22. バーバ・ヤーガの城②
白い光に照らされた無機質な廊下。その静けさの中で、イノウエの声だけがインカム越しに落ちる。
『聞こえる? 進捗はどう?』
グレイが軽く肩をすくめる。
「ラボまでとは言わねぇが、だいぶ“研究施設”って感じだな」
少し冗談めいた声。だがインカム越しのイノウエは笑わない。
『城の地下の正確な設計図は存在しない。だから今、あなたたちの装備に付いている小型センサーを使っている』
イノウエの声は淡々としているが、その裏に緊張がある。
『地面・壁・空気中の微細な物質反応を拾って、それをリアルタイムで再構成しているの。こちらで“おおよその構造図”にしてるわ』
タカセが廊下の奥を見る。
「つまり……地図を作りながら進んでいる状態か」
『そう。完全な地図じゃない。だけど、無視して進むよりは安全──』
数秒の沈黙の後、インカムに微細なノイズが走る。イノウエの声が一瞬だけ揺れる。
『……右側。熱反応が異常に密集している』
タカセの視線がわずかに動く。
「密集?」
『人間の動きじゃない。生体反応の“塊”みたいになってる』
カムイが眉をひそめる。
「生体反応の塊……かなり不気味だね」
イノウエは間を置いた後、続ける。
『その地点を中心に、左右へ二つのルートが分岐している。構造上、同時進行は不可能。どちらかに分かれる必要があるわ』
静寂が落ちた次の瞬間。天井側の構造が低く唸った。
頭上の上、格子状の遮断壁が落下する。同時に、背後でも同じ音が響いた。鉄格子が落ちてくる。
「ッ──!」
重量そのものが叩き落ちてくるような速度に、カムイが咄嗟に前へ踏み込む。タカセは右へ。グレイとセシルは反射的に左側へ飛ぶ。
鉄格子が床へ激突した。重い衝撃が廊下全体を震わせる。
廊下は前後を閉ざされ、さらに左右へ切り分けられた。まるで最初から、侵入者を閉じ込めるために待っていたように。
タカセとカムイは右側。
グレイとセシルは左側。
カムイが鉄格子を掴む。
「くそ……!」
だが揺らがない。セシルが冷静に分析する。
「力じゃ無理。解除キーか、別ルートしかない」
グレイが舌打ちする。
「最初からこういう設計かよ」
イノウエの声が静かに落ちる。
『想定外ではないわ。むしろ……分断前提の構造ね』
タカセは廊下の奥を見る。その先。右ルートは、わずかに赤い光を帯び始めていた。白い無機質な光の奥に、じわじわと滲むような赤。まるで警告のようだった。
カムイが低く言う。
「……行くしかないか」
タカセは一度、鉄格子越しにグレイを見てから、そして頷いた。
「別ルートで合流する」
「はいよ」
タカセの声に、グレイは短い言葉で返す。
タカセとカムイ、グレイとセシルは歩き出した。
・
【左ルート──グレイ・セシル】
鉄格子の向こうへ、タカセたちの姿が消える。
その背中を見届けた後、グレイは舌打ち混じりに頭を掻いた。
「……最悪の組み分けだな」
「同感。あなたが足を引っ張らなければいいけど」
「はいはい、お姉サマは今日も辛辣で」
軽口の応酬。だが、二人とも足は止めない。
一定間隔で並ぶ照明の下、無機質な白い廊下を進む。機械の駆動音が低く唸っている。まるで施設そのものがまだ生きているとでも主張するように。
ある扉の前で、セシルが足を止めた。
「……ここ」
半開きの扉。グレイが横から覗き込み、小さく眉を寄せる。
「うわ」
そこは手術室だった。終わった後の空気だけが残っている。
空の培養器。内部の液体だけが抜き取られ、透明なガラス面には乾いた汚れが張り付いている。
手術台。床へ流れた血液はすでに黒く変色していた。足元には使用済みの注射器が散乱している。
薬液の匂い、鉄臭さ、消毒液。それらが混ざり合い、鼻の奥に残る。
グレイが眉をしかめる。
「……趣味悪ぃな」
セシルは無言のまま室内に入る。その視線が、壁の一角で止まった。
大量の写真。女性たちの顔写真。エコー写真。壁一面に無造作に貼られている。
グレイが近づく。
「またこれかよ……」
その途中。机の端に一冊のノートが置かれていた。無地のシンプルな表紙。ずいぶん使い込まれているようで、端はへしゃげ色褪せていた。
グレイが手に取る。
「なんだこれ?」
ページをめくる。そして、「げっ」顔がわずかに歪んだ。
セシルが視線だけ向ける。
「何」
グレイは数ページを流し見してから、低く読む。
────
【diary】
ぼくのこと、すきじゃなかったお母さんをころしたのに
だれも、ぼくのことをあやしまなかった
けいさつの人は、知らない人がやったことにした
ぼくは、お兄ちゃんといっしょに、しせつでくらすことになった
お兄ちゃんは、ぼくのことわかってくれる
やっと、ふつうにくらせるとおもった
なのに
お兄ちゃんは、ときどきこわくなって、僕をどなった
「おまえがわるい」って言った
お兄ちゃんを見て、しせつの人は
お母さんがいなくなって、かなしいだけだよって言った
でも僕にはわからなかった
僕は、お母さんにどなられて、たたかれて、ベランダに出された
寒くて、こわかった
だからころしたのに
お兄ちゃんは僕のことを見てくれた
やさしかった
こもり歌を歌ってくれた
だから、どうしてそんな目でぼくを見るのかわからなかった
お兄ちゃんは、たまに血を流していた
しせつの人は、それは大人になることだって言った
でも僕にはわからなかった
だって、何もおしえてもらってない
─────
数秒の沈黙。グレイがノートを閉じると、セシルが無言で手を差し出す。グレイは短くため息を吐き、素直にノートを渡した。
セシルはページを数秒読む。表情は変わらない。だが、ほんの僅かに視線が細くなる。
「創作……かしら」
「まぁ、信じる信じないはともかく。ノートに書かれたことが事実と仮定して調べてみるか」
「……この創作めいた日記が一連の事件に関連してるとでも?」
「そう前提を立てなきゃ話が進まんだろ」
グレイの声に、セシルは何も返さずインカムを起動させた。
「……イノウエ」
『こちらイノウエ。聞こえてるわ』
「日記を発見した。今回の件に関係している可能性があるわ。データを送るから、調査して」
数秒後、イノウエの声。
『……わかった』
通信の向こうでキーボード音が鳴る。グレイは壁の写真群を見上げながら言った。
「“僕”ってことは男児の日記か」
エコー写真を指先で弾く。
「……ゼン・ウィルソンでビンゴじゃねぇか?」
その瞬間。
部屋のどこかで、微かに機械音が鳴った。
静まり返った手術室の奥。暗い通路の向こうで、何かが動いた気がした。
・
【右ルート──タカセ・カムイ】
「セシルと……グレイは大丈夫だろうか」
伸びる無機質な廊下を進みながら、カムイは唸る。そんな彼をタカセは横目で見た。
「爆弾コンビだからな。喧嘩してないといいが」
「そうだな……それもそうなんだが」
カムイが頬をかく。
「グレイはその……いい男だからな」
タカセが目を細め、首を傾げる。
「今の状況で言うことか、それ」
カムイは一瞬だけ言葉に詰まり、誤魔化すように笑った。
「ははは……いや、こういう時ほど気になるだろ」
その軽さが逆に空気に浮いた。軽口とは裏腹に、進むほどに空気が変わっていく。
壁面の白は徐々に鈍くなり、赤を帯び始める。
カムイが低く呟く。
「……嫌な感じだな」
その先。廊下の奥に、最初の部屋が見えた。
扉は開いている。中から漏れているのは──赤い光。
タカセの足が止まる。
(またかよ......)
中を覗く。人の気配は無い。そこにあったのはただの研究室ではなかった。タカセとカムイは中に入ると、部屋を見渡した。
大量の培養器。透明な円筒状の水槽が整然と並んでいる。その中に浮かんでいるのは──
まだ形になりきっていない生命体。
一つの培養器に二人の白い胎児が、浮いていた。
しかしそれは、胎児というには歪すぎた。
白く引き延ばされた肉塊。顔はまだ、人の形になっていない。
培養器にはラベルが貼られている。
『Sample A105』
白いものが入った培養器がいくつも並んでいる。同じ形をしているはずなのに、ひとつとして同じ状態ではなかった。
白さを保ったまま浮かぶものもあれば、内側から崩れ、赤黒く濁っているものもある。
カムイの表情がわずかに固まる。
容器の中の向かい合う白い胎児を見て、タカセはイノウエの言葉を思い出した。
「......双子、か」
視線だけが動く。
手術台の上には、培養器から取り出された胎児だったものが転がっている。
白い身体は引き裂かれ、元の形だけがかろうじて残っていた。
さらに奥には円錐状の透明槽があった。
胎児用の培養器とは異なり、その内部は放棄されている。ガラス面には黒く変質した付着物がこびりつき、長い時間放置されていたことだけが分かる。
中はさらに異様だった。腐敗した液体の中に、人体の一部が無秩序に沈められている。
足、腕、首、胴体。
形だけを残したまま、分解されたものが詰め込まれていた。
四肢を失った胴体には衣服がそのまま残っている。胸元には部隊章が縫い付けられていた。潜入したまま消息を絶った部隊の成れの果てだと、タカセは遅れて理解した。胸が悪くなる。
『Sample : Unnecessary』
「……最悪だな、ここ」
カムイは絞り出すようにして言う。その声は怒りで震えていた。
あまりにも無惨な光景に、タカセの顔がわずかに強張る。
その瞬間、ジェネシス・アークのパーティー会場でマリアが語っていた言葉が、脳裏をよぎった。
──望まれない命を身勝手に産み落とす人はいるの。生まれてきた子どもを、ちゃんと見れない人もいる──それで虐待されて、壊れていく子もいる。そんなの減らしたいじゃない。
── 理想と現実は常に乖離だらけよ。それを埋めるために技術があるだけ。
「これが、Hello・Babyの……実験、なのか」
赤い光が、二人の影を壁に長く伸ばしていた。
【continue…】




