19. 帰還不能領域
イノウエは端末から目を離さずに言った。
「もう一つの施設の在処を特定してみる。少し時間をちょうだい」
キーボードの音が再びフリースペースに戻る。カタ、カタ、カタ──規則正しい入力音だけが、空気を整えていく。
その静けさの中で、カムイがタカセに視線を向けた。
「そういえば。タカセって最速のコード・リーパーで有名なんだよね。すごいな」
軽い調子だった。タカセが目を向ける。カムイは悪気のないまま続けた。
「まだ現場経験も多くないはずなのに、妙に落ち着いてる」
空気がわずかにだけ止まる。タカセは短く息を吐いた。
「……理由はある」
グレイは横目でタカセを見た。その視線を感じながらタカセは続ける。
「コード・リーパーになったのは、今回の任務と関係がある」
ごく短い沈黙を経てタカセは続ける。
「仲間が死んだ。その意味を知りたかった。真相に近づくためだ」
言葉は淡いのに、重さだけが落ちる。カムイの表情から軽さが一瞬だけ消えた。
その時、セシルの視線が初めてタカセに正面から向く。
「……くだらないわね」
セシルは一瞬だけ間を置き、タカセを見たまま言った。
「この仕事は、そんな薄っぺらい納得感で続けられるほど甘くない。文字通り、死と隣り合わせよ。一度足を踏み入れたら──死ぬまで一生」
静かな声なのに、空気の奥まで沈むように重い。それでもタカセは視線を逸らさない。セシルは続ける。
「覚悟が軽い人間は、すぐに戦場で消える。この世界に足を突っ込んだこと、後悔しないことね」
ほんの一瞬だけタカセを一瞥すると、踵を返す。無駄のない動きで扉へ向かい、そのままフリースペースを出ていった。
・
ドアが閉まる音だけが、やけに軽く響く。
一瞬の静寂。
グレイは横目でタカセを見た。
タカセはまだ、セシルの言葉を頭の中で整理しているようだった。こういう時、こいつはいつも少しだけ考え込む。けれどそれを理由に立ち止まるような男じゃない。
グレイの目に浮かんでいたのは、心配だけではなかった。
タカセが自分で決めたことを、グレイは疑っていない。迷うことも、考えることも、必要なら自分で受け止めて前に進む。
だから今は、ただ見ている。もしこいつが道を見失ったなら、そのときは自分が引っ張ればいい。
グレイは肩をすくめ、カムイを見て言った。
「こえ〜女だなぁ。ゴリラはよくあんな女とバディ組めるのな」
その声に、カムイは苦笑いを浮かべる。
「……グレイ」
タカセは短く呼んで、それだけで止める。
──ゴリラはさすがに良くない。
言葉には出さないが、空気だけでそう伝えてくる。グレイは一瞬だけ目を瞬かせて、それから肩をすくめた。
「はいはい、悪かったって」
カムイは困ったように笑ったあと、小さく息を吐いた。
「……まあ、慣れてるよ。セシルにはいつもあんな感じで言われるから」
自嘲というより、どこか諦め混じりの穏やかな笑いだった。その言葉に、グレイがわずかに目を細める。
「そっちも大概だな」
空気がほんの少しだけ緩む。だがカムイはすぐに視線をタカセへ戻した。さっきまでの柔らかさを落とした静かな目になる。
「セシルを、あんまり攻めないでやってほしい。悪気があるわけじゃないんだ。あいつの祖父は──」
全員の視線がカムイに向く。カムイは一瞬だけ言葉を探すように目を伏せ、それから小さく息を吐いた。
「セシルの祖父も、コード・リーパーだったんだ。国への貢献度は高い人だった。でも任務中の事故で、片脚を失った。それでも、コード・リーパーの枠からは外れない」
グレイの眉がわずかに動く。カムイは淡々と、事実だけを並べるように続けた。
「動けなくなっても、生きている限りは所属は残る。でも、戦えないコード・リーパーは──組織にとっては扱いづらい存在になる。だから……処理された」
静かに言葉が落ちる。カムイは少しだけ視線を落とし、それからタカセを見る。
「だから……セシルを許してやってくれ」
カムイの瞳が僅かに揺れた気がした。
「この世界に足を突っ込んで後悔してるのは、たぶん彼女の方だから」
・
──この仕事は、そんな薄っぺらい納得感で続けられるほど甘くない。
──覚悟が軽い人間は最初の戦場で消える。
冷たい声だった。正しさで組まれた、拒絶の論理。普通なら刺さる。コード・リーパーに就任した時、グレイに出会う前は何度もそういう言葉をぶつけられたし、裏路地で葛藤した記憶はまだ新しい。
だが──
タカセの中で、それはすでに答えの出た問いだった。
(今さら揺れるものじゃない)
申し訳なさそうに自分を見るカムイに対して、タカセは目を細めた。
「大丈夫だ、カムイ。気にしないでくれ。そういうのは、もう整理できてる」
事実として理解した上で、それでもタカセの選択は変わらない。正しさだけで組まれた理論に、自分の答えは関係ない。
タカセの声に、グレイは軽く鼻を鳴らした。
「なんせ俺の相棒だからな。心配すんな。コイツが迷ったら俺がちゃんと引っ張り出すから」
「……俺は犬じゃないぞ」
「おい〜、俺せっかくいいこと言ったのに台無しにするのやめろよな」
タカセとグレイのやり取りに、カムイは一瞬きょとんとしたが、すぐに穏やかな笑顔に戻った。
「……ありがとう」
─────
タブレットモニターに映る衛星データを見ながら、イノウエが静かに言った。
「ここ」
画面上の一点に、赤いピンが落ちる。
「ジェネシスアークのもう一つの“稼働している施設”は、この座標にある可能性が高い」
グレイが画面を覗き込む。
「更地じゃねぇか」
画面に映し出された更地を見て、タカセの眉間にわずかに皺が寄る。
「──いや、そんなはずは……」
タカセの声に、カムイはその横顔を覗き込む。
「どうした?」
イノウエは短く頷いた。
「そう。ジョウとマービン達が殉職した爆破事件の現場よ」
空気が一段、重く沈む。イノウエは続けた。
「当時の報告では、施設は完全崩壊。生存者はタカセのみ」
「どういうことだ? ちゃんと解説してくれ」
グレイの言葉にイノウエはタブレットをスクロールし、ある画像で止めた。画面には広大な土地に広がる威厳な城の写真。
「この施設があった土地。元々は“バーバ・ヤーガの城”と呼ばれていたらしいわ」
「バーバ・ヤーガ?」
カムイが首を傾げる。
「魔女、ってことか?……ずいぶん物騒だな」
イノウエは軽く頷いた。
「かなり古い建造物よ。数百年前に取り壊されて、遺構だけが残っていた場所」
画面をスワイプし、遺構の画像を拡大する。
そして別の画像を画面上に並べる。そこには、件の研究施設が映し出されていた。
「そこに後から、ジェネシスアークの研究施設が建てられた。それが──ジョウの殉職事件で爆破された施設」
空気がわずかに沈む。タカセが口を挟む。
「......だが、報告上は“完全崩壊”だった。跡地はその時点で封鎖されてる」
イノウエは指を軽く鳴らした。
「そう、でもそれはブラフ」
そして続ける。
「バーバ・ヤーガの跡地に建設した表層は派手に爆破して、完全にコード・リーパーの監視対象から外す。そして本命は──“最初から残っていた地下遺構”に構築されている研究区画」
グレイはため息を吐きながら両手を上げた。
「おいおい。これ、先に調査した奴らは完全に見落としてるやつじゃねぇか。condorさんも大したことねぇな」
イノウエは少し考えてから言う。
「──たぶん気付いていたわよ。でも確証がないまま動くタイプじゃないから」
タカセは一瞬、空白の報告書を思い出す。
「なるほど」
短く呟く。タカセの反応にグレイはため息をついた。
「なるほど、じゃねぇよ。秘密主義にもほどがあるだろ」
イノウエはわずかに口元を緩める。
「でもそのおかげで、こうやって、私たちは鍛えられていくのよ……」
そしてもう一度、画面に目を落とす。
「現在、ジェネシスアークはこの地下構造を再利用している可能性が高いわ。それと──この座標に接近した記録が過去に三件ある」
グレイが眉をひそめる。
「三件?」
イノウエは画面を切り替える。
「全員、帰ってきてない。通信は途中で途絶。回収も不可」
カムイの表情がわずかに固まる。イノウエは続ける。
「原因不明。戦闘ログも残っていない……消えてるの」
タカセの目がわずかに揺れる。
「……じゃあ、あの時の俺は」
言いかけて止まる。イノウエは視線を向けないまま言う。
「例外ね」
グレイが口を開く。
「Hello・Babyの実験、妊婦殺害、胎児の不正取得、証拠隠滅の爆破、そしてコード・リーパーと警察部隊の殺害……」
軽くため息。
「全部、ここで繋がるってわけか」
軽く笑う。だが、その目は笑っていない。
「エグいな。帰って来れる気、しねぇ」
その一言だけが、部屋の温度をさらに下げた。イノウエは小さく息を吐いた。
「……そのための増員よ。少なくとも、最初から捨て駒にはされてない」
「はいはい」
グレイは軽い返事で返した。
タカセは一瞬だけ捨て駒の言葉の意味を考えたが、すぐに切り替えた。
グレイは小さく息を吐き、首を鳴らす。
「……行くしかねぇか」
誰に向けたわけでもない声だったが、それが合図みたいに空気が動いた。
【continue…】




