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どす黒い赤


 祈りが届いたのか感知器は鳴らなかった。


「あ、あれ?」


 どうして警報音が鳴らなかったのかは、わからなかった。

 だが、今のうちにエリスを連れて感知器の元から離れた。


「ご、ごめん……アルズ」

「大丈夫。感知器も作動してなさそうだし」

「多分それ、魔力が感知できないくらいに少なかったからじゃない?」

「あ、たしかに」

「いや、でも、よく考えたら私の魔力は膨大すぎるはずだから、作動してもおかしくなかったんだけどな……」


 エリスは考え込むようにして顎に手を当てた。

「まっ、作動しなかったから何でもいっか!」

 考えているそぶりは五秒もなかった。

 エリスはするりと立ち上がる。

「今は考えてても仕方ないよ。ごめんね。もう十分休んだし、行こ?」

「本当に大丈夫?」

「うんうん!もう一回飛べそうなくらいには元気だよ!」

「もう頼まないけどね」

「ええ〜。楽しかったんだけどなあ」


 あんな心臓に悪い思い、二度もしたくない。


 ネロの領地への侵入に成功し、僕たちは態勢を立て直した。

 右手には、一面の芝生と森に囲まれたゴルフ場。

 左手には煌びやかな光を放つプール。

 正面には噴水と銅像が並ぶ巨大な門。


「流石に正面突破はできないし、脇の茂みから行こう」

「ええ……。葉っぱに虫がいっぱいついてそうで嫌なんだけど」

「いや」

 剪定された茂みには虫一匹いなかった。

「殺虫スプレーを作った本人がいる敷地内だよ」

「あっ!そっか」

 エリスはポン、と頷く。

「だから虫はいないはずだよ」


 僕たちは茂みを伝いながら、ネロ豪邸の裏手に着いた。

 その後ろ姿は、前面の華やかな姿から一変し、バックライトを受けて赤黒くなっていた。


——カチャンカチャン


 食器が擦れる音がした。

 大きなアーチ窓の隙間からは、部屋の光だけでなく、贅沢な夕食の香りも漏れ出す。


 僕は窓からそっと顔を覗かせた。

 白黒の服を着た男女がせわしなく夕食の準備をしていた。


 カラカラとカートを運ぶ人。

 燃える火を前に、フライパンを躍らせる人。

 皿へ料理を盛りつけ、ソースで模様を描く人。


「なんか、お腹すいてきた……」

 エリスが呟く。


「僕も。この依頼を終えたら何か美味しいもの、食べに行こう」

「よし!なんかやる気出てきた」


 姿勢を低くし、夕食の香る窓の下を進んでいく。


 時折窓の隙間から人影が見える。

 その度に身を影に潜める。

 これを繰り返すうちに、邸宅内の中庭に来れた。

 中庭の四方を、ガラス張りの廊下が囲んでいた。

 廊下の明かりは一つも灯っておらず、月光を受けていない先は見えない。

 闇の中に見えるのは、用途すら想像できないほど並んだ扉だけだった。


——パチン……


 二階に並ぶ扉の一つ、その隙間から光が漏れた。


「エリス、隠れよう!」

「りょーかい」


 僕たちは中庭の影に隠れた。

 あちこちの扉の隙間から、明かりが漏れては消えていく。

 このまま進めずにいても埒があかない。


「仕方ない。窓から入ろう」

「いいけど、音とか大丈夫?」

「これだけ広いんだ。多分大丈夫でしょ」


 エリスは僕を見た。

 じっと、何か言いたげだった。


「何?」

「いや、なんか、自分で言うのも変なんだけど、なんか、私っぽくなってない?」

「え、それはなんか嫌だな……」

「なっ、なんて失礼なやつっ!せっかく褒めたのに!」


 いつもと変わらないエリスを見ていると緊張も落ち着いた。


 また、ある扉の明かりが消えた瞬間。


「よし、やろう」

「了解!」


——パリンッ


 木の枝を突き立て、窓ガラスを割った。

 真っ暗な廊下に甲高い音が響く。

 音に反応するようにして、扉の明かりが次々と灯ってゆく。


 屋敷の中へは入れた。

 まずは、最も近くにあった明かりのついていない部屋に入ろうとした。


——ガチャガチャッ


 鍵がかかっていた。


「鍵、閉まってるかも……」

「え?本当に?」


 エリスが試しにドアノブを引っ張った。


——バキッ!


「あ」


 エリスが扉を枠ごと外してしまった。


 廊下の奥の明かりが灯る。

 足音が聞こえてくる。


「エリス、その枠はめて!」

「え、ええ……そんな無茶な」

「はやく!」

「わ、わかったよ」


 エリスに扉の枠をはめさせて中に隠れた。

 真っ暗な部屋だった。

 そこに、僕とエリスは息を潜める。

 外から声が聞こえてくる。


「侵入者か?」

「かもしれないな。一応守衛の方にも連絡入れるか」

「おい、ここの扉」


 一人がそう言った。

 その扉は明らかに傾いていた。


 声が近づいてくる。


 トン……。

 

 誰かが触れた拍子に、扉ががたりと鳴った。

 無理やり嵌めた枠が、じわじわと傾いていく。

 廊下の光が漏れ出す。

 隙間が少しずつ広がる。


 その向こうで、人影が止まった。


「……そこだけは、絶対にない」


 一人が言った。


 その声は震えているようだった。


「え、で、でも……」


「無いものは、無い。まずは戻って報告だ……あと、余計なことは絶対に言うなよ」

「わ、わかった」


 やがて、足音は遠のいていく。

「ふう……」

 なんとか、やり過ごせたみたいだ。


 それにしても。

 さっきから靴底が妙に滑る。

 水でもこぼれているのだろうか。


 この部屋は物置部屋だろうか。

 真っ暗だったが、いろんな物の影がそこにある。


 腕時計らしきもの。

 鞄。

 帽子。


 まるで、いろんな人から剥ぎ取って捨てたような物。


「アルズ。ちょっと火、つけていい?」

 エリスの声は明らかに普段とは違う。

「うん。いいよ」

「少し、目、閉じた方がいいかも」


 僕は言われた通りにする。

 エリスが炎の魔法で辺りを照らす。


「……アルズ、見ても叫ばない?」


 エリスは低い声で囁いた。

 

 足元の水滴は妙に粘つき、靴底にまとわりつく。

 

「うん。叫ばない」

「なら、目、開けていいよ」


 目をそっと開けた。


 壊れた腕時計。

 名前の消えかけた学生鞄。

 その隣には女性用の帽子。


 どれも、床へ投げ捨てられていた。


 炎に照らされ、物の輪郭に色が戻った。


 どれも同じ色だった。


 どす黒い赤だった。

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