20. 帰る場所
カムイとセシルが別行動に入った後。イノウエの部屋に戻ると、静けさの中心にレインがいた。
無言のまま、テーブルの上で銃を調整している。オイルの匂いと金属が触れ合う小さな音だけが部屋に落ちていた。
グレイが扉を閉めながら目を細める。
「帰ってきてたのかよ」
レインは視線を上げないまま、短く答える。
「遅い」
「おかえりの一言もねぇのかよ。寂しいやつだな」
グレイの小言に返事はなく、カチャ、と金属音だけが返ってくる。グレイはソファに沈み込み続けた。
「で、エミリちゃんとはどうなったんだよ」
「エミリちゃん?」
イノウエがグレイの顔を覗き込むと、グレイはニヤリと笑った。
「それがさぁ〜」
レインは手を止めると、グレイの話を遮った。
「……今、その話はするな」
グレイは「おっ」とだけ言って肩をすくめる。
「図星か」
「レイン、遠慮なく話してくれ。俺は聞きたい」
「そうよ、レイン。私たちの仲じゃない」
「お前らなぁ……タカセも悪ノリするな」
レインは呆れたようにため息を吐いた後、顎で机を差した。タカセの銃──PythonとGlock。
「軽く調整をかけておいた。前よりも狙いやすいはずだ」
タカセは静かにそれを手に取る。グリップを握り直しわずかに重心を確かめる。スライドを引くと乾いた金属音が鳴った。
タカセはほんの一瞬だけ目を細めた。
「ありがとう」
レインは短く頷く。
「グレイも一丁持っとけ。接近の方が得意だろうが無いよりはマシだ」
差し出されたのは、小型のリボルバー。グレイはそれを受け取ると、くるりと指先で回し、掌の中で重さを転がすように確かめた。
「Smith & Wesson じゃねぇか。粋だな。軽い割に、ちゃんと鳴きそうだ」
イノウエはデスクへ向かうと、慣れた手つきでスイッチを入れた。ハードディスクが低い振動音を響かせて唸る。画面が次々と浮かび上がり、モニターの明かりがイノウエの横顔を照らした。
「補給の準備と……後は通信も一本化にしておくわ。カムイと、セシルの分も」
イノウエがキーボードを叩く隣で、レインは小型の装備や補充の弾を手際よく詰めていく。続けて止血剤や自動注射器、止血帯などを収めたコンパクトな救急キットを机に置いた。
「──潜入時間は?」
イノウエは即答する。
「明け方」
グレイはソファに身を預けながら天井を見上げる。
「……ほんとに前夜って感じだな」
タカセは静かに息を吐いた。準備されていく装備に指先で触れる。
すると、しばらくモニターを見つめていたイノウエが口を開いた。
「ここから先は、戻るルートは想定してない……だから」
先ほどまでの軽口の声色ではなかった。視線はまだ画面の上。それでも、その言葉だけはまっすぐだった。
「絶対に帰ってきて」
静寂が落ちる。その言葉は命令でも、ただのお願いでもない。それでも拒否できない種類の言葉だった。イノウエはすぐにいつもの調子へ戻すように、短く付け足す。
「以上」
カタ、とキーが鳴る。
──絶対に生きて帰ってきて。
タカセはその言葉にすぐには返せなかった。胸の奥にわずかに何かが触れる。
(……生きて、帰る)
その言葉を頭の中でなぞる。これまで、そんな前提で動いたことはなかった。
最後の一人になることが前提だった試験。真相を掴むために、死ぬまで降りられないコード・リーパーの道を選んだ。
ただ生き残っただけでは、自分が今生きている意味はない。仲間を死に追いやった真相を突き止められるなら、自分はいくら傷ついても構わない。生きて帰るかどうかは、結果でしかない。そう思っていた。
イノウエの横顔が浮かぶ。モニターに向かったまま、こちらを見なかった顔。
その奥にあるものに、唐突に気付いた。あれは命令じゃない。──どうしようもない、個人的な願いだ。
グレイの顔を見る。くだらない冗談と他愛のない会話。それでも、背中を預けても崩れない存在。言葉にしなくても伝わる信頼。
イノウエとレインの顔を見る。軽口の中に、タカセを気遣う優しさがある。それでも必要以上に気を使わない。対等な仲間として接してくれ、ただ側にいてくれる。
このラボの空気が、気が付けば“当たり前”になっていた。
“いつ死んでもいい側”に、自分を置いていた。でも、もし今ここで全部を失うことになったら──それを「仕方ない」で済ませられるほど、自分はもう空っぽじゃない。
小さく息を吐く。胸の奥にあった何かが、ゆっくりと輪郭を持つ。
(……帰る場所)
その言葉は、不思議なほど抵抗なく落ちてきた。
自分には、必要のないと思い込んでいたもの。でも、それは違った。目の前の三人は、とっくにタカセを独りにはしていなかった。
(──今さら気付くなんてな)
タカセは思わず苦笑する。
「……タカセ、なにニヤニヤしてるのよ」
モニターからやっと目を離したイノウエがタカセの顔を覗き込むと、グレイはソファに沈めていた上半身を勢いよく起こした。
「レインの恋バナ楽しいよな? 続き話すか!」
レインは鬱陶しそうに横目でグレイを見た。
「やめろ」
目の前の三人のやり取りに、タカセは柔らかく笑う。
「……なんでもない」
帰る場所を意識すること。そこに戻ることを前提に戦う。失わないために生きて帰る。それは弱さじゃなくて、守るものがある人間の強さに近い気がした。
【Next : Chapter】




