侵入
翌朝。
僕たちはワンを連れ、昨日訪れた古書店へ向かった。
「おはようございます!」
僕は店内に向かって、大きな声で挨拶をした。
「……」
だが、返事はなかった。
「今日は休みなんじゃない?」
「いいえ。オープンの文字が刻まれているので留守ではないでしょう」
「とりあえず、奥に行ってみようか」
ここで待っていても仕方ないから、僕たちは奥の方へ進んで行った。
ぱら、ぱら……
やがて、一番奥の本棚から、紙をめくる音がした。
近づくにつれ、地べたに散乱した本が幾つもあった。
崩壊期、賢者の書など、以前、僕の宝石との関係を調べた本ばかりだった。
一冊の本を囲むように、淡い光が弧を描いていた。
その向こうから、ほんのりと珈琲の香りが漂ってきた。
僕たちは、恐る恐る、近づく。
「シュライン、それにアズレースさん?」
光の弧の中心には本があり、光の外ではシュラインがぐったりとしていて、その横にはアズレースさんがいた。
「……や、やあ、アルズ」
シュラインは目の下を真っ黒にしていた。
「ない、ない、ない、ない、ない」
アズレースさんは、珈琲を流し込むように飲みながら、目をかっぴらいて本を読んでいた。
「……」
ワンはそんな二人を見て、軽く引いていた。
「ちょ、ちょっと休憩してください!」
二人が落ち着くのを待っているうちに、昼になった。
「お待ちしておりました。アルズ様。エリス様。そして、そちらのお方は?」
アズレースさんは、机の上に人数分のいい香りの珈琲を用意してくれた。
「私は、ワンと申します」
「犬のお客さんなんて珍しいですね。何か、お探しですか?」
そう聞くとワンは黙って僕たちを見た。
「この人たちは大丈夫ですよ」
「……ありがとうございます」
ワンはネクタイを引き締めた。
「近年、殺虫スプレーが話題になっております。その成分を特定し、毒性を取り除く方法を探したいのです」
ワンは胸元から、小さな殺虫スプレーの缶を取り出した。
それを見ると、アズレースさんの耳がぴくりと動いた。
「……どうしてですか?」
その声は、普段よりも冷たく感じた。
ワンは、手に取った珈琲を置くと答えた。
「私は、主様を救いたいのです。そのために、必要だからなのです」
「……」
アズレースさんは、じっとワンを見つめている。
品定めをしているみたいでもあった。
「アズレースさん」
僕が協力を呼びかけようとした時だった。
「いいでしょう」
アズレースさんは肉球をこちらへ向け、二本の爪を立てた。
「まずは一つ。以前読んだ薬学書と照らし合わせる限り、有機塩素系の成分を応用したものだと思われます」
爪を一本、肉球にしまった。
「そして、もう一つ、その除去方法はあります」
ワンが顔を上げる。
「ですが、簡単ではありません」
「何が必要なのですか……?」
「千度を超える高熱で、一定時間焼却する必要があります」
「せ、千度以上ですかっ!?」
「ええ。そうです。さらに、温度が足りなければ、別の有毒物質が発生します」
「そんなっ!どうやって!」
ワンは声を荒げた。
アズレースさんはそのまま、一本の爪を口元に当てた。
「あ、し、失礼しました……」
「いいのですよ。幸い、私の店には、人がおりませんから……」
少し哀愁漂う声だった。
くるりと背を向けると、再び淡い光に囲まれた本へと戻っていった。
アズレースさんを見送りながら、シュラインが静かに言った。
「いつ、誰が見てるか分かりません。あんまり、このことについては語らない方がいいですよ」
シュラインも、何かを知っているようだった。
「いつもありがとうございます。今日も本、買わせてください」
僕がそう言うと、シュラインはにこっと笑った。
少し先を歩いていたアズレースさんの耳がピン、と立っていた。
帰り際、僕たちは一冊だけ古本を買った。
お得意様特典として、アズレースさん直筆の猫のイラストが入った、可愛らしいバッグにそれを詰めて貰った。
「ごめん。エリス。ワン。今日は野宿かも……」
「いいよ。私は野宿も嫌いじゃないから」
「そんなにもお金が無かったのですか?それでしたら、今日の宿代は私が持ちます」
ワンは、胸元の毛皮に手を突っ込むと、小さな財布を取り出した。
「え、いいんですか?」
「依頼の報酬の一部先払いです。困っている人がいるなら手を差し伸べるべきですから。お泊まりの宿はどちらですか?」
「えっと……たしか――」
いつもの安宿に、今日はワンの奢りで宿泊した。
「アルズ様、エリス様。殺虫スプレーの件ですが、超高温というのは流石に無理がありましたね……」
ワンは耳を垂らしていた。
つぶらな瞳は、夜の闇に隠れて輝きを失っていた。
「え、それくらいできるけど?」
エリスがぽけっと言った。
そういえば、ワンにはエリスの魔法について説明していなかった。
「あ、そうか。エリスならできそうだと思ったからすぐに帰ってきたんです」
「……」
ワンは驚きのあまり全身の毛を逆立て、ぽかんと口を開けていた。
やがて我に返ったように櫛で毛を整え、一呼吸置いた。
「あ、あなた方は何者なのですか?」
震える声には、警戒が入り混じっていた。
「僕たちは、ただの駆け出しの冒険者ですよ」
少しでも安心してもらえるように、僕は笑って答えた。
ワンは、慌てて口を手で覆った。
「あ、す、すみません。つい、追っ手かと疑ってしまいました……」
ワンの声音はふっと緩んだ。
「つい先ほどは、人には手を差し伸べるべき、と言っていたのにもかかわらず……」
泳ぐ視線は、僕と目を合わせようとしなかった。
「無理もないよ!下手に話したら、消されるでしょ?」
エリスの凛とした声が響くと、ワンは黙って視線を右へ逸らした。
「すみません……」
深く頭を下げるワンに、僕は言った。
「もう、一人で頑張らなくて大丈夫ですよ」
目が合うと、また笑ってみせた。
「ありがとう、ございます……」
絞り出すような声だった。
ワンはただ、深く頷いた。
そのつぶらな瞳から、涙の雫が落ちた。
ワンは何度も涙を拭っていた。
「……よし、エリス」
エリスは頷く。
「よおし。いっぱい燃やしちゃおうかな」
「燃やすのは、スプレーだけにしてよ?」
「この私が家ごと燃やすと思う?」
「うん」
ムキになるエリスを軽くなだめ、部屋に立てかけていた棒切れを手に取る。
夜風に備えて上着を一枚羽織る。
僕たちが部屋を出ようとした時だった。
「ま、待ってください!」
背後から、ワンの声が響いた。
「わ、私も連れて行ってください!」
「ワンさんは主の護衛をお願いします。それが、僕からあなたへの依頼です」
「ですがっ……」
ワンの苦しそうな声が聞こえてきた。
「主さんが今、一番隣にいて安心できる人にしか依頼できませんから」
僕はそのまま、そっと扉を閉めた。
「エリス。ネロの家ってどこかわかった?」
「まあ、大体。あのブライトライトの王城へ行く坂道の途中で枝分かれしてたでしょ。多分だけど、王城じゃない方に行った先だと思うよ。でも、どこに地下施設があるのかとかまではわからなかった」
「じゃあ、侵入して探すしかないか……」
暗雲に月が隠れる時間。
僕たちは王城へと続いて行く緩やかな傾斜を登っていく。
かなり上の方まで行くと、王城へ向かう道と、そうでない道に枝分かれしていた。
「そういえばさ、エリス。ネロのことをルーチェさんに話すのはどうかな?」
僕は王城を見上げながら聞いた。
「うーん……どうだろう?私はやらないかな」
「伝説の龍だから?」
「そうそう……うん?うん。それもあるけどさ」
エリスは尻尾を左右に揺さぶりながら答えた。
「話せるなら、ワンならとっくに話してるんじゃないの?」
「……」
黒くそびえる王城は普段とは違って見えていた。
「どのみち、僕たちがやるしかないか」
「ま、大丈夫だよ。この私がいるんだから!」
「頼りにしてるよ」
エリスと一緒に、高級住宅街の方へと足を踏み入れた。
少し登っただけで、一気に雰囲気が変わる。
街のガヤガヤした景色とは一変して、閑静で格式高い雰囲気になった。
等間隔に置かれたガラス張りのランタン。
角張るほど几帳面に剪定された草木。
石畳ではなく、継ぎ目のない滑らかな舗装路。
邸宅同士は離れて建ち、人の姿もない。
靴音が普段よりもよく響いた。
なんだか僕たちは、これから悪いことをしに行くみたいだ。
「エリス、まだ先?」
「多分。もっと上の方かも」
「わかった。ありがとう」
更に進んで行くと、そこには無機質な鉄のゲートがあった。
「なんかいかにもって感じの柵だね」
エリスはゲートを見上げていた。
「お金持ちが住んでそうな感じだ……」
「ま、とりあえず入口でも探そうよ!」
鉄のゲートへ近づくと、その脇にある守衛室には、明かりが灯っていた。
そこには守衛らしき人が座っていて、僕たちに気が付くと、帽子を深くかぶってこちらへ来た。
「逃げる?」
エリスがひそひそと聞く。
「いや、ここで逃げたら怪しまれるんじゃないかな」
「わかった。やばくなったらあの人、殺す?」
「無関係な人は殺しちゃだめだよ」
ひそひそとやりとりをしている内に、守衛は僕たちの前に来た。
「ええっと、どちら様ですか?」
その声は、まだ若かった。
「えっと、僕はこういうものでして……」
僕は冒険者手帳を見せる。
「……」
守衛はじっと冒険者手帳を見ていた。
やがて、深く帽子を被ったまま、顎に手を当てた。
「ノイエン。あなたはリヴィエラ様のご家族か何かで?」
その声は鋭く、疑っているようだった。
「はい。僕はアルズ=ノイエンで、姉はリヴィエラです」
「……それで、その英雄、ノイエン様のご家族がどういう用件で?」
「えっと、それは……」
僕は答えられなかった。
何かを疑う守衛は、そっとポケットサイズの無線通信機を取り出した。
僕が答えを探している間にも、守衛は無線に手を伸ばした。
「確認を取らせてもらいます」
万事休す。
そう思った矢先だった。
「招待状……」
エリスが小さな声で言った。




