第3話:受け継がれた手
隣領の商業都市は、私が過ごしてきた東の領地の静寂とはまるで違い、人々の威勢の良い声と活気に満ちあふれていた。
職人街の賑やかな通りを歩いていた時、ふと、かすかな金属の打撃音が耳に届いた。
吸い寄せられるように視線を向けた先には、古びた鍛冶工房があった。
赤く爆ぜる火花の中、汗を流しながら黙々と鉄を打ち叩く老職人の姿がある。
使い込まれた道具を、そしてこれから打つ鉄を、慈しむように扱うその無骨な手元。
(……おじい様)
胸の奥がキュッと締め付けられた。
たった一度の失敗で全てを失い、世間から隠れるように生きるしかなかった祖父。
けれど、幼い頃に見た祖父の手も、まさにこのような温かさと誇りに満ちていたのだ。
『おじい様……道具と人を慈しむあなたの教えは、今も私の手の中に残っています』
懐かしさと愛おしさに引かれ、私が思わず工房を覗き込んでいた、その時だった。
「おい!ねえちゃん! 危ねえから近寄るな、とっとと家へ帰れ!」
雷のような怒声が飛んできた。
老職人——ガルドさんは、額の汗を拭いながら険しい顔で私を睨みつけている。
「あ……すみません。あまりに見事な手さばきだったので、つい」
「軽口はいらねえよ。ここは見物人が来るような場所じゃねえんだ」
追い払われそうになりながらも、私はガルドさんの足元に置かれた農具や刃物の山に目を留めた。
どれも手入れは行き届いているが、付与魔法による補強が追いついていないようだ。
「あの……私、付与魔法での補助ができます。もしよろしければ、お手伝いさせていただけませんか?」
不躾な申し出にガルドさんは怪訝な顔をしたが、山積みの依頼品と私の真剣な目を交互に見比べ、一つため息をついた。
「ハッ、お前さんのようなお嬢ちゃんがねえ……。
まあいい、そこのクワを一回試してみろ。失敗して壊したら買い取りだぞ」
「はい、ありがとうございます」
私はクワを手に取ると、静かに息を整えた。
目立つ必要はない。
ただ、この頑固だが一本気な職人が打った道具が、使う人の手になじみ、長く寄り添うように。
私はおじい様から教わった「特級付与」の技法を用い、
道具の構造と魔力の通り道を丁寧に見極めながら、過不足なく静かに魔力を浸透させていった。
「……できました」
差し出されたクワを受け取った瞬間、ガルドさんの手がピタリと止まった。
その顔から険しさが消え、目を見開いてクワを見つめている。
「……何だ、これは」
あまりの無言の圧力に、私は少し不安になった。
「あの……不十分でしたでしょうか?」
するとガルドさんはハッと正気に戻り、クワを何度も握り直し、振ってみせながら声を震わせた。
「不十分だと!? バカ言え! 刃のブレが一切ねえ……!
なんだこの吸い付くような手触りと頑丈さは!
道具の癖も、使う人間の手の形も全部見抜いてなきゃ、こんな付与かけられるわけねえだろ!」
ガルドさんは信じられないものを見る目で私を凝視した。
「お前さん……一体何者だ?
こんな仕事、宮廷か大貴族お抱えの特級魔法師しかできねぇぞ!」
「いえ、私はただ……祖父から教わった通りにやっただけで」
「頼む、お嬢ちゃん! うちで力を貸してくれ! 銭ならちゃんと払う!」
頑固そうだった老職人が、なりふり構わず頭を下げてくれた。
誰かの「都合のいい道具」としてではなく、
一人の人間として、私の技術を心から必要とされた瞬間だった。
胸の奥に、じんと温かいものが広がっていく。
◇
その頃、東の領主館の執務室は怒号と悲鳴に包まれていた。
「なぜ繋がらないんだ! エレノアのやつ、連絡を遮断したのか!?」
カイルは『魔導水晶』を机に叩きつけた。
何度呼び出しても通信は繋がらず、履歴すら消去されている。
騎士団からは「武具が全く役に立たない。剣は刃こぼれするし盾はフニャフニャで役立たずだ!」と激怒され、商人からは「エレノア様のチェックがない納品物はすべて受け取り拒否する」と突き返されていた。
「マリア! お前、特級付与師の試験を受ける予定だと言っていたじゃないか! 早くエレノアみたいに武具を修復しろ!」
怒狂うカイル様に怒鳴られ、マリアはガタガタと体を震わせた。
「む、無茶言わないでよ! 私にできるわけないじゃない!」
「何だと……!?」
「受ける『予定』って言っただけじゃない! カイル様に気に入られたかったからそう言ったのよ! あの人の魔法なんて化け物なのよ! 初めて夜会で会った時から、怖くて生きた心地もしなかったんだから! カイル様が守ってくれるって言ったから従ったのに!」
マリアは涙を流しながら泣き叫んだ。
あの婚約破棄の日、カイルの横に立った時、マリアが小さく身を縮こまらせていた理由——それは愛らしさアピールなどではなく、真の特級魔法師が纏う圧倒的な魔力の深みに対する「畏怖」だったのだ。
メッキの剥がれた二人の醜い罵り合いが、誰もいなくなった領主館に虚しく響いていた。
◇
「エレノアちゃん、このハサミすごく使いやすくなったよ! ありがとうね!」
「お姉さんのおかげで、今日の畑仕事が全然疲れなかったよ!」
夕暮れ時、ガルドさんの工房には、笑顔で感謝を伝えに来る街の人々の姿があった。
「エレノア、今日はお前さんのおかげで大助かりだ。明日も頼めるか?」
「はい! 喜んで」
ガルドさんの温かい言葉に、私は深く頷いた。
かつて追い求めさせられていた王都での仕事や実績という重圧も、
カイル様から押し付けられていた「役に立たねば捨てられる」という恐怖も、ここにはない。
おじい様から受け継いだ手で、目の前の人を笑顔にする。
夕焼けに染まる職人街を見上げながら、私は二度とあの冷たい場所へ戻らないことを、静かに、そして強く誓った。




