残したかったもの
目が覚めたのは病室だった。
窓から吹き込む風は冷たく、閉めようとしたが、手足にはまるで力が入らなかった。
どうにか起き上がろうと身体に力を込めると、足先だけがぴくりと動き、真っ白な布団が乾いた音を立てた。
「ん……んん、あれ、アルズ。起きたんだ?」
隣の椅子で寝ていたエリスが目を覚ました。
「……あ、ごめん。起こした?」
「ん〜……寝てた」
僕は眠たそうに目をこするエリスを見ていた。
その青い目は、澄んでいて綺麗だった。
「どうしたのさ。そんな私の目ばっか見て?」
「え、あ……ああ」
こういうのはどうなのだろうかと思って一瞬戸惑ったが、じっと見てくるエリスを前に話さざるを得なくなった。
「なんとなく、エリスといると安心するんだよね」
「あ~。そうなの?それ、私も思ったんだよね。アルズといると食べ物に困らない」
「それ、エリスがヒモになってるだけだよ」
「まあまあ、深いことは気にせずに」
深く考えなくてはいけない理由を作っている当人がそう言った。
それでも僕は、怒っているとかそういう感情はない。
ただ、一緒に旅をしてくれる仲間がいてくれるだけで十分……と思うことにしている。
これまでの言動や、やらかしには目をつぶるとして。
「それより、試合。お疲れ様!」
エリスは尻尾で、僕の身体に布団をかけた。
「うん。ありがとう」
「それで、キリをぶん殴れなかったけど、どうだった?」
エリスは、よれた布団の皺を丁寧に伸ばし、真っ白な表面を手でなぞった。
布団の下で、身体が次第に温かくなっていく。
「うん……」
僕は目を閉じ、キリとの試合を思い出していた。
——まあ、よくやったな。
そう言って僕に向けられた目に、かつて一緒に遊んだ日の面影があった。
「次は、勝って謝らせたいね」
そう言って目を開いた。
「そっか。どうせアルズは私との約束を守れなかったとかクヨクヨしてると思ってたよ。でも……」
エリスは笑った。
「慰める必要もなかったね」
その顔は、夕日に照らされて輝いて見えた。
——コンコンコン……
遠慮気味に扉を叩く音がした。
「どうぞ」
——ガラガラガラ……
静かに扉が開いた。
「レン……」
「よ!差し入れだ」
レンは片手に果物を持っていた。
小さな机に置くと、ナイフで皮を剥いていく。
いつしか、無機質な病室に甘い芳香が漂っていた。
「アルズ。無事だったか?」
「まあ、なんとか、ね」
全身包帯で、身体は思うように動かない。
でも、死んではいないから、ギリギリ、無事だったと言える。
「ほら、食えよ」
甘い香りの果物を差し出した。
「ありがとう」
それは、ほどよく熟れて甘くて柔らかかった。
「うん。美味しい。ありがとう」
僕がそう言うとレンは満足そうに笑った。
「アルズ。試合見させてもらったぜ。やっぱお前、かっけぇな!」
「レン……」
レンは果物をくれるだけでなく、僕のために言葉を運びにやってきてくれた。
その事実だけで、僕は嬉しかった。
「実はさ、俺。アルズのパーティーに加わろうと思ってたんだ」
レンは、ふっと笑う。
「けどよ、お前を見てたら、俺、まだ一緒にいられるほど強くないって思ったんだわ」
果汁の滴る銀刃に夕陽が当たり、天井をほのかに照らす。
「だから俺、まずはアルズと一緒にいられるくらいに強くなるんだ!そしたら、改めて仲間にしてくれないか?」
「うん。いつでも待ってる」
レンと約束を交わした。
***
翌朝。
傷はまだ痛むが、身体は不自由なく動く。
毎度のことながら、治療の効果は凄まじいが、金額も凄まじい。
「エリス。今日は久しぶりに働こう。餅屋のスタッフの募集をみつけたんだ!」
早朝から興奮気味の僕の話に、エリスは興味津々だった。
「へえ。何するの?」
「餅を売る手伝いだよ。しかも、なんと!昼の賄い餅、無料!」
そう聞くとエリスも興奮して立ち上がる。
「餅……がなんなのかは知らないけど、無料で何かを食べられるのはいいね!」
「さあ、行こう!」
僕たちのいつもと変わらない日常が戻り始める。
ネロのことは気がかりだった。
けれど、治療費で財布はほとんど空になっている。調べるにしても、まずは今日の宿代を稼がなくてはならない。
そこで僕たちは、おばあさんが営む餅屋の屋台へ向かった。
相変わらず冒険者である必要性は感じないが、今日はそこで店の仕事を手伝う。
「今日はありがとうねえ。何年ぶりだろうねえ。お手伝いさんが来てくれるのは」
腰がクの字に曲がったおばあさんがにこやかに迎え入れてくれた。
「いえ。僕たちの方こそ、依頼を下さりありがとうございます」
「こちらこそ、うちはお給料もあまり出せなくてごめんねえ」
おばあさんの手はひどく乾燥していた。
聞くところによると、ほぼ毎日、餅を朝から作っては休みなく働いているそうだ。
このおばあさんが、身寄りのない魔族や子どもたちに無償で餅を配っていることも聞いていた。
だから、不満はなかった。
おばあさんは目を細めながら僕を見ていた。
「それにしても、坊や。誰かに似てるねえ。はて、あの子は誰だったか」
おばあさんは腕を組む。
陽光を反射した首飾りの水晶が、おばあさんの目に留まった。
すると、おばあさんは閃いたように手を打つ。
「そうだった!リヴィエラっちゅう子だ!」
驚いてしまって一瞬声が出せなかった。
「それ、僕のお姉ちゃんです」
「なんと!そうだったんだねえ。どおりで、優しい目をしとる」
おばあさんは嬉しそうに語る。
その姿は微笑ましくて、聞いている僕も穏やかな気持ちになる。
「ほら、これ見てみ」
おばあさんは魔法仕掛けの蒸し器を見せる。
それは、ボロボロになって錆びていた。
「すごい年季ですね」
「これはね、リヴィエラが私の店を手伝いに来た時にバキバキに壊したんだよ。どうにか直して、それからずっと使っとる」
「え」
「水魔法が使えると聞いて、蒸し器に水を入れてくれと頼んだら、壊れるほどの勢いで水を出してしまってな」
おばあさんは、懐かしそうに語る。
「でもな、彼女は一生懸命に働いてくれた。『お金なんていらないから、このおいしいお餅を、弟たちが大人になっても残してほしい』って言ってな。そんで、うちが潰れそうなときには、とんでもない額の寄付をくれたんだよ」
おばあさんは、ボロボロになった蒸し器を誇らしげに見ていた。
僕のお姉ちゃんは行く先々でやらかしていた。
なのに、誰からも恨まれず、こうして語られていることが少し嬉しかった。
店が開くと思いのほか客が多く、僕もエリスもあたふたしながら働いた。
午前中の売れ行きは良好で、やがて昼休憩に入った。
「これ、とっても美味しいね。旅先にも持っていきたいくらいだよ!」
エリスはまかないの餅を食べてうっとりとしていた。
白く艶めく、ふわふわの餅に、特製の蜜をたらりとかける。
僕も一つ頬張った。
蜜の優しい甘みが、口いっぱいに広がった。
僕の好きな味だった。
この味を、お姉ちゃんが残したかった理由が、少しだけ分かった気がした。




