憧憬。
男は、自分の手を見つめている。
剣だこができた、ゴツゴツとしたささくれだった手。
毎日千回は剣を振っている。
あの鍋を背負った侍に勝つため。
初めに会った時は、ただの流れ者の浪人に見えた。
町娘を攫おうとした俺を軽くいなして、嗜めた。
次に会った時、鍋を食わされた。
懐かしい故郷の味がした。
三回目。
充分修行して、強くなった。
万全の態勢での勝負。
だが、見合った瞬間わかった。
この男は遥か高みに居る。
修行を重ねて強くなったからこそ、それがわかった。
当然のように負けた。
圧倒的な強さ。
そして、岩之助は脳天を槍で貫かれたかのような衝撃を受けた。
まさに、運命。
岩之助は出会ってしまったのだ。
運命の人と。
風に靡く黒く艶やかな髪。
涼しげな目元。
紅い唇。
立ち姿だけで、武芸の心得があるのが分かる。
今まで出会った誰よりも強く、岩之助を惹きつける。
衝動を抑えることができなかった。
口をついて出た言葉は
「…お義父さん。」
我ながら恥ずかしかった。
鍋を背負った、その男に完全に敗北した瞬間だった。
その瞬間、その男に勝つよりも、初めて会ったその少女に認められたい。
その感情が勝った。
岩之助は拳を握りしめる。
また会いたい。
その思いを胸に、暮れかけた夕陽を背に再び歩き出す。
噂話を頼りに、技王の国へと辿り着いた。
手形がなかったが何やら火事があったそうで、検問も甘かった。苦もなく通ることができた。
技王の国。
聞いていた通り、技術が発展している。
至る所に工夫が施してあり、人々は活気に包まれている。
岩之助は、『こんな国もあるものだな。』と感心した。
町の人に聞き、鍋を背負った侍が、技王が元にいること。火事の際に火傷をして温泉で療養していること。
連れの二人は、技王のもとで世話になっていることを聞いた。
居場所はわかったが、流石に王のいる場所。容易く潜り込むことはできない。
岩之助は安宿の薄い布団へ転がり込む。
明日こそ会えるだろうか。
一人夜の闇の中。
胸の奥が、妙に落ち着かなかった。




