第4話:付与魔法師不在の理由と新しい看板
ガルドさんの工房で働き始めてから、あっという間に日が過ぎていた。
性別や素性を隠し、ただ一人の職人として生きるため、私は「ノア」と名乗ることにした。
髪を小さくまとめ、無骨な作業着に身を包んだ私の姿に、誰一人として国に数人しかいない特級付与魔法師、東の領主の息子の元婚約者であるという面影を見出す者はいない。
私の担当は農具だけに留まらず、地元の冒険者や街の警備隊が持ち込む剣や防具の付与補強にまで広がっていた。
「おーい!ノア、お前さんが補強してくれた剣、マジで刃こぼれひとつしねえんだよ! おかげで魔物退治が嘘みたいに楽になったぜ!」
「私の盾も、軽くしてもらったのに大狼の爪を弾き返してくれたの! 本当にありがとう、ノア!」
工房の前には、毎日たくさんの笑顔とお礼の言葉があふれていた。
東の領地にいた頃は、どれほど夜を明かして武具を仕上げても「やって当たり前」と切り捨てられ、ねぎらいの言葉ひとつかけられたことはなかった。
けれどここでは、私が手を入れる事が、目の前の人の命を守ることにつながり、心から喜んでくれる。
「ノア」
作業の手を止めて振り向くと、ガルドさんが少し照れくさそうに新しい木の看板を掲げていた。
そこには武骨な文字で、『ガルド&ノア鍛冶工房』と並んで刻まれていた。
「お前さんはただの補助じゃねえ。今日からうちの立派な看板職人だ。これからもよろしくな」
「ガルドさん……! はい、よろしくお願いします!」
胸の奥が温かい熱で満たされていくようだった。
誰かの都合のいい道具ではなく、一人の職人として腕一本で生きていく
——その覚悟と矜持が、私の足元を強く固めていくのを実感していた。
◇
一方その頃、東の領主館では地獄のような光景が広がっていた。
「カイル!! 一体どういうことだ!!」
執務室のドアが凄まじい音を立てて開かれ、
怒気で顔を真っ赤にした領主——カイルの父親が踏み込んできた。
その手には、騎士団から突きつけられたという、ぐにゃりと歪んだ盾とズタズタに刃こぼれした剣が握られている。
「このフニャフニャの盾と刃こぼれする剣は一体何なんだ! 現場から『こんな粗悪品では戦えない』と凄まじい苦情が入っているぞ! エレノアはどうした! なぜ彼女に付与をさせない!?」
「あ……父上、それは……エレノアは少し出かけておりまして……」
「出かけているだと!? 戯けたことを言うな!」
領主は机を激しく叩きつけた。
「エレノアの付与はただの補強ではない!
道具の寿命、使う者の手の癖、魔力の通り道まで計算し尽くされた、あの娘にしかできぬ唯一無二の特級技法なのだぞ!
その加護があったからこそ、我が領地の武具は絶対の信頼を得ていたのだ!」
領主はカイルを鋭く睨みつけた。
「街の商人からも『エレノア様の確認がない商品は受け取れない』とすべて返品されておる! お前が独断で彼女との婚約を破棄し、追い出したという噂は本当か!?」
「くっ……あんな生意気な女、マリアの方が……」
「愚か者が!!」
領主の雷のような一喝が執務室に響き渡った。
「あの娘の技術がどれほど価値あるものか、貴様は何も分かっていなかったのか! 自分の無能さを恥じよ! 今すぐエレノアに頭を下げて連れ戻してこい! できねば貴様を廃嫡とする!」
父親からの厳しい宣告に、カイルは顔面蒼白、ガタガタと震え上がるしかなかった。
魔導水晶での連絡は取れない。
追い詰められたカイルは、大勢雇った調査員を隣領へ解き放ち、エレノアの行方をなりふり構わず必死に追わせた。
そしてついに、商業都市の小さな鍛冶工房にエレノアらしき付与師がいるという報告を掴み取ったのだった。
◇
数日後。
工房へ向かう私の前に、見覚えのある男が現れた。
朝の風景には似つかわしくない、
高級な服を乱し、髪を振り乱したカイル様だった。
父親に追い詰められ、なりふり構わず自ら駆けつけてきたのだろう。
「エレノア……! やっと見つけたぞ!」
カイル様はゼーゼーと息を荒らしながら、どこか救われたような、
それでいて見下すような歪んだ笑みを浮かべた。
「探したぞ。こんなむさ苦しい職人街で何をしているんだ。
……まあいい。お前が勝手に飛び出した不始末は不問にしてやる」
カイル様は偉そうに胸を張り、上から目線で言い放った。
「感謝しろ。再び俺の隣に立つことを許す」
開いた口が塞がらなかった。
自分から婚約を破棄し、追い出しておきながら、窮地に陥った途端にこの言いぐさだ。
未だに自分が優位に立ち、私がすがりついてくるとでも思っているのだろうか。
怒りよりも先に、深い呆れと冷ややかな感情が込み上げてきた。
私は手に持っていた道具袋を静かに置くと、一人の職人として、カイル様の目を真っ直ぐに見つめた。
「カイル様」
「なんだ? 嬉しくて言葉も出ないか?」
「いいえ。
……私にはもう、大切にしたい場所と仕事があります。
失礼します」
「な……ッ!?」
カイル様が言葉を失った隙に、ガルドさんが工房から大槌を持ってぬっと姿を現した。
「おい、そこの坊ちゃん。うちの看板職人に変な言いがかりつけるなら、その面を叩き潰すぞ」
「ひ、ヒィッ……!?」
ガルドさんの迫力に気圧され、カイル様は無様に尻もちをついた。
他の街人や職人、ガタイのいい冒険者たちも何事かと集まってくる。
私がもう二度と自分の思い通りにならないこと、
そしてすべてが手遅れであることを悟ったカイル様の顔は、恐怖と絶望で惨めに歪んでいた。
◇
カイル様が逃げるように去っていった後、職人街にはいつも通りの朝の喧騒が戻った。
「ノア、大丈夫だったか?」
「はい、ガルドさん。すっかり吹っ切れました」
私は手に馴染んだ道具を強く握り締め、空を見上げた。
青い空は、どこまでも高く、澄み渡っている。
誰かの庇護や都合に頼る生き方は、もう終わりだ。
おじい様から受け継いだ手と心、そしてこの腕一本で、大好きなこの街の人々を支えていく。
職人・ノアとして選び取ったこの新しい人生を、私は誇り高く、歩み続けていく。
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