↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/50

29. 置いていく理由


 グレイは腕の中のセシルを、そっと地面へ下ろした。崩れないように。もう支える必要もないように。静かに手を離す。


 カードキーを握り直すと、タカセが閉じ込められている檻の制御端末へそれをかざした。


 認証音が短く鳴る。


 ──解除。


 重い金属音とともに、檻のロックが外れていく。


「……出られるぞ」


 タカセはすぐに檻の扉を押し開けた。


 二人は一瞬だけ、その場に視線を落とす。セシルはもう動かないまま、そこにいた。


 誰も言葉を出さなかった。


 そして──


 二人はほぼ同時に視線を切ると、何も言わずにマリアの消えた通路へ走り出した。



・


 しかし数歩進んだところで、グレイの足が止まった。


「っ……」


 乾いた咳。次の瞬間、喉の奥から血が溢れる。


「グレイ!」


 タカセは振り返り、グレイに駆け寄る。

 グレイは口元を拭うこともせず、銃を握り直したまま前を睨んでいた。


 だがその視線は、もう焦点が定まりきっていない。足取りが明らかに遅い。


「……くそ……回りやがって」


 低い声は吐き捨てるようでいて、力がない。

 タカセはグレイの肩にそっと手を置いた。


「……グレイ、座っててくれ」


「バカか」


 即答だった。


「行くに決まってんだろ」


 その言葉の直後、グレイは再び咳き込む。今度は抑えきれず膝が折れかける。


「……っ、くそ……」


 壁に手をつき、どうにか身体を支える。呼吸が浅い。明らかに、限界が近い。


 タカセはその様子を見たまま、言葉を失う。

 また同じ光景を見ている、と一瞬だけ思った。もう二度と繰り返したくないはずの。


 息が浅くなる。喉がカラカラに乾いていた。指先が無意識に震える。どうしようもなかった。──駄目だ。駄目なんだ。


「……グレイに、死んでほしくない」


 口から溢れでた瞬間、自分でも驚いた。こんな言葉を口にするつもりなんて。それでもタカセは自分の気持ちを無かったことにできなかった。それはあまりにも弱くて、幼くて、個人的な願い。


 グレイは一瞬だけ動きを止める。


 そして、ゆっくりと壁にもたれかかった。そのまま座り込むように崩れる。


「……知るかよ、そんなの」


 掠れた声だった。目を開けているのもやっとの状態で、それでも銃だけは手放さない。


 タカセは数秒、その場に立ち尽くした。


 拳がわずかに震える。指先に力を込めても、それは止まらなかった。


 ──置いていく。


 その言葉だけが頭の奥で反響する。


 理屈は分かっている。マリアを追わなければならない。今ここで立ち止まれば、カムイやセシルが命を賭けて繋いだ時間も無駄になる。


 それでも足は動かなかった。


 目の前にいるのは、戦力ではない。タカセをずっと支えていた仲間だ。ようやく手に入れた、失いたくないものだった。


 タカセは唇を引き結んだ。奥歯を噛み締め、そして視線を上げた。


 奥へ続く通路。


 マリアの気配はまだ消えていない。


 タカセは一歩踏み出した。そして、背中越しに短く言う。


「……必ず戻る」


 返事は待たなかった。


 そのまま一人、闇の奥へと消えていくように走り出した。



・


 ──ジョウを失ったあの頃は、一人だった。


 彼の死の真相を知るために。コード・リーパーになるために。ただ前へ、がむしゃらに進むしかなかった。


 一人で生き残ってしまった。どうして俺だけが。どうして俺なんかが。本来、俺が死ぬべきだったんじゃないか。俺よりも生きるべき人はいたんじゃないか──。

 俺の命を、ジョウに返したい。そんな感覚だけが、ずっと身体の奥に沈殿している。


 生き延びてしまったことに理由が必要だと思った。それ以外の何かを持つことを自分に許したことはない。


 ──でも、もうあの頃とは違う。


 グレイと出会って、イノウエとレインと出会って。

 自分には待っている人が、帰る場所がある。そこに戻るために「生きていいんだ」と、そう思いたかった。そう思わなければ、足が止まる気がした。


 タカセは走りながら震える指先でインカムに触れる。


 ──まだ終わっていない。グレイも生きてる。一緒に帰る。そう約束しただろ。だから、まだ終わっていない。


 声に出さずに、何度も何度も繰り返す。


 通信を開く。


「──イノウエ、聞こえるか」


 ノイズが走る。


『ええ。通信障害区域を突破したのね』


 赤い部屋では、通信が遮断されていた。イノウエの声が妙に懐かしい。返ってきたその声に、不覚にも目の縁がチリチリと熱くなった。

 この地獄みたいな状況の中で、まだ変わらないものが残っている気がした。


 だがイノウエが何も察していないはずがなかった。


 通信の途絶や交戦時間。共有される情報。ここまで来れば、状況が最悪に近いことくらい分かっているはずだ。


 それでもあえて平静を崩さない。多分、こちらのために。その普通さが少しだけ救いになる。


「──戦況がだいぶキツイ」


 少しの沈黙。


『……状況は?』


 タカセは息を飲む。喉が妙に乾いていた。


 数分前まで生きていた。話もしたし、目も合っていた。だが今はもう違う。その事実を口にした瞬間、本当に終わってしまう気がした。


 それでも言わなければ前に進めない。一人で抱えたままでは、もう間に合わない。タカセは顔を歪めた。


「……カムイとセシルは死んだ。グレイは毒が進みすぎてる」


 ひどい声だった。通信の向こうが静かになる。


 イノウエは言葉を探しているのではない。たぶん、受け止めている。聞いた事実を。失われた名前を。


『……解毒剤。解析と生成ができたから。今レインとそっちに向かってる』


 イノウエは慰めも励ましもしなかった。代わりに必要な情報だけを伝える。今のタカセに必要なのは、まだグレイを助けられるかもしれないという事実。彼女はそれを理解している。


 いつだってそうだった。感情を無視しているわけじゃない。今この瞬間に何が必要なのかを誰より分かっているだけだ。


「……すまん、俺のせいだ」


 言った後で、何に対して謝っているのか、もう自分でも分からなかった。


 守れなかったことか──それとも“まだ生きている側にいること”か。


 だがイノウエは即座に言葉を返す。


『なに謝ってんの。それは違うでしょ』


 軽い声だった。それでも、やるせなさ、口惜しさ、悲しみ。抱える感情が、淡々とした声の合間に覗く。


「──危険は侵さないでくれ」


 言った後で、それがただの願いだと気づく。今の自分には、それ以上の言葉が出てこなかった。


『いざとなったらレインに手榴弾でも投げてもらうわ』


 その一言で、ほんのわずかに空気が緩む。

 いつも通りの軽口。それでいい。今ここで声を震わせられたら、たぶん自分も立っていられない。


 タカセの口元が、ほんの一瞬だけ動く。笑いにもならない、短い呼気。それでも、確かに生きている感覚が戻ってくる。


「……頼む」


 短くそう言って、通信を切る。


 タカセは走る。


 一人ではないと、もう一度確かめるように。





【continue…】


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。