頬を濡らすもの。
街の喧騒、漂う味噌の香り。
屋台は営業を始めた。
「やっと開店か。」
「待たせるんじゃねえよ。」
客達の声。皆一様に笑顔である。
桜の呼び込みの声が街に響き、小太朗は早くも額の汗を拭う。
侍の心には、何かが引っかかったまま。
昼過ぎには行列がひと段落し、交代で休憩を取る。
少しだけ気が緩む。
「まだやってたのか。」
十手の男の声がする。
小太朗が視線を上げた先には、十手の男とその部下達。
部下達が、屋台に手を掛け壊し始める。
抵抗する桜。
だが、大の男に敵うはずもない。
気がついた侍が慌ててやってくる。
迷いなく、十手の男の前に立ちはだかる。
男達は手を止め、二人を見守る。
「無許可の商いだ。見逃すわけにはいかん。」
侍は身じろぎもせず、十手の男の目を見つめる。
「許可を取れと言ったはずだ。」
場に緊張が走る。
桜が駆け寄り口を開き掛けたのを侍が制する。
「秩序を守るのが俺の仕事だ。勝手に商いをすれば、秩序が乱れる。」
十手の男は侍を睨みつける。
「人が集まれば揉め事が起こる。それを見逃すわけにはいかん。」
男は腰の十手に手を伸ばす。
「昔みたいに戦うか?この中村佐之助、受けて立つぞ。」
腰の小太刀に手を伸ばす桜の手を侍が抑える。
「お前が敵う相手ではない。」
二人の周りに人の輪ができる。
侍は、腰の木刀をゆっくりと構えた。
「お前と向き合うのは何度目だ?」
佐之助はジリジリと間合いを詰める。
「俺は昔から、お前には敵わなかったな。」
「緊張すると口数が多くなるのは、相変わらずだな。」
周りが見守る中、二人の間に緊張が走る。
「お前のやり方では多くは救えない。」
「俺は目の前の誰かを見捨てるつもりはない。」
張り詰める緊張。
佐之助はふっと力を抜く。
「お前に剣で勝てる気はしないな。」
周りを見渡しながら佐之助は呟く。
「周りを巻き込むわけにもいかんしな。今日は見逃してやる。」
佐之助はくるりと後ろを向き、歩き始める。
「次は許可を取れよ。」
部下達も後に続く。
ただ一人を除いて。
実直そうな若い男は、顔を紅潮させて肩で大きく息をしている。
「中村さん!このまま見逃すわけにはいきません!」
抜いていた刀を大きく振りかぶり、力一杯振り下ろす。
大きく弧を描く刀の先には、小太朗。
目をつぶり、体をギュッと強張らせた小太朗に刃が届くその瞬間。
黒い影が覆い被さる。
布が切り裂かれる音だけが聞こえる。
暖かいものが小太朗の頬を濡らす。
滲む血が、ゆっくりと広がっていく。
…静寂。
「…無事か。」
時が止まったかのような刹那ののち、小太朗は覆い被さってきたのが侍だったことに気づいた。
侍の掠れる視界の隅で、佐之助が若い男を蹴倒すのが見える。
「…そんなことしたら、かわいそうだろ。」
薄れる意識の中で、侍は呟いた。




