24. 五発
【左ルート ── グレイ / セシル】
異形と化したゼンが、通路の中央で頭を抱えていた。
「ァァ……ああああッ──!」
叫び声が白い研究施設に反響する。変形した腕が壁を抉り、床には黒い血が飛び散っている。
グレイとセシルは素早く物陰へ滑り込む。グレイが息を潜めながら呟いた。
「……ありゃ、もう話通じなさそうだな」
セシルはゼンから目を離さない。
「意味が分からない……何が起きてるの……?」
セシルはそのままインカムに触れる。
「イノウエ、応答して」
しかし応答は無く、ノイズだけが返る。グレイは小さく舌打ちをした。
「とにかく処理しねぇと──」
言葉の途中で、グレイの呼吸が一瞬乱れる。
「がっ……!」
喉の奥から押し出されるような咳。ぽたぽたと赤い血が床へ落ちる。肩が震え、額には薄く汗が滲んでいる。
セシルが目を見開いた。
「グレイ!?」
グレイは壁に手をつきながら荒く息を吐く。腕の傷口は黒く変色し始めていた。
「……掠っただけかと思ったが......毒性っぽいな、これ。喰らえばアウトなんて、ハードモードすぎんだろ」
苦く笑うグレイとは反対に、セシルの表情が固くなる。
「……そんな」
グレイは荒い呼吸を整えながら、セシルの背中を見る。
そこに背負われていたのは、DMR──セミオートライフル。中遠距離用の長物。連射よりも判断を要求するタイプ。
グレイがそれを見て、軽く息を吐く。
「......ライフルか。いいの持ってるじゃん」
グレイがゆっくり立ち上がり、口元を吊り上げた。
セシルが眉をひそめる。
「あんた、何を──」
グレイは軽く首を鳴らした。その動きひとつで、喉の奥が熱く軋む。
「お姉サマ、短期決戦だ。俺が奴の目を引く。遠慮なくかませ」
言いながら、喉の奥に血の味が滲んだ。
咳き込みそうになるのを、歯を噛んで押さえ込む。
「そんな──その状態じゃ無理よ!」
「やるしかねぇだろ……ただ俺に当てんなよ。ハタチそこらで死にたくねぇからな」
「ちょっとっ……!」
セシルが口を開いた時にはもう、グレイは物陰から飛び出した。
それが合図だった。
・
グレイがゼンへと向かって真正面から突っ込む。
ゼンが反応する。異形の腕が不乱に振り抜かれた。
グレイの背中を見ながら、セシルは舌打ちをする。
「……無茶苦茶なんだからっ!」
セシルも同時に動き、射線確保のため横へ走る。しかし、ゼンの刃がセシルへ向いた。
「ッ──!」
その瞬間、グレイが割り込んだ。
「女の尻追いかけてんじゃねぇよ!」
ナイフが閃く。刃と刃がぶつかり、火花が散った。
セシルが物陰に転がり込み、ライフルを構える。
グリップを握り直す。肩当てを深く差し込み、ストック位置を調整する。
呼吸を一度、止める。
スコープ越しの視界に、グレイとゼンの動きが交錯していた。
セイフティを解除。マガジンの残弾を無意識に確認する。
──五発。
トリガーに指をかけ、発砲。
弾丸はゼンの脚に吸い込まれた。ゼンは咆哮するが、それでも動いている。
続けて発砲。弾丸は床と壁を削るだけ。
セシルは苛立ちに任せて舌打ちをした。
(──クソ。動きが速すぎる……いや、違う)
グレイは射線を潰していない。むしろ──作っている。ゼンの軌道を逸らし自分は決して射線上に残らない。
そして同時に、もう一つ。
セシルのいる位置へ絶対に刃の線が伸びないように、ゼンの踏み込み角度を微妙に外へずらしている。
──撃てる状況を、作られている。
それなのに、セシルの弾丸は急所を捉えきれない。
発砲。弾丸がゼンの腕を抉る。黒い血が散るが、巨体は止まらない。
「ッ……!」
さらに撃つ。今度は外れた。床を砕き、壁へ火花が散る。
(なんで当たらないの)
無意識に呼吸が浅くなり視界がブレる。それなのに、グレイは毒を受けているはずの身体で、むしろ戦場の流れを握っていた。
(……何よ、それ)
軽薄で、雑で、適当な男だと思っていた。なのに今、置いていかれているのは自分の方だった。
「……っ」
セシルの眉がわずかに動く。再び一歩横へ。
足場を変えるため、瓦礫を蹴る。
もう一度、一直線に揃え直す。呼吸を止める。
(……私、焦ってる)
それと同時に。グレイの戦闘適応力に、初めて明確な驚きを覚えていた。
この男は──実戦の中で、生き残ってきた人間だ。
・
肺の奥が焼けるように熱い。
「っ、は……」
グレイは浅い呼吸を繰り返しながら、ゼンの刃をいなす。
変異した腕が壁を裂き白い床を抉る。金属音と火花が散った。
(……動き回ってるせいか)
グレイは舌打ちした。
(毒の回り、速ぇな)
腕の傷から熱がゆっくりと全身へ広がっていく。指先がじわりと遅れて痺れた。
視界の端がわずかに滲む。その中でも、グレイは一瞬だけセシルへ視線を向けた。
セシルの弾丸はゼンを捉えきれない。破壊音だけが散っていく。
グレイは歯を食いしばった。
(……当てにいけてない)
今の自分は、攻撃よりも軌道制御に集中している。ゼンの刃を捌きながら、セシルの射線が生きる形を維持する。それだけで手一杯だった。
(あいつ、焦ってる)
視界の端で、セシルの動きがわずかに硬いのが分かる。呼吸が噛み合っていない。
(……無理もねぇか)
ゼンの腕が唸る。グレイは身体を捻って回避するが、掠める風圧だけで皮膚が裂けた。
(──消耗戦は、明らかに不利だ)
グレイの指先が腰へ触れる。
レインから渡されたSmith & Wesson。五連リボルバー。
装填数は五発。
(リロードする隙は無ぇ)
──じゃない。
(五発で終わらせる)
銃把を握る。
(決めるしかねぇよな)
・
一方、セシル。
スコープ越しにグレイの姿を見る。いくら戦場の流れを作っているとはいえ、毒を受けた身体は長く持たないはずだ。
(──冷静になれ。早く決着をつけないと……グレイが)
その名前が浮かんだ瞬間、思考がわずかに濁る。
その瞬間、インカムにノイズが奔った。
『──セシル、聞こえる?』
イノウエだった。
セシルは即座に応答する。
「交戦中よ。手短に」
銃声、火花、金属が裂ける音が通信と混ざる。
『データ解析であらかた予想はついた。今回、condorが追っていたのは“妊娠設計”の方じゃない──本命は“培養遺伝子”の研究よ』
セシルの眉がわずかに動く。
「なるほどね」
『Hello・Babyで培った技術は、人間兵器へ転用可能なレベルまで進んでいた。ただ、敵の目的がまだ分からない……待って、今あなたたちが交戦してるのは、もしかして──』
「お察しの通りよ。これが人間兵器と捉えていいは分からないけど」
セシルが低く返す。
地図を構成するために四人の装備に搭載された小型センサー。それがゼンの異常熱反応を拾い続けている。
人間の反応ではないそのデータが、今この瞬間もラボへ送られている──セシルの思考が遅れて追いつく。
(condorは最初から、こういう個体を想定していた?)
喉の奥が乾く。
生物兵器の存在証明。
そのための潜入。そのための自分たち。
──捨て駒。
その単語が、ようやく形を持って脳裏に浮かぶ。
黙り込んだセシルを慮るようにイノウエは静かにそれを否定した。
『……セシル。condorは、あなたたちを意図的に送り込んだわけじゃない』
短い沈黙。
『それだけは、信じて』
「だったら倒し方を教えなさい」
ゼンの咆哮が響く。
「生物兵器生成を追ってたんでしょ?」
ライフルを構え直す。
「核はどこ」
一瞬、ノイズが走る。それから、イノウエが短く答えた。
『臍帯の可能性が高い』
セシルが目を細める。イノウエは続けた。
『私の経験上の推測で申し訳ないけど──胎児培養の基礎は臍帯接続。なら兵器転用後も、中枢構造はそこに残る可能性が高い』
セシルはゼンを見る。
膨れ上がった筋肉。異形の腕。目を凝らしても臍帯らしいものは見当たらない。
「臍帯って……臍でしょ? そんなもの見当たらないわよ」
通信越しにキーボードを叩く音が聞こえる。
『中枢構造を体内のどこかに仕込んでいるのかも……待って、センサーで捉えた……臍帯は一つ。体内を泳ぐように移動してる』
「そんな無茶苦茶な……」
(早くグレイに伝えないと──)
向こうで交戦しているグレイへ通信を繋げようと、セシルはインカムに手を伸ばす。しかし。
「──あいつ、インカム落としてる」
『グレイが?』
イノウエが一瞬だけ沈黙する。遠くで何かのログ音が鳴る。
『……本当に落としてるわね』
「......どうしよう」
わずかな間のあと、イノウエの口調が少しだけ緩む。
『あの人、こういうときは自分で状況を作るタイプよ』
セシルの眉が動く。
『だから大丈夫』
・
グレイはゼンの攻撃を避けながら、全体を観察していた。
「っ……は……」
浅い呼吸を繰り返しながら刃をいなす。金属がぶつかる乾いた音と共に火花が散る。
(どこだ……)
息を吸うたびに胸の奥が焼ける。それでも視線だけは冴えていた。
さっきから、ゼンが踏み込むたびに首元だけがわずかに遅れて動いている。
(……違う。筋肉じゃねぇ)
生きた管が内部を泳いでいるみたいに、皮膚の内側で何か長いものが蠢いている。
違和感の芯を見つけた瞬間、周囲の音が一段遠のく。グレイの直感がそこで確信に変わる。
(そこか!)
ゼンの咆哮も自分の荒い呼吸も、全部が薄い膜の向こう側に沈む。
全ての音が遠のく。
身体の痛みも、毒の重さも、その瞬間だけ消える。
腰の銃に手をやる。
(……ここで終わらせる)
振り下ろされる一撃へ、グレイは半歩強引に踏み込んだ。間合いを潰す。身体が悲鳴を上げるが、それでも止まらない。
銃を構える。── Smith & Wesson。
世界の輪郭が一点に収束する。
「……終わりだ」
引き金を絞るその瞬間。時間が確かに遅くなる。
発砲。
弾丸は狙った一点へ吸い込まれるように走る。
次の瞬間。ゼンの動きが完全に止まった。
皮膚の内側から、首元から飛び出した“臍帯”が床を跳ねる。
「ギィィィアアアアア!!」
絶叫と共に制御を失った身体が軋み、崩壊していく。
巨大な影が力を失って床へ沈むと、白い空間が静寂に飲まれた。
【continue…】




