのせいだ」
「マリアがやった」
「マリアが」
そのたびに施設の職員が駆け寄り、アンナを押さえ込む。やがて、鎮静処置が施された。
──マリア! お前のせいだ!
── お前のせいだお前のせいだお前のせいだ......
──お前の気持ち、わかるよ
癇癪を起こした時のアンナは、いつものアンナとは別人のようだった。
アンナが不安定になるとき、決まって身体には変化が起きていた。
膣から、血が流れる。
「大人になるってことなのよ」
マリアは、それを知らなかった。職員のその言葉が、どこか遠い国の翻訳みたいに聞こえた。
──月経。
それが異常ではなく正常な変化だと説明された瞬間、世界の前提が一枚剥がれ落ちた気がした。
男児として扱われてきた身体に起きた現象は、理解ではなく否定できない現実としてそこにあった。
──────
タカセは白い廊下を走り抜ける。
またしても何もない。柱も遮蔽物もない、ただ白いだけの空間。その中央でタカセは足を止めた。
「……行き止まりか?」
低く呟いたその瞬間、頭上から乾いた笑い声が落ちてきた。
「こんなところまで追ってくるなんて」
タカセが顔を上げる。
二階層の縁に、マリアが立っていた。
セシルに傷つけられた腕には、荒く包帯が巻かれている。その上にそっと手を当てがいながら、マリアは自嘲するように笑った。
「しつこい男は嫌われるわよ」
タカセはその声を無視すると、マリアに向かって静かに銃を構えた。
「降参しろ」
マリアは小さく首を傾げた。唇が、ゆっくりと歪む。
「降参? 何に?」
タカセの視線は揺れない。
「Hello・Babyの計画を中止しろ。関係のない母子に手を出すな」
タカセの声は低く、感情を押し殺した声音だった。
ごく短い沈黙を経て、マリアは静かに笑った。
「あなたがそれを止める理由は? ただの正義感?」
タカセは答えない。マリアは言葉を重ねた。
「Hello・Babyはやめない。愛されない命と、愛されない関係性は絶つべきなの」
それを言う彼女の声には、憧憬と強い意思が滲んでいた。
穏やかで優しい、聖母の微笑み。しかしタカセは気付いた。その微笑みは、その意思を覆い隠すためのまやかしであると。
──愛されない命と、愛されない関係性は絶つべきなの。
マリアは、その言葉の根にある何かを、決して許していない。タカセは直感的にそう感じた。
マリアは生命を宿した腹に手を置き、穏やかな声のまま続ける。
「そのために、多少の犠牲は必要よ」
「……ふざけるな」
タカセは息を短く吸い込んだ。胸が悪くなる。しかし、マリアは笑みを崩さない。
「ふざけているのは、あなたよ」
場違いなほどの余裕に満ちた、事態を完全に楽しむような声だった。
「私がしていることと、あなたたちがしていることの違いは何? あなたたちコード・リーパーも同じでしょう? “人殺しが許されたライセンス”を盾に、人を殺している……」
その問いに、タカセの目が細くなる。マリアはまるで答え合わせでもするみたいに続けた。
「殺す、殺さない。救う、見捨てる......全部、あなたたちの判断。それって、“命の選別”じゃないの?」
タカセは黙ったまま、マリアを見上げていた。
反論の言葉はあるはずだった。だが、どれも途中で形を失う。何をどう言うべきか分からなかった。倫理という単語があまりに軽く、正義という言葉も薄っぺらく感じた。
赤い部屋とジョウ。カムイに、セシル。
守れなかった命。切り捨てた命。その全部が、一瞬だけ脳裏を過ぎる。
マリアの顔が無表情に戻る。そしてゆっくりと指を鳴らした。乾いた音が響く。
「出てきて、アンナ」
その声だけが、急に柔らかくなる。
「僕を守って」
その言葉に、タカセの眉が動く。
(……アンナ?)
違和感。それに──
(……“僕”?)
次の瞬間、ずるり、と。引き摺るような音が聞こえた。マリアの背後、暗闇の奥から巨大な白い腕が覗く。
(──セシルを握り潰した奴か......!)
現れたのは、白い巨大な肉体だった。
胎児を無理やり引き延ばしたような、歪な身体。手足は異様に長く、関節は本来あるべき位置からずれている。人間の形をしているはずなのに、どこを見ても人間の身体として成立していなかった。
口も鼻も、形を成していない。ただ、人間の顔を真似て作られた失敗作のような空洞があるだけ。白濁した液が染み出ている。
(──こいつも、あの胎児たちと同じ実験体か?)
巨体の濁った瞳がゆっくりと瞬きをしたその瞬間、タカセの背中が冷えた。
今までの個体とは決定的に違う。目の前のそれは、ただ動いているだけではない。明確な意思を持っているように見えた。
マリアは、巨大な白い身体にそっと触れる。その仕草は、ひどく愛おしげだった。
「やっと会えたんだ。僕のアンナ」
巨大な白の瞳が、ゆっくりとタカセを捉えた。そして──笑った。
【continue…】




