13. 理想の赤ん坊
製薬会社・ジェネシスアークのパーティーは、製薬会社のホールで行われていた。
会場には呼ばれた客人たちのスーツとドレスが並び、シャンデリアの光を反射している。
スクリーンには、笑っている家族と揺れるベビーベッドの映像が流れていた。
パーティは立食スタイルで、グレイはサービスのワインを受け取りながら隣の実業家に声をかける。
「どうも。しがない新聞記者でして」
実業家が一瞬だけ目を細める。
「……新聞記者?」
グレイは軽く笑った。
「社会の光と影をお届けする、いい感じの人間です」
「へぇ、ナイスガイだな」
それ以上は詮索されない。軽く流すように実業家は去っていった。
グレイは笑いながら小声でタカセに言う。
「今のどう? 完璧じゃね?」
変装用の黒縁メガネを押し上げながらタカセは即答した。
「真面目にやれ」
「やってるって。職務だぞこれ」
横からレインがため息をつく。
「職務の顔して遊ぶな。目立つ」
グレイは大袈裟に肩をすくめた。
「こんな完璧な新聞記者いねぇだろ」
「典型的な胡散臭い新聞記者にしか見えないぞ」
グレイとレインが軽口を交わす中、タカセは周囲を見回した。
期待に満ちた顔でスピーチを待つ者、頬を紅潮させ研究内容を語り合う者。
冷めた眼差しで壇上を見上げる者、腕を組み口を閉ざす者。
歪な温度差が会場全体を薄く軋ませている中で、照明がゆっくりと落ちていく。静寂が会場を包むと、やがてスポットライトが壇上を照らし出した。
「それでは──弊社の技術開発長、ウィルソン夫妻によるスピーチを行います」
一斉に拍手が湧く。
「──マリア・ウィルソン、そしてゼン・ウィルソン」
スポットライトの中心に現れたのは、白衣の男女だった。一人は長い髪を後ろで束ねた女。もう一人はその半歩後ろに立つ男。
女──マリアの腹が大きく膨らんでいる。まるで生命そのものを抱えているようで、彼女もまた妊婦だった。
対して男──ゼンは若々しい顔立ちをしているが、マリアと違い表情は乏しい。
話しはじめたのはマリアだった。
「本日は、弊社の会見パーティへお越しいただきありがとうございます。技術開発長のマリアと申します」
その隣でゼンは何も言わず、ただ静かに会場を見渡していた。
「私たちは長年、命の研究を続けてまいりました」
マリアは自身の腹にそっと手を置く。愛おし生命を慈しむように。
「命は尊いものです。偶然の重なりで授かる奇跡。私たちはそれを“愛”と呼びます。ですが、その奇跡には……バグが多い」
ざわり、と空気が揺れる。マリアは淡々と続けた。
「例えば、望んでいない性別。望んでいない人数……そして、望んでいない個性」
会場の一部が顔をしかめ、一部は頷いている。
「私たちは考えました。なぜ人は“選べないこと”に不安を抱くのか。なぜ“偶然”に幸福を委ねるのか。それは、設計されていないからです」
壇上のスクリーンが切り替わる。
「そして、ついに完成しました」
“Hello・Baby”
「性別、胎児数、発育傾向──すべてを妊娠前段階から調整できる妊娠支援技術です。まさしく理想の赤ちゃんを作るための技術。それがHello・Babyプロジェクトなのです」
一瞬の静寂の後、拍手が起こった。だがそれは完全な拍手ではない。
明るく拍手する者たち。「すごい」と笑顔を作る者たち。
「倫理的にどうなのか」と小声で呟くジャーナリスト。「それは子どもではなく製品では?」と疑う若い医師。
マリアは真っ直ぐに言いきる。
「理想の赤ちゃんを迎えることは、未来を選ぶということです」
・
マリアのスピーチを聞いて、グレイはぽそっと呟いた。
「これ、賛否割れるやつだな」
レインは眉間に皺を寄せる。
「──胸糞悪い。神にでもなったつもりかよ、あいつは」
そんな二人の声を聞きながら、タカセは無言でマリアを見上げていた。
穏やかな顔と祈るような手つきは、まるで聖母の完成形のような立ち姿だった。
マリアの声が強くなる。
「理想の赤ちゃんを手に入れることで幸福度は最大化され、少子化は解決します。この幸福を皆様と共に広げられることを願っています」
会場内に拍手が広がると、二人は一礼する。
そしてマリアはそのまま壇上を降り、笑顔で企業関係者たちの輪の中へ入っていく。だが、ゼンは何も言わず誰とも目を合わせなまま壇上の袖に消えていった。
・
タカセは、その背中を見ていた。
「──行ってしまったな」
「あからさまに怪しかったよな、アイツ」
「いや、話す相手が見つからなかったのか……案外寂しく思っているかもしれん」
少し心配そうに袖を見つめるタカセに、グレイは思わず笑う。
「んなわけないだろ! お前たまにぶっ飛んでるよな」
グレイは肩をすくめると、マリアの方に親指を向けた。
「レインは会社の地下研究所の地図を入手しに行ってる。俺らはもう一人の方いくか。喋るタイプの方が情報は取れる」
タカセは小さく頷く。二人は人混みをすり抜けるようにマリアへ近づいた。
・
壇上を降りたマリアは、すぐに企業関係者たちに囲まれていた。
「先生、あの技術は医療倫理の観点から……」
「出資の枠についてですが……」
「国際展開の予定は……」
矢継ぎ早に飛ぶ言葉の中で、マリアは一人ひとりに丁寧に向き合っていた。その様子を見ながらグレイは小さく口笛を吹いた。
「壇上と別人じゃん」
タカセはマリアを見たまま言う。
「演技に見えないな」
「こういうタイプが一番厄介なんだよな」
二人は少し間を置いて、人混みをすり抜けるようにマリアへ近づいた。グレイが先に声をかける。
「すみません、記者なんですが。少しだけお時間いいですか?」
わざとらしい名刺を軽く見せる。タカセも一歩前に出る。
「先ほどのスピーチ、非常に興味深く拝見しました」
マリアは一瞬だけ二人を見て、それから柔らかく笑った。
「ああ、記者さんたちですね」
敵意も警戒もない柔らかな声に、グレイは間を置かずに切り込んだ。
「さっきの話、だいぶ飛んでましたよね」
やや強めの言い方だった。タカセはわずかにグレイへ視線を動かす。
マリアは即答した。
「ええ。わかってる」
グレイが一瞬だけ眉を上げる。
「……自覚はあるんですね」
「普通に考えたら飛躍してるでしょ? 当たり前よ」
あまりにもあっさりした返答だった。その軽さにタカセの方が一瞬だけ言葉を選ぶ。マリアは続けた。
「でもね。現実って、もっと飛躍してるの」
ざわめきの中で、その声だけがわずかに浮く。
「望まれない命を身勝手に産み落とす人はいるの。生まれてきた子どもを、ちゃんと見れない人もいる──それで虐待されて、壊れていく子もいる」
グレイの視線がほんのわずかに鋭くなる。マリアは目を逸らさず続けた。
「そんなの、減らしたいじゃない」
あまりにも逃げ場のない言葉にタカセは黙る。理解できないわけではない──。一瞬だけそう思った。
だが隣のグレイは小さく息を吐いた後、低い声を落とした。
「……だからって、選べるようにするんですか。都合のいい命だけ残して、そうじゃないのは最初から弾く。それ、解決じゃなくて──切り捨てでしょう」
空気がわずかに張り詰める。マリアはその言葉を受けて少しだけ笑った。
「そう思う?」
否定でも肯定でもない笑みを浮かべた後、すっと仕事の顔に戻る。
「理想と現実は常に乖離だらけよ。それを埋めるために技術があるだけ」
沈黙が落ちた、その時。
「……っ」
マリアのわずかに呼吸が乱れる。彼女は腹に手を当てた。ほんの少しだけ顔色が悪い。その変化をタカセは見逃さなかった。距離を一歩詰める。
「──大丈夫ですか。無理をされているように見えます」
声のトーンが変わる。任務ではなく人として心配した時の声色だった。その様子を見て、グレイは何も言わずただ視線だけを外す。
マリアはゆっくりと微笑んだ。腹を撫でながら、呼吸を整える。
「ありがとう。優しいのね──申し訳ないけど、向こうの企業さんとお約束があるの。ここで失礼するわ」
「……お時間ありがとうございました」
タカセが頭を下げる。その横でグレイ短く言った。
「……どうも」
「パーティ、楽しんでくださいね」
マリアは軽く手を振り、そのまま人混みへと消えていった。
・
人混みに紛れながら、タカセとグレイは会場の端へと移動する。
「穏やかそうな人だけどな」
タカセの声にグレイは答えない。タカセは続けた。
「正しいことをしたい人間の顔だった」
「正しいわけあるか」
グレイが珍しく真面目に返す。
「……選ばれなかった側は、どうなんだよ。
偶然でもバグでも、産まれてくる命は大切にされるべきだろ。コントロールしようなんざ、人間のエゴだ」
静かに憤るグレイを意外に思いながら、タカセは短く頷いた。
「……そうだな」
・
【diary】
お兄ちゃんは、ときどきこわくなって、僕をどなった
「おまえがわるい」って言った
お兄ちゃんを見て、しせつの人は
お母さんがいなくなって、かなしいだけだよって言った
でも僕にはわからなかった
僕は、おこられて、ベランダでさむくて、こわかった。
お兄ちゃんは、たたかれて、かわいそうだった。
だからころしたのに
お兄ちゃんは僕のことを見てくれた
やさしかった
こもり歌を歌ってくれた
だから、どうしてそんな目でぼくを見るのかわからなかった
お兄ちゃんは、たまに血を流していた
しせつの人は、それは大人になることだって言った
でも僕にはわからなかった
だって、何もおしえてもらってない
【continue…】




