迷いの先へ。
「あれは、いい女だ。」
雲海は盃を傾ける。
「自立していて、頭も良い。何より、絶世の美女だ。」
鍋蔵は頷く。
「ただし、甘えさせてはくれねぇな。」
もう一度頷く鍋蔵。
今日は夏凛は用事があるとかで、店にはいない。男二人でチビチビと酒を飲む。
「お前もそろそろ傷が癒えた頃だろう。子供たちのところへ戻るべきじゃないのか?」
「…わかってはいる。」
鍋蔵は煮え切らぬ態度。
今日も盃を傾ける。
店に女の子が駆け込んでくる。
肩で大きく息をし、ただ事ならぬ様子だ。
「夏凛姉さんを助けておくれ!」
雲海が、女の子に声をかける。
「どうしたんだ?何があったのか落ち着いて話してくれ。」
雲海はしゃがみ込み、女の子と目線を合わせて話を聞く。
「近くの山賊が、所場代を払わなかったらこの店を壊すって。でも夏凛姉さんは、一文も払わないって突っぱねて睨み合いになってるんだ。」
雲海と鍋蔵は目を合わせて頷く。
女の子に案内してもらう。
「あそこだよ。」
女の子が指差した先には、体格のいい男たちと睨み合う夏凛の姿。
山賊の頭が口を開く。
「おとなしく金を出せば何もしねえって。」
「主たちのようなものに払う金は、びた一文ないでありんす。」
山のような大男に怯みませず、睨みつける夏凛。
周りの大人たちは、固唾を飲んで成り行きを見守っている。
「オメェたちは何もんだ?何の資格があってそんな無茶を言ってるんだ?」
雲海は飄々としたいつもの自然体で、山賊の頭に声をかける。
「俺たちは、この山を縄張りにしている猪頭団だ。ここで商売するには、俺たちの許可がいるんだ!」
雲海は肩をすくめる。
「ただのヤクザ者だな。鍋蔵、わからせてやれ。」
鍋蔵は近くの竹箒を拾い、重さを確かめるように握りしめる。
山賊たちは、各々の得物を構え鍋蔵に襲いかかる。
鍋蔵は竹箒で掃除でもするような気軽さで、山賊たちを払いのける。
息を切らす山賊たち。
「この剣の錆にしてくれる。」
山賊の頭は、その身長ほどもある大きな剣を構える。
「そいつは滅茶苦茶強いよ。怪我しないうちに謝ったほうがいいよ。」
「やっぱり、金を払うしかねえのか。」
周りの大人たちは口々に呟く。
山賊の頭が、剣を大きく振りかぶった瞬間。
鍋蔵の姿が視界から消えた。
一瞬の後に、倒れ込む山賊の頭。
どうやら鍋蔵は、竹箒での柄の部分で相手の鳩尾をついたらしい。
腹を抑えて苦しむ頭を山賊たちが引き摺るようにして、逃げる。
鍋蔵は無表情にその様子をただ見ている。
「これでいいのか?」
誰にともなく呟いた言葉を風が掻き消した。
…しばしの沈黙の後、あたりは歓声に包まれた。
夏凛は鍋蔵に駆け寄り、そっと手を握る。
冷たく、震えている小さな手。
「こう見えても、怖かったでありんす。」
誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。
夏凛の店。
鍋蔵は、ただ鍋を作っている。
じっと鍋を見つめている鍋蔵。
「主のお陰で助かったでありんす。あちきはこの町の女集のまとめ役みたいなことをしてるでありんす。これでしばらくはあの山賊どもに悩まされずに済むでありんす。」
「鍋蔵、争いや戦さは人が生きているかぎりなくならねぇ。それが世の真理だ。お前が今日したことで、一人でも救われればそれでいいじゃねえか。」
鍋蔵は無言で鍋をかき混ぜる。
鍋の表面の渦をただ見つめている。
立ち上る味噌の香りが店内に漂う。
「相変わらず、お前の鍋は美味いな。」
雲海は、空になったお椀を鍋蔵に差し出す。
「だが、少し味が変わったな。ぐつぐつと煮え切らぬものがなくなった気がする。」
「本当に美味しいわね。雑味がなくてスッキリした味でありんす。」
夏凛も舌鼓をうつ。
顔を上げた、鍋蔵からはここ数日の陰鬱な表情は消えている。
「俺はできることをただすることしかできない男だ。常に考え続けなければいけないようだ。」
鍋蔵は鍋をじっと見つめる。
「俺は、この国から戦を減らせるのではないかと思う。そのためには、技王にもう一度会いにいくべきだと思う。」
翌日の朝、桜たちが鍋蔵を迎えに来た。
「技王が、おっさんに早く戻ってきて欲しいんだって。」
桜は口を尖らせる。
「しょうがなく、迎えにきてやったんだからね。」
夏凛は鍋蔵の手を握る。
離す際も未練を残すように、その指先を見つめている。
夏凛も口元を扇子で隠し、鍋蔵にだけ聞こえる声で囁いた。
「鍋蔵さん、疲れたらいつでも、ここに帰ってきていいんでありんす。」
見送る夏凛に手を挙げて答える鍋蔵。
何かを感じたのか、桜は鍋蔵の脛を蹴飛ばす。
「…痛いな。」
呟く鍋蔵の口元に、笑みが浮かんだ。




