18. カムイとセシル
翌朝。
ラボの白いゲート前に、新しい影が立っていた。外光が差し込む境界線に二つの人影が静かに佇んでいる。
一人は女だった。ブロンドの髪をきっちりと一つに束ね、一本の線のように背へ流している。細身で長身。その立ち姿は、街ですれ違えば誰もが思わず振り返るほどに目を引くだろう。だが、迂闊に声をかける者はいない。威圧感を放つ仏頂面が、見る者を遠ざけていた。
彼女の名は、セシル。
もう一人は男だった。セシルの半歩後ろに立つ、がっしりとした体格の中年男。短く刈られた髪、厚い肩、安定した重心。
立っているだけで、押されない側の人間だと分かる圧がある。名前はカムイ。
彼は軽く首を回し、周囲を見渡した。
「……聖都市ってのは、思ったより賑やかだなぁ」
見た目と反した明るく穏やか声に、セシルは大袈裟に反応しない。ただ一言だけ短く返す。
「無駄が多い」
それだけだった。カムイは苦笑する。
「相変わらずだなぁ、お前は」
・
ラボの入り口。
そのやりとりを、少し離れた場所でグレイが見ていた。腕を組みながら顎を上げる。
「……でかいな」
横にいるタカセが小さく息を吐く。
「北部のコード・リーパーらしい」
グレイは目を細める。
「北部ってだけで怖ぇんだよな。なんかこう……生活してる場所が違う感じするやつ」
イノウエが淡々と端末を操作しながら言う。
「北方圏の独立系コード・リーパー。都市国家圏とは別ルートで動いてる部隊ね」
今回の任務は、これまでのどれとも違い異質だ。
製薬会社ジェネシス・アークが掲げるプロジェクト“Hello・Baby”対する、証拠とデータの回収、実行犯の特定と処理の任務。
連続妊婦殺害、胎児の不正収集、人体実験の可能性。全てを鑑みてコード・リーパーのバディ同士を、さらに重ねて投入する。
本来、コード・リーパーの任務はバディ単位で完結するか、警察部隊などの外部戦力と連携して遂行される。それが基本構造だ。だが今回はその前提が崩れている。
カムイとセシル。
タカセとグレイ。
それは連携強化ではない。単純に言えば──戦力の“積み増し”だ。
グレイはカムイを見たまま、ぼそっと呟いた。
「間違ってゴリラって呼びそうだ」
「バカ」
イノウエが即座に声を飛ばすが、グレイは気にする様子もなく続けた。
「……で、あのべっぴんさんも絶対強いやつだろ」
「──真面目にやりなさい」
今度はぴしゃりと切られた。
タカセは何も言わず、ただ視線だけを門の方へ向けている。
その先で、カムイが軽く手を上げた。
「こんにちは! 話は聞いてる。今回は短期支援だ」
見た目に反して人懐っこい声だった。空気の温度がわずかに上がる。タカセは一歩前に出て、静かに頭を下げた。
「よろしくお願いします。タカセです」
言い方は簡素なのに、律儀さだけが真っ直ぐ残る。まるでちゃんと挨拶しないと落ち着かない犬みたいな、妙な正直さがあった。
その横で、グレイが一瞬だけ固まる。
(……あれ。これ、俺も律儀に挨拶する流れ?)
タカセはもう何事もなかったようにカムイを見ている。
(……まぁ、相手はコード・リーパーの先輩サン達だもんな……)
ほんの一瞬だけ葛藤したあと、グレイは諦めたように息を吐いた。
「グレイです」
カムイは一瞬目を丸くして、それから満面の笑みを浮かべた。
「カムイだ。よろしく!」
セシルは何も言わず、ただ鋭い目つきでタカセとグレイを一瞥している。その横で、カムイは妙に明るく言う。
「フレッシュでいいなぁ、こういう空気!」
その明るさだけが、逆にこの場の温度差を際立たせていた。
・
セキュリティゲートを抜けたカムイたちの空気はまだ完全には馴染んでいない。ラボの研究員達が行き交うフリースペースの白い光の下。
グレイが腕を組んだまま口を開く。
「ジェネシスアーク、もう一回潜るにしても警戒度は上がってるだろうな」
カムイが軽く唸る。
「前回のハウンド処理で、確実にマークされてるだろうしねぇ」
その声に、セシルは一度だけ周囲を見渡し、淡々と言った。
「だから若いコード・リーパーと組むのは嫌なのよ」
空気が一瞬だけ止まる。セシルは構わず続けた。
「詰めが甘い」
カムイが宥めるようにセシルを見る。
「おいおい、セシル」
だがセシルは、タカセとグレイから視線を外さない。
「ニュースだか新聞だか、有名になってるらしいけど……」
その視線がグレイに向く。
「チヤホヤされて調子に乗ってるんじゃないの?
コード・リーパーはアイドルでもヒーローでもないわよ」
グレイの眉がぴくりと動く。タカセが横で小さく息を吐いたその直後、グレイが口を開く。
「……お姉サマ」
わざとらしく丁寧な呼び方。
「言わせておけばペラペラと喋りやがって……殴りますわよ?」
空気が一段ずれる。タカセが即座に割って入る。
「グレイ、落ち着け。口調がバグってる」
グレイは一瞬固まり、舌打ちした。
「うるせぇな」
セシルは表情を変えないまま、グレイを見ている。評価でもなく侮りでもなく、ただ観察しているような目。
カムイが軽く間に入る。
「グレイ、タカセ。すまない。セシルも、そんなに喧嘩腰にならないでくれ」
見た目に反して、柔らかく穏やかな声。そのギャップに、タカセは一瞬だけ(……気苦労が多そうだな)と思う。
カムイが場を鎮めるように、咳払いをした。
「で、潜入はどうするんだ?」
空気が少しだけ戻る。そこへ、「潜入については見通しが立てそう」イノウエが口を開いた。
フリースペースの隅。タブレットを立てかけ、規則正しくキー入力を続けている。カタ、カタ、カタ──と乾いた音。
その横には件のカードキーがセンサーの上に置かれ、白い光を反射していた。
グレイが視線を向ける。
「それ、まだ解析してんのか?」
イノウエは画面から目を離さない。
「ええ。思ったより複雑」
タカセがイノウエに一歩近づく。
「どういうことだ」
数秒の入力の後、イノウエはようやく手を止めると、カードキーを指先で軽く弾く。
「このカードキー、一つで二つの施設にアクセスできるようになってる」
空気が変わる。グレイが眉を上げる。
「二つ?」
イノウエは画面を回転させる。そこには通常の施設ログとは別系統の認証記録が並んでいた。
「表向きはジェネシスアークの研究棟用。でも裏で、もう一つ別系統のアクセス権が通ってる」
セシルの目がわずかに細くなる。
「隠し施設か」
イノウエは頷く。
「可能性は高い」
イノウエの話を静かに聞いていたカムイが、小さく息を漏らした。
「……聖都市の研究員は優秀だなぁ」
その声に、グレイが得意げに口の端を上げる。
「そう。“ウチのイノウエ”は優秀なんだよ」
「お前は褒めていない」
セシルの即答に、グレイは一瞬だけ目を細める。タカセはそのやり取りを横目に見ながら、黙ってカードキーに視線を落とす。
一つで二つの扉。それは利便性ではない。
セシルが短く言う。
「潜入ルートは決まりね」
グレイの視線がカードキーに落ちる。その目だけが、一瞬だけ無表情になる。
「……面白くなってきたじゃん」
その一言だけが、白いラボにわずかな熱を落とした。
【continue…】




