↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/49

14. 赤い部屋

 製薬会社ジェネシスアークの地下研究所前。


 社員の男は欠伸を噛み殺しながら長い廊下を歩いていた。ここ数日、まともに眠っていない。


──今日こそは帰って寝たい。


 ぼんやりと考えていた時だった。研究室の扉の前に知らない男が立っていた。目が合うと男は困った表情を浮かべた。


「すみません、迷ってしまって」


 黒縁メガネの男。整った顔立ちで場違いなほど落ち着いた立ち姿。


──パーティの参加者か?


 社員の男は軽く頭をかいた。


「ああ……ここ、広いから迷うよな。地上に上がるには──」


 言いかけて、止まる。


 違和感。この地下フロアは関係者以外立ち入り禁止で、そもそも外部の人間が簡単に辿り着ける場所ではないはずだ。


「……あんた、どうやって──」


 最後まで言えなかった。首筋に鋭い衝撃が走り一瞬で力が抜ける。崩れ落ちる視界の端で、黒縁メガネの男がわずかに笑った。


「悪いな」


 意識が暗転する。


・


 社員の男を物陰に移動させると、タカセは男の胸ポケットからカードキーを抜き取った。変装用の黒縁メガネを外し短く息を吐く。


「カードキー、手に入ったな。研究室へ入れる」


 グレイは気絶した社員の男を眺めながら苦笑した。


「……これ、大丈夫だよな。任務のためだが、俺たち逮捕されない? これ」


 タカセは返事をしないままインカムを耳に装着した。カチ、と小さな電子音が鳴る。それに少し遅れてグレイも同じようにインカムを耳に当てた。


「……ったく」


 カチ、ともう一つ音の音が重なる。


 タカセはそのまま無駄のない動きでホルスターの留め具を指で確かめると、ぽつりと呟いた。


「さっきの逮捕のくだり」


「ん?」


「死んでないから大丈夫だ」


「……お前、そんな理論感でよく一回警官になれたな」


 タカセは軽くインカムの位置を直しながら、レインへ通信を開く。


「こちらタカセ。聞こえるか」


 レインが即座に応じる。


『聞こえてる。入れそうか?』


「カードキーが手に入った。今から潜入する」


 短い間が落ちる。レインの声色は変わらない。


『何か見つかるといいけどな』


 グレイはインカムを軽く指で弾きながら笑った。


「何もなかったらただの不審者だよ、まったく」


 一瞬の沈黙。


『了解。表は俺が見る。変な動きがあったらすぐ引き返せ』


「不審者のくだり、否定しろよな」


・


 地下研究所内は、白い廊下がどこまでも続いていた。


『右だ』


 インカム越しに、レインの声。


『……三メートル先、角。人感反応なし』


 タカセは足を止めずに曲がる。グレイがその後ろをついて歩く。


「便利すぎるだろ、それ」


『体温センサー拾ってるだけだ。万能じゃない』


 レインの淡々とした指示を聞きながら、グレイは小さく舌打ちする。


「にしてもさ。何もねぇな。“証拠があるかもしれない”ってだけで潜らされて、これかよ」


 その声には明確な苛立ちが混じっていた。


 白い廊下は変化がない。扉も同じで空気も同じで何も引っかからない。


『巡回は今いない。だが奥に二人。距離は……二十メートル。別ルートを使え』


 タカセは一瞬だけ足を止め、周囲を見渡す。


「……見る限り、ここの社員は普通の人ばかりだ。胎児収集の噂がデマだといいが」


「それもそうだな」


『左の非常通路を使え』


「了解」


 左手に曲がった瞬間、妙な違和感を覚えた。タカセの足が止まる。


「どうした?」


 グレイは小声で問うが、タカセは答えない。まるで地面に足を縫い付けられたかのように、その場で固まっていた。視線だけが廊下の奥を捉えている。


──赤い。


 白い廊下の中に一つだけ、扉の隙間から赤い光が滲んでいる。


「……レイン」


 タカセは低い声で呼ぶ。


「その先、部屋があるはずだ。中の反応は?」


 珍しくレインの返答が遅れる。


『……待て。入手した地図には載ってない』


「載ってない?」


 レインの声に、グレイが眉をひそめる。


「実際に部屋があるのに?」


『……機器上はそう出てる』


 レインの声に空気が冷える。タカセは扉の前に立った。隙間から漏れる赤い光が足元を染めている。


 脈打つような、鈍い赤。


「……開けるぞ」


 タカセは返事を待たず扉を押した。


・


 扉が軋む。ゆっくりと開いた先──部屋の中はすべてが赤かった。


 天井からぶら下がる裸電球はガラスもカバーもなく、剥き出しの赤い光がそのまま空間を染めている。

 

 赤がベッタリと貼り付いた壁には、年齢も国籍もばらばらな女性たちの写真が貼られていた。


 その隣、大量に並ぶのは白黒の“影”の写真。


 顔のようにも見える。だがその確信は次の瞬間には崩れる。見るたびに位置がずれ、目だったはずの場所が今はただの影に見えた。


「……おいおい……これ……」


 グレイが一枚の写真を剥がし、しげしげと見つめる。


「エコー写真か?」


『おい。何か見つけたならデータ送れ』


 インカム越しにレインの声が飛ぶ。


「はいはいっと」


 グレイは軽く撮影し、タブレットを操作しながら続けた。


「これ、まだ“何か”って断定できねぇが普通じゃなねぇな……まぁ、無駄足にならなくて良かったな──」


 そこで、ふと気づく。グレイの視線がタブレットからタカセに移った。


「……タカセ?」


 呼びかけても返事がない。タカセは部屋の壁を凝視していた。


「おい、どうした」


 グレイのその声も届いていない。タカセの視界には、別のものが重なっていた。


 赤い光。壁一面に貼られた写真。


 記憶の奥が軋む。


 爆発音と崩れ落ちる天井。焦げた匂い。そして──“あの部屋”。


「──ジョウ……」


 零れ落ちた声はひどく掠れていた。


 あの時の赤い部屋。空気もそこに漂う異常な気配も、似ているなどという生温いものではない。全く同じだった。


 心臓の音がうるさい。タカセの指がわずかに震えたその瞬間、彼は自分の頬を思いきり殴った。鈍い音が響く。


 あまりにも唐突な出来事にグレイは目を見開いた。


「おい、何してんだよ!」


 乱れた呼吸を押し込めるようにタカセは息を吐いた。目を瞑り震える指先でホルスターに触れる。


(……戻れ。ここはあの時じゃない)


 もう一度深呼吸をすると、指の震えは治った。そしてゆっくりと目を開ける。


「……大丈夫だ」


 タカセの言葉にグレイは眉をひそめる。大袈裟に声は上げないが、表情には心配が滲んでいた。


「今の顔、大丈夫じゃなかったぞ」


「……悪い。もう戻った」


 タカセの視線が再び赤い壁に向くと、グレイが息を吐く。


「大丈夫だって言うなら、それでいいけどさ」


 グレイの声色には、さっきまでの軽さが消えていた。


「……無理そうなら言えよな」


 グレイはそう言って、一歩だけタカセと距離を詰めた。


「……すまん。ありがとう」


「謝るか礼を言うか、どっちかにしろよな」

 

 その時だった。インカムにノイズが走る。


『……グレイ、タカセ。聞こえるか』


 レインの声が途切れ途切れに入る。


『すまない、気付かれた。対象は二人、追跡されてる』


 荒いノイズが走る。会場を出たのか、通信越しに街のざわめきが混じっていた。


『俺はコード・リーパーのライセンスを持ってない。殺しはできない。一旦、会場を出る』


 グレイが舌打ちする。


「了解、すぐ行く。人混みに入れ。撹乱しろ」


『……やってる』


 通信が切れると、グレイは短く息を吐いた。


「雇うもん雇ってやがるな。こりゃビンゴかぁ?」


「急ごう」


 タカセは最後に一度だけ部屋を見た。赤い光の中で命の断片が無言で並んでいる。


 そして二人は、赤い部屋を背にして走り出した。


・


【diary】


月にいちど、お兄ちゃんは僕をどなった

その顔が、お母さんと同じに見えた


やめて、やめてって思った

そんな目で見ないでって思った


気づいたら、お兄ちゃんは血の中にいた

僕の手にはカッターナイフがあった


何回もさしていたみたいで、刃がぼろぼろになっていた


お兄ちゃんをころしてしまった


そう思ったとき、僕から血が出た


──これ、お母さんのせいだ





【continue…】


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。