熾火。
侍は目を開けた。
夢の断片が脳裏をよぎる。
全身にまとわりつく汗が、不快感を増長する。
行燈の灯りが揺れる。
その光に照らされて女が一人。
「目が覚めたかい。」
侍は横になったまま、首だけそちらに向ける。
「熱が出てるからね。汗をかいた方が早く良くなるよ。」
言いながら新しい濡れ手拭いを用意している。
「…看病してくれてるのか。」
女中は頷く。
「あの子達を見てたらね。何よりあんたの作った鍋は美味しかったから。」
侍は目を閉じる。
「すまん…。」
女中は、侍が寒くないように布団を掛け直す。
「…あんた、どこか死んだ亭主に似てるんだよ。」
侍は、返す言葉を見つけることができない。
「何かに夢中になったら、ご飯を食べるのも忘れる奴でね。」
女中は遠い目をする。
「私はよく言ったもんさ。食べなきゃ生きていけないよってね。」
侍は小さく呟く。
「あの時、同じことを言われた…。」
背中の傷が熱を帯びる。
女中はそっと目元を押さえた。
「あの子達のためにも、早く怪我を治すんだよ。」
女中は静かに立ち上がり、部屋を出ていった。
侍はただ、部屋の片隅に置かれた鍋を見つめていた。
今は、誰かのために腹を満たすことのない鍋を。
…全身を鉛が包んだような重さ。
激しい息遣い。
敵兵に斬りつけられた傷が焼けるようだ。
自陣へたどり着いた仲間達の数は数えなくてもわかる。日毎に減っていく。
地面に大の字に寝転び、天を睨む。
どこまでも青い空は、何も答えてはくれない。
どこからか、いい香りが漂ってくる。
力なくそちらは目をやると、その女がいた。
煤に汚れているが、微塵も気にせず鍋の料理を皆に配っている。
気丈な笑顔は今日も変わらない。
侍はその女の名前も知らない。
ただ、命を繋ぐための鍋。
そのためにいる女。
ただ、鍋を作る女だった。
湯気の向こうから女の声が聞こえる。
「あんたも食べなさい。食べなきゃ生きていけないよ。」
泥のように疲れ切った体を引きずって鍋の方へ。
女が差し出したお椀を一気に呷る。
五臓六腑に染み渡る暖かさ。
徐々に生きる、生きたいという感情が蘇ってくる。
この鍋に何度救われたのだろう。
記憶が途絶え、別の場面。
自陣が炎に包まれている。
侍は誰かを探している。
誰を?自問自答する。
あの女だ。湯気の向こうからいつも微笑んでいた女。
名前を知らない。
あの女の安否だけが気になっていた。
炎と煙に包まれながら、必死に探す。
見つけた。
まっすぐな長い髪、痩せた背中。
細くて白い手には、幼い子供を抱き抱えている。
すでに生き絶えたその子供を慈しむように抱き抱える女。
「こんなところで、何をしている。早く逃げろ。」
掠れた声しか出なかった。
「あんたも食べなさい。食べなきゃ生きていけないよ。」
女の頬に涙が伝う。
「この子にも食べさせてあげたかった…。」
侍は白くなるほど拳を握りしめるだけだった。
…再び戦さ場から戻った時には、女の姿は見当たらなかった。
「俺は、戦を選んだ…。」
侍は夢の中、苦しげな表情を浮かべた。
目を開けた侍は、鍋に手を伸ばす。
冷え切った鍋。
まだ手は届かない。
「俺の役目は終わってない。」
侍の言葉は、宙に消えた。




