31. 二人の戦場
グレイが走り去った後。
「......全く。アイツは相変わらずだな」
レインは、グレイがもたれかかっていた壁へ視線を向ける。ふと、わずかな機械音が聞こえた気がした。
「……待て」
壁面に不自然な継ぎ目。その継ぎ目の奥から、低い駆動音が周期的に漏れている。
イノウエもすぐ気づいた。
「隠し扉……?」
電磁パルス発生器を取り出し操作する。次の瞬間、壁が低い駆動音を立てて横へ開いた。
その先に広がっていた光景に、レインの表情が止まる。
「……なんだよ、これ」
レインの言葉が途切れる。
──無数の培養器。
透明な液体の中で、白く引き延ばされた“もの”が揺れている。胎児だった面影だけを残した異形。
培養器から伸びる無数のケーブルは、壁や床を這い、部屋の中央に設置された巨大なモニターへと集まっていた。無数の培養器も、壁や床を埋め尽くす機械も、すべてがそのモニターにつながっている。
まるで、この部屋の全てがひとつの巨大な装置の一部であるかのように。
イノウエは小さく呟いた。
「……ここ、この施設の核ね」
その声に、レインが低く吐き捨てる。
「……コイツら、奪われた胎児か?」
イノウエは静かに首を振った。その声には、怒りよりも深い拒絶が滲んでいた。
「もう、胎児じゃないわ……生命として扱われなかった時点で、これはもう“研究材料”よ」
イノウエの顔が歪む。研究という行為が、どこまで人を踏み外させるのか。彼女は知っている。だからこそ研究者としてではなく、人間として吐き気がした。
イノウエは中央モニターの前へ進む。
「……ここの研究データを消して、培養器を含む施設全体を停止させれば──全部止まる」
レインは短く息を吐く。
「逆に言えば、ここが止まらなきゃ全部終わらねぇってことか」
イノウエはアタッシュケースを開き、コード接続用の端子を取り出した。
「……こんなこと、絶対に繰り返させない」
接続。瞬間、モニターへ無数のウィンドウが走る。研究データ。培養ログ。遺伝子配列。
被験体コード……イノウエの指が高速で走った。
削除。上書き。強制停止。ファイルを消していくたびに、誰かの人生が画面から消えていく気がした。名前もない、記号だけになった赤ん坊たち。
目の前にいる彼らを救う手立てはなかった。命の形を作り変えられた彼らを前に、自分の技術ではどうすることもできない。その限界が、情けなくて、悔しかった。
記録を消すことは、彼らが何者だったのかを証明する手段まで奪うことになる。そんなことはわかっている。痛いほど、わかっていた。
それでも、今の自分にできることはこれしかない。持てる武器は、これがすべてだった。
──せめて、二度と利用されないように。
その一心で、イノウエは指を止めなかった。
レインが周囲へ視線を巡らせる。
「派手にやってんな……」
その瞬間、けたたましい警告音が鳴る。それと同時に、培養器の液面が揺れた。
レインの目が細くなる。
「……来るぞ」
──培養器のロックが外れる。中から、白いものがずるりと這い出した。
培養器から這い出してきた白い異形。その姿には見覚えがあった。タカセたちの交戦データに記録されていた個体だ。
目の前のそれはデータより明らかに小さい。
しかし、サイズこそ違えど人間の形を歪めたような姿は、やはり異様だった。
レインはゴーグルを目元へ下ろし、拳銃を抜く。
「笑えない冗談だな」
一体がイノウエへ飛びかかると、レインは素早く、銃口を向けた。
乾いた銃声が響く。
白い頭部が弾け、液体を撒き散らしながら崩れ落ちる。だが次が来る。床を這い、壁を掴み、歪な手足で距離を詰めてくる。
レインはイノウエの前へ立つ。
「ハッキング、あとどれくらいだ!」
「黙ってて、集中してる!」
モニターのウィンドウが次々開く。想定より多い。想定より深い。この施設は、思っていた以上に巨大だった。
レインは苦笑混じりに息を吐く。
「はいはい、怖ぇ怖ぇ」
再び発砲。白いものが吹き飛ぶ。その横で、さらに一体が床を這い寄ってくる。
レインは一瞬だけ視線を落とす。
(……弾が足りねぇ)
撃てば倒せる。だが数が多すぎる。計算するまでもなかった。先に弾切れになる。
──なら別の方法を探す。
(倒しきることを考えるな)
レインは撃ちながら、床へ転がったコード束を蹴り上げた。露出した高圧ケーブルが火花を散らす。白いものが触れた瞬間、肉の焼ける臭いとともに痙攣した。
「よし、効くな」
自分はただの研究員、武器職人。戦闘訓練なんて受けていない。射撃訓練も最低限。接近戦なら数秒で終わる。
──それでも前に立つ。
今ここで後ろへ下がれるほど、自分は器用じゃないし、見過ごせるほど薄情な訳でもない。グレイが、タカセが、イノウエが。それぞれの戦い方で必死に戦っている。なら自分もそうする。理由は驚くほどシンプル。仲間だから。
モニターの光がイノウエの横顔を照らす。
銃声がレインの鼓膜を揺らす。
一人はデータを殺していた。一人は怪物を止めていた。
戦場は違う、武器も違う。それでも目的は同じ──もう誰も、この場所で犠牲にしない。
そのためだけに、二人は戦っていた。
【next・The Final Chapter 】




