はじまり
午後の仕事に戻ろうと、おばあさんの元へ行くと、誰かが店の前に来ていた。
爽やかな印象で、眼鏡がよく似合うスーツの男だった。
「委託製造をお願いしております餅蜜についてですが、以前お話ししていたとおり、利益圧迫の点から購入価格を下げさせていただきたく思っております」
「……う~ん。これ以上はなかなか厳しくてなあ」
「そこはもちろん、重々承知しております。ですので、原料をワンランク落としたもので構いません」
「そりゃあ、安くしようと思ったらできるんだけども」
おばあさんは頭を押さえていた。
「本来は半値まで下げていただきたいところを、三分の一の値下げに留めています。どうか!」
スーツの人は頭を下げている。
おばあさんは困ったようにして黙っていた。
「あの人は?」
エリスが僕に聞いた。
「うーんと、あのスーツのロゴは餅カンパニーだから、その営業の人かな?」
「へえ」
エリスは含みのある相槌を打つと、僕に向かって言った。
「詐欺師じゃなくて?」
「え?」
「おばあさんのお人好しな性格を逆手に取る営業だよ。あれ」
「えっと、どういうこと?」
「だってあの人、頭の中がお金でいっぱいだもん。利益が圧迫されてるようには見えないよ。計算高いなあ」
エリスは感心していた。
「ごめん。エリス。ちょっと行ってきてもいい?」
「うん。行ってらっしゃい」
手を振るエリスの表情は笑っていた。
「すみませんッ!どういう話ですか?」
僕はどうにもできるわけもないのに、二人の間に入ってしまった。
「おや、君は?」
「……」
いざ、目の前に入ったが、どうしたらいいのかわからない。
そもそも、経営だとか、利益だとか、よくわかってない。
「ごめんね。君、俺は今、このお店の方と商談中なんだ。何か用があるなら後で聞くよ?」
スーツの人は爽やかな笑みでそう言った。
その笑みが嘘っぽいのはエリスに聞かなくてもすぐにわかった。
でも、どうすれば……。
お姉ちゃんが壊しかけた蒸し器が見えた。
そうだ。
「話、聞かせていただきました」
僕は自信満々に、エリスみたいに胸を張った。
「うん?」
「あなたの商談を一部、えっと、拝聴させていただいたところ、疑わしいと思われる点がありました」
スーツの男性は笑顔のまま面倒そうに手を腰に当てる。
男の顔を見ていると手が震える。
それを見かねたエリスの手が僕の肩に触れた。
「お兄さん。彼がどなたかご存じないのですか?」
「おいおい、なんだ。君も」
「冒険者手帳を見せてあげなよ『ノイエン』」
エリスは強調するように僕の名前を呼んだ。
ぴくり、とスーツの人は肩を揺らす。
「え、いいけど」
たしかに、冒険者手帳にはノイエンの名は入ってる。
けれどそれは緑色の情けないものだった。
僕がもたもたしていると、スーツの人とエリスは苛立ちを見せ始める。
おばあさんだけが心配そうに見つめていた。
「ほら、はやくっ!」
「え、え……わ、わかったよ」
もう、どうにでもなれ。
その思いで財布から手帳を出す。
——ゴゴゴゴォッ!
突然、手帳の周囲が激しい音を立て始めると、空間がねじ曲がってしまうほどの青い炎に包まれた。
エリスの炎は、『ノイエン』の名前だけを残し、そのほかの恥ずかしい部分を覆い隠していた。
エリスが尻尾で僕の足を叩く。
「ほら……のって」
「え……ああ。ええと……」
エリスの無茶振りに応える。
それしか乗り切る道はない。
「そうさ。俺は、アルズ=ノイエン。英雄リヴィエラの弟だ!」
スーツの男は驚いたように僕を見ていた。
僕はノリに任せることにしたが、これ以上の言葉が浮かばない。
エリスに助け舟を求めるように見た。
エリスは空へ向け、指を鳴らすふりをした。
僕は真似するようにして空へ向かって指を鳴らした。
——ヒュンッ!
僕の指先から矢のような速度で龍の形をした巨大な青い炎が飛び立った。
——ドガァンッ!
空で炎が大爆発すると、一瞬、あたりの色が青く染まった。
世界の色が元通りになると、空で散った火花が降り注いでくる。
スーツの人は腰を抜かし、すっかりと怯えてしまっている。
「お前、ノイエン様が嫌疑をかけてるのだぞ。腰を抜かすとは何事だっ!礼は弁えろ!」
「は、はいいいッ」
すっかりエリスはノリノリだった。
「えっと、あなた……じゃない。お前、さっきの取引、あれは本当に正当なものなんだよな?」
僕は睨むふりをした。
できているのかはわからなかったが、男は両手を頭の上に上げ、服従の姿勢を取った。
「お前、言葉は慎重に選べよ。なあ、我が主」
「え、あ……ああ。うん。そうだな」
「……利益圧迫は嘘です。仕入れコスト削減のノルマを達成したかっただけです」
男は地べたに崩れたまま、力の抜けた声を出す。
これじゃ、傍から見れば僕たちの方が悪人に見えなくもない。
とはいえ、今の僕たちにはこれくらいしかできなかった。
男は力なく立ち上がった。
足元のスーツケースも忘れ、帰ろうとしていた時だった。
「ほら、これ、もちな」
おばあさんは男に餅の入った袋を渡す。
「え。でも」
「ええんだよ。その代わり、今度はちゃんとした商談を頼むよ」
そう言っておばあさんは微笑んだ。
男は黙って餅の入った袋を見ていると、やがて、口を開いた。
「はい。任せてください」
今度は、笑顔を見せなかった。
男は忘れかけていたスーツケースを手に取り、帰って行った。
「アルズ。さっきはありがとうねえ」
「い、いえ。それよりも、午後の仕事が始まってますよ」
「おっと……。そうだったねえ。いけない、いけない。じゃあ、今から子どもたちに餅を配るから、アルズたちも手伝ってねえ」
「はい!」
午後からは、公園で身寄りのない子どもや魔族に餅を配った。
「はい。これが、日当だよ」
仕事を終えると、おばあさんは封筒に入れたお金を手渡してくれた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ。冒険者生活、頑張ってねえ」
「はい!がんばります!」
早速、そのお金を宿泊代に当てる。
安宿の部屋に着くと、魔法受像機を垂れ流しにしながら、おばあさんがお土産でくれた餅をエリスと分け合う。
——速報です。近年増加傾向にある行方不明事件について、更にもう一件、被害届がありました。
終戦後だというのに、物騒なニュースが後を絶たない。
見ているだけで悲しくなるような話が、映像のたった数分に凝縮され、何件も放送される。
「ねえアルズ?」
「どうしたの?」
「明日さ、書店に行ってもいい?」
「うん。いいけどどうして?」
「ずっと気になってることがあったんだよ!」
何が、と聞こうとした時にはもうエリスは寝てしまっていた。
僕も眠たくなってきた。
うつらうつらとなる中、切り忘れた受像機の音がぼんやりと耳に響いた。
——今度はとある少女の両親が行方不明となり、少女は意識不明の重体で発見されました。ギルドは現在、行方不明になった両親を捜索しておりますが、未だ発見には至っておりません。
みなさま。くれぐれも暗くなる時間帯は不要な外出を控え、人目のない場所は避けるようにしてください。




