100.apple
「……頭真っ白でもう何も覚えてない」
案内された個室で、ようやく私はひと息をついてベッドに倒れ込んだ。
「おつかれさま、ひめ」
「ありがとうございます……」
エルシャスの労いに力なく返すと、ユンファスがにこにこと言った。
「こらこら、女の子が男の前でベッドに横になるのはまずいよ~?」
「皆さんなら特に問題はなさそうです……」
「いやあ、問題はないんだけどねぇ、こう、倫理的にというか、常識的にね?」
言わんとしていることはわかるけど、緊張疲れが酷いので少しは休ませてほしいのが本音だ。
実は最初の挨拶以外、緊張のあまり自分が何を言ったのか覚えていないどころか、帝王の言葉も覚えていないのだ。
「ま、でもお疲れ。それっぽかったよ」
ユンファスの表情を見るに、特に失態はやらかしていない……のだろう。多分。ノアフェスとユンファスは、エルシャスに比べればかなり私から離れていたけれど、それでも会話が聞こえないほどではなかったはずだ。
「……一応、本物だ」
ノアフェスがユンファスの言葉を指摘すると、ユンファスは笑いながら、
「ああ、うんそうなんだけどさあ。記憶の失い具合からすると替え玉みたいな感じだし」
まったくもってその通りである。記憶じゃなく、本当に替え玉だ。中身だけ。
「私、大丈夫でした……?」
「うんうん、良く出来てた。練習の成果だねぇ」
「良かった。ああ、でもユンファスの言う通りですね……王族になんて生まれてくるものじゃない」
「はは、うんうん。皇族だけどね」
ちなみに、この部屋の前にはキリティアとギンカがいる。本来部屋の主だけ、もしくは最も信のおける者しか入れないはずの女王の部屋に――この場合の信のおける者は、普通に考えれば侍女設定のエルシャスだ――ノアフェスやユンファスがいるのは、ギンカの聖術でこの空間を外界から隔絶しているからできることなのだそう。
……残念ながら私には意味がよくわからなかったけれど。
まあとにかく、他の人には干渉されないで済む、ということだけはわかっているのでこうして無防備に話していられる。
どうやらノアフェスやユンファスも、どうにか誤魔化してここへきているようなので、騒ぎにもなっていないし、彼らのことは彼ら自身に任せておけば問題はないだろう。
「あの」
私がおもむろにベッドから上半身を起こして口を開くと、ノアフェスとユンファスがこちらを見る。
「馬車の途中で……見たんですけど」
私は、道中見た奇妙な露店について、何と言ったものか考えあぐねる。正直、奴隷を扱っているようにしか――
「ああ、奴隷市場?」
「え」
私が黙り込んだのを見たユンファスは、けろっと何事もないかのように言ってのけた。
「あれ、コーネリアの“名物”みたいなものだよ」
「……嘘……」
「本当本当。まあ、本当はリネッカにもあるんだけどね。あそこまで規模が大きいのは近隣諸国でもここくらいかな。何てったって」
「帝国、だからな」
「帝国?」
そういえば、リネッカは王国だが、コーネリアは帝国だ。あまり深く考えていなかったが……
「帝国の方が大きいんでしょうか」
「え。いや、君、そりゃあそうでしょ」
「あ、え、そうなんですね」
「お前、そういう知識も欠けたのか」
悪うございましたね、そんな知識も持ち合わせていなくて!
大体そんなことを一般常識みたいに語られても困る! もう日本は王国でも帝国でもないし、そんな知識とは無縁で生きてきたって困りもしなかった!
とは言えず。
「ぼくもわかんない……なんかちがう?」
ふて腐れそうになった私の救世主は、そこにいた。エルシャスがクマのぬいぐるみの両手を上げたり下げたりしながらそう訊ねたのだ。
そうだよね! わかんないよね! 私たちは仲間だ!
――しようのない同盟を勝手に私の中で結んでいると、ノアフェスが簡潔に説明した。
「王国は一個。帝国は複数をまとめて一個」
「……あ、なるほど。じゃあリネッカも属国ですか?」
つまり王国を大量に集めたのが帝国か。それなら、コーネリア帝国の方が規模が大きいのも納得だ。
しかしあれか。私は上から下へ落とされたようなものなのか。……まあ、どうせこんな世界なら女の扱いなんて戦略道具でしかないんでしょうけど。
「いや違う。属国ではなく、リネッカはコーネリアと同盟関係にある。比較的、対等だな」
「おおー……」
それは、結構凄いことのような気がする。が、今はそれより。
「あ、ええと、話を戻すと、つまりコーネリアは奴隷が名物の国ってことですか? ……最悪だ」
自分の祖国にドン引きだ。ありえない。
「その言い方は面白いけど、奴隷市場以外にも色々あるよ。コーネリアは進んでいるからね。いい意味でも、悪い意味でも」
奴隷を扱っている国がいい意味で進んでいるなんて考えたくないが、どうせそんなものなのだろう。ああ嫌だ。
「自分の故郷に幻滅する旅になりました」
私がそう言うと、ユンファスは笑う。
「ははは。ま、でも、どこもこんなものでしょ。ただ規模が広かっただけだよ」
「嫌すぎる。あるだけでも最悪なのに、規模が広いなんて。……厳格そうだけど、穏やかなひとかと思ったのに、極悪非道だった」
主語が抜けたが、帝王のことだ。悪い印象は受けなかったというのに。
「いやー、極悪非道ではないんじゃない。むしろ普通だよ」
「そうだな。奴隷に関しては進んだ国にはよくあることだ。それに、これでも規制が高まった方らしい。前帝の頃はさらに盛んだったという」
この世界の常識はどうかしている。奴隷を扱って普通だなんて、現代日本で聞いたら非難殺到だ。むしろ犯罪だ。
「リネッカでも、そういえば……どれい、へったね」
エルシャスが私の頭をよしよしと撫でる。
「その辺りは……確か姫が規制を掛けたんじゃなかった?」
「へ? 私?」
「そういえばそうだ。まあ、どうあっても撲滅とまではいかなかったらしいが」
「……」
この身体の前の持ち主とは、気が合いそうだ。
「でもまあ、それもちょっとした騒ぎになったよねぇ。奴隷を使いたい人間からしたら、最悪だし、当たり前だけど」
「とはいえ、女王の決定ではあったからな」
「外国の人間に好き勝手させるなんて、ってことで、それもまたひと悶着あったけどね」
……面倒くさい世の中だ。
私は自分の膝の上にエルシャスを乗せると、頭を撫で返しながら、「……こんな世界、息が詰まりそうです」とぼやいた。
「……」
ユンファスは、じっと私を見てはいたが、ふと笑う。
「まあ、男七人と森でひっそり生きてる今の方がおかしいんだよ」
「それはそうなんですけど」
もし、私があの家を出たらこんな息の詰まるような世界で、お城とか、貴族とか、決まりとか、色んなものに縛られて生きて行かなきゃいけないんだろうか。出てもいないのに心が重くなる。
「おかしいが、俺は楽しい」
ノアフェスはそういうと、欠伸をして私の隣に寝転がった。
「ちょっとちょっと、ノアフェスもエルシャスもー。女の子の、しかも女王様のベッドに無遠慮に寝転がないでよ。羨ましいけどさあ。ルーヴァスに殺されるよ?」
最後の台詞は、いつぞやユンファスがルーヴァスに槍を突き付けられた経験から来たものだろうか。あの時のルーヴァスの絶対零度の怒りは、唐突過ぎて頭が真っ白になったが、多分私を護る為のものだったと思う。……冗談に対する怒りとしては、結構不釣り合いだとは、思うけど。
しかしノアフェスは呑気なもので、
「あいつはいない。こいつのベッドは俺のより大きい上に寝心地がいい。不平等だ」
「番犬ならぬ鳥がいるじゃん。チクられたらどうすんの。っていうか護衛兵と国賓のベッドが同じ出来なわけないでしょ、馬鹿なの?」
「……ラクエスは部屋に入ってきていない」
「駄目駄目。っていうか連帯責任にされるの僕じゃん。絶対勘弁。はい、立つ。エルシャスもねー」
「うぅ」
「心の狭い奴だな」
「何で僕が罵られてんのー?」
ユンファスは二人を無理矢理立たせると、「ほら、もういい加減外出るよ~」と部屋を出て行った。女王の部屋からあの三人組が出ていくのは不自然すぎるが……多分、聖術か何かで、誤魔化してくれてると思う。……そう願いたい。
「……」
三人が出ていくと、当然部屋は静かだ。
私はおもむろに袖に手を突っ込む。そして、手鏡を取り出した。
「リオリム」
『――はい、お嬢様』
鏡面が揺らぎ、見慣れた執事の姿が浮かび上がる。
「……数日ぶりに話せた」
そう、旅の間は必ずエルシャスが近くにいたので、声を掛けられなかったのだ。
『お嬢様は、体調など崩されていませんか。顔色は――』
リオリムの表情が曇った。
『あまり良くないようですね』
「旅の疲れだと思う。ずっと馬車の中じゃあ疲れがたまって当然だしね。でも、私よりもみんなの方が大変だったはずから、我侭なんか言ってられないし」
私がそう言うと、リオリムはさらに表情を陰らせる。
『……無理を、されていらっしゃるのですね』
「どうだろう。まあ楽じゃあないけど……」
特に女言葉とか礼儀作法とかこの国への幻滅とか。
「でもまあ、わかってたことだしね。少なくとも、この国に白雪姫がいないのなら、彼女に殺される心配はあんまりしなくて良さそうだし、それはそれで悪くないかも」
『……』
私の言葉に、リオリムは瞳に愁いを滲ませた。
「リオリム?」
『お嬢様。確かに、この国に白雪姫はいません。しかし、危険がないわけではありません』
「え、……そうなの?」
確かに、シルヴィスは“賊に襲われたら”みたいなことを言っていた。でも、あれは道中の話だ。城の中に入ってまで命を狙われる危険性がそんなに高いだろうか。
「ここ、城の中だし、リネッカのスカスカな城とは違って警備とかはそれなりにしっかりしてると思うんだけど……」
『いえ、そういうことでは、なく……』
リオリムは言葉を選んでいる様子で、視線を彷徨わせる。
『城の中で、命を狙われる可能性は高くないでしょう。ただ、危険はある、と考えて頂ければ』
私はそのリオリムの不自然な様子に、あることを思い出した。
彼は“話してはいけないこと”があるのだ。下手をすれば、彼が消されてしまうような。
つまり、これは“話してはいけないこと”。
「わかった、リオリム。それ以上は大丈夫。……それなら、私はどう動いたらいい? それは、言える?」
『……』
リオリムは一瞬、驚いたように私を見た。それから、
『やはり、お嬢様は本当に……聡明だ。――必ず護衛にノアフェスを選んでください』
「わかった」
それは、シルヴィスも言っていたことだ。あの時私は、シルヴィスの私情――ユンファスと不仲であるという事実――が入っているが故の忠告だと思っていた。
しかし、リオリムに重ねて言われるのなら、それはシルヴィスの私情だけではない。
ノアフェスを選ぶことには、どうも何かしらの意味があるらしい。
もしくは、彼以外を選ばない、ということに何かの意味があるのか。
いずれにしろ、一人だけ護衛をつけるという状況になるなら、ノアフェスを選ぶことにしよう。
「ありがとう、リオリム」
『……お力になれず申し訳ございません』
「何で謝るの。私、お礼を言ってるんだよ? 返事は謝罪じゃないでしょう」
翳りのある顔で謝るリオリムに、私は笑った。
『……。どういたしまして、と、いうのでしょうか』
「うん。ありがとうね」
『……』
私は、少し慣れない様子で「どういたしまして」と言ったリオリムを見つめる。
「リオリム、何かぼうっとしてるね」
『……お嬢様に、そのような言葉遣いをしたことが、なく』
「そうだね。リオリムって恩に着せるような感じじゃないし。でも、有難うのお返しはどういたしましてじゃない。さっき言葉が出てきたんだから、言ったことくらいはあるでしょう」
『……』
リオリムは、少し考え込んだ。
……まさか、ないのだろうか。
「え、ないの? 言ったこと」
『……少なくとも、記憶には』
「……もしかしてリオリム、記憶喪失?」
『いえ。そのようなことはございません』
まあ、そうそう記憶喪失なんてないだろう。私の“記憶喪失”は嘘だし。――そういえばノアフェスは記憶喪失だったような。
いや、それより。
「じゃあこれからは言ったほうがいいよ。謝るより、絶対そっちの方がいい」
『……』
リオリムはしばらく言うべき言葉を考えている様子だったが、やがて、
『お嬢様が、そう仰るのでしたら』
と、微笑んだ。
……微妙に私の言いたいことが伝わってないような気がするが、気のせいだろうか。
まあ、いい。
私はどこか満足な気分で、そのまま眠りについた。




