16. 引き金と覚悟
雨は止んでいた。路面に落ちる雨粒が月明かりを濁らせていた。
ハウンドの一人が、かすかに身動きをする。
「……っ、くそ……」
浅い呼吸。バンドで拘束された腕を振り解こうとするが徒労に終わる。ハウンドの前に、グレイが立った。
「起きたな」
もう一人のハウンドも、腕を拘束されながら少し離れた位置で座り込んでいる。タカセはその場に立ったまま、ただ二人を見ていた。グレイが顎で合図する。
「聞きたいことがある。答えろ」
グレイは銃を相手の額に当てた。
「誰に雇われた」
冷たい声だった。相手は一度、生唾を飲み込んでから観念したように呟いた。
「──製薬会社ジェネシスアーク」
タカセの目がわずかに細まる。相手は続ける。
「それ以上は知らない。本当にだ」
「命令は?」
「見た者を消せ。それだけだ」
短い沈黙。風が一度だけ路地を抜けた。グレイは小さく舌打ちをしながら銃を下ろす。
「……まぁ、雇った相手にベラベラ喋るもんじゃないしな」
「コイツらはどうする?」
タカセの声に、グレイはややあって考えてから答えた。
「──とりあえずラボで拘束だな。命までは取らねぇよ」
その時、ハウンドの一人が短く笑った。
「……命までは取らない、ねぇ」
「なんだよ」
「天下のコード・リーパー様が、随分とお優しいじゃねぇか」
グレイは呆れたように息を吐いた。
「俺は無駄な殺しはしない主義なんだよ。殺されたくなかったら大人しく着いて来い」
その言葉に、タカセはグレイを見つめた。
ふと、ずっと聞けずにいたことが頭をよぎる。いい加減で茶目っ気のあるこの男は、人を殺したことがあるのだろうか。
バディを組んでから、グレイが人を殺すところを見たことは一度もなかった。それについてタカセは触れずにいたが今の言葉を聞いて合点がいく。無駄な殺しをしない。
(──そんなことを考えていたのか)
タカセがそう思った矢先、ハウンドの男が叫んだ。
「バカか! お前たちといなくなった男女……殺せば大金が入るんだよ!」
ハウンドの男は、拘束された腕を動かせないまま、顔を寄せて腕に装着されたものを口で引き抜こうとした。
──閃光弾。
タカセは咄嗟に手を伸ばし、それを止めようとした。その動きを阻止しようと、もう一人のハウンドが転がり込むようにタカセに突っ込んでくる。
その時だった。
乾いた銃声が二発、裏路地に響く。
次の瞬間、二人の身体が重い音を立てて石畳に倒れた。
静寂が落ちる。
何が起きたか、一瞬理解ができなかった。タカセはゆっくりとグレイを見た。
グレイの銃口から硝煙が上がっていた。彼は銃口を下ろさないまま、ぽつりと呟く。
「──バカはお前らだよ」
その表情には、どこか苦しげなものが滲んでいた。それでも引き金を引くことを選んだ覚悟が、その眼差しには宿っていた。
ハウンドの二人から吹き出す血が勢いを止めない。だらだらと命が流れ出していくようだった。
タカセは言葉を失った。喉がからからに渇いている。ハウンドの言葉が脳裏をよぎる。
『お前たちといなくなった男女……殺せば大金が入るんだよ!』
秘密を見た者の処分。その対象には、自分たちだけでなく、レインや何の関係もないエミリまで含まれていた。
タカセはゆっくりと血溜まりに視線を落とした。命の全てを出し切ったように、噴き出ていた血の勢いが緩やかになる。
グレイが無駄な殺しはしないと言った時、どこかで安堵していた自分がいた。そのことに気づき、胸の奥が重くなる。
──国家公認の殺し屋。
その単語は軽くなかった。タカセはコード・リーパーになってから、まだ一度も“殺していない”。
撃つことはある。武器を弾くこともある。腕を壊し、戦闘不能にすることもある。だが、それだけだった。対象に恵まれていただけかもしれない。ずっとそう思ってきた。
だが今見たものは違う。ジョウの声が、頭を掠める。
『人を殺すことに“躊躇がないやつ”じゃなきゃ、コード・リーパーの仕事は続かない』
『この街は綺麗に見えるだろ。汚れ仕事を全部押し付ける場所が必要なんだよ』
グレイの覚悟を目の当たりにした気がして、一瞬、呼吸が浅くなる。
(──俺はどうなんだ。覚悟が足りないのか)
すぐに、違う、と自分の考えを否定する。
(バカか。生ぬるくやってるわけじゃないだろ。思い出せ)
ただ生き残っただけでは、自分が今生きている意味はない。仲間を死に追いやった真相を突き止められるなら、自分はいくら傷付こうが、汚れようがどうだっていい。その覚悟でこの世界に足を踏み入れたし、今でもそう思っている。
それでも、心の奥底でわずかに揺れるものに気付く。殺すことへの恐怖、嫌悪感。胸が悪くなる。
真相を追う中で、きっとこれから先、逃げられない日が来る。必ず、判断を迫られる日が来る。自分が追う事件は、もうその段階まで来ている。
グレイを心の底から「相棒」だと思っている。グレイが隣にいることで救われている自分がいる。
だからこそ、彼が人の命をどう捉えているのか、直接聞くことが怖かった。グレイが自分と同じように殺すことに抵抗を感じる人間であってほしいという気持ちが、心のどこかにあったのかもしれない。そもそも、コード・リーパーの彼にそんなことを問いただすのは間違っているのかもしれない。
自分が置かれている状況を、どこか甘く見ていたのかもしれない。その認識の甘さが、今はひどく恨めしかった。躊躇えば終わる。間に合わない。これはそういう仕事だ。
(──俺たちは、コード・リーパーだ)
自分に言い聞かせるように、タカセは静かに息を吐いた。
グレイは、黙り込んだタカセを横目で見た。また一人で何かを抱え込んでいるのだろう。そう察しながらも、何も言わずに彼の隣にいた。
夜の路地は静かだった。遠くで教会の鐘が一度だけ鳴り、その余韻だけが路地の奥へ沈んでいった。
・
誰も言葉を発さないまま数秒が過ぎる。先に口を開いたのはグレイだった。
「……にしても。ジェネシスアークはビンゴくさいな」
空気を切り替えるようにグレイは努めて軽い声を出し、肩の力を抜いた。
「あの部屋。なにかあるんだろ?」
グレイの言葉で、タカセの視線がわずかに動く。
「俺が追ってた、爆破事件──あの研究所の一室が、俺が見た赤い部屋と全く同じだった」
その瞬間、グレイの表情から軽さが消える。だが完全には沈まない。
「なるほどな。つまり、ビンゴどころかラスボス部屋ってわけか」
「……ゲームのし過ぎだ」
「で、どうする?優等生」
タカセは一瞬だけ間を置く。そして視線を前に向けて言った。
「……次に繋げる」
グレイは満足そうに鼻で笑う。
「それでいい」
遠くで教会の鐘が鳴る。夜の路地を、二人の足音が再び進み始めた。
【continue…】




