第二十話
「まあさ、殴るのがいい悪いってのはやってから決めたらいいんだよ」
「でも……やられたからって殴り返したら、僕もキリと同じじゃない?」
「いや。全然違うんじゃない?」
エリスはじっと僕を見つめる。
「私は、やられっぱなしの方が相手と同じ土俵に立ってるみたいで嫌。嫌な奴は踏みつけて、ぶん殴って上に立つ。これが私の考え方だよ」
エリスが最低なことを言ってるのはわかっている。
でも、エリスの屈託のない笑顔は嫌いじゃなかった。
僕は草の上に寝そべった。
青い草木の香りに混じって、ほんのりと土のにおいがした。
「僕が思ってるよりもずっと、世界は大変なんだね」
「まあアルズの理想は死後の楽しみにでも取っておいて、今はこの世界を楽しめばいいんじゃない?」
「あはは……死後って」
エリスも隣に寝そべった。
「はい!この大会のアルズの目標はキリを殴ること!異論は許さない!」
エリスは翼を広げて起き上がる。
その拍子に僕の手を掴む。
「だから、大会に向けて鍛えよう!私も付き合ってあげるからさ」
起き上がると、目の前には陽が差し込んでいた。
僕の抱える問題は何一つ解決したわけじゃない。
それでも、エリスといると、それを忘れさせてくれる。
まずは、大会でキリをぶん殴ろう。
それから考えよう。
「エリス。ありがとう」
「私は別に何もしてないけどね」
それから大会までの数日間、空いた時間を見つけては、エリスに付き合ってもらい鍛錬を繰り返した。
そして。
いよいよ明日が大会の日だった。
今日は、大会前日の説明会が朝からあった。
「エリスもついてくる?」
「うん。折角だし行こうかな」
宿のチェックアウトを終わらせ、僕たちは大会の会場まで向かう。
「いやあ、本当に最近、虫多いね」
エリスは鬱陶しそうに、目の前の羽虫を追い払った。
僕は糸目の男の言葉を思い出す。
——虫には気をつけるんだよ。
「あの言葉……」
「ああ。あの糸目の?」
「うん」
「たしかに、なんだか黒い感じがしてるね」
エリスは青い空を見上げながら、呑気そうにしていた。
僕には黒いものなんて見えない。
数年前まで戦争が続いていたとは思えないほど平和だった。
でもそれは、嵐の前の静けさみたいに感じられた。
足元に自生するホワイトピースフラワーの花は虫に齧られ枯れていた。
「その割には呑気だね」
「まあね。これも龍の余裕ってやつだよ」
そうこう話している内に、大会の会場までたどり着いた。
そこにはすでにルーキーと呼ばれる冒険者がたくさん来ていた。
「あっ、すみません。こっちですう!」
受付員が手を振っていた。
僕たちは他の冒険者たちをかき分けて、そこに向かった。
「こっちですう」
そのまま地下に案内された。
——ブロロロロロ……
大会施設の給水設備。
重低音の響く環境。
鉄と油の臭い。
ここが……
「闘技場……」
「いえ違いますよ?」
「え?」
「ええとお。給水魔法ポンプが故障したって修理の連絡をしたのですが……」
「あ……ああ。そういうことですね」
すっかり忘れていた。
僕はポケットから大会の出場表を取り出した。
「え、ええと……冒険者アルズ……」
僕の出場票を見せると、受付員は頭を下げた。
「僕の方こそ、ごめんなさい……」
「い、いえっ!こちらこそすみませんでした……」
受付員のポケットから音が鳴った。
「あっ!業者様がいらしたのですね……はい。はいっ。今すぐ向かいますう」
受付員は最後にもう一度、深く頭を下げると先に上へ行ってしまった。
ここには、僕とエリスだけになった。
「アルズ……」
「どうしたの?」
「アルズって、ちょっと馬鹿だったりする?」
「嘘?」
「えっと、うーんと……うん。嘘、かも」
普段は流ちょうに嘘をつくエリスが言い淀んでいた。
さっきだって、ちゃんと防具を揃えた人たちが集まっていた。
戻ってもどうせ白い目で見られるに違いない。
もう、誰にも見られないここがいい。
エリスが勝手に買っていた保護メガネをかけた。
「……よし。点検しよう……できないけど」
「ああ!ごめんって。引きこもらないでッ!」
エリスに引っ張られ、受付まで戻ってくると、ちょうどルール説明が行われていた。
その後は自由行動となり、闘技場の周囲には、冒険者を見物する人や、広場で魔法の練習をしている人たちがいた。
「あれ、アルズは着替えちゃったの?」
「うん。この方がいいや」
これ以上、勘違いされても困るし。
僕は会場を見渡す。
広いドーム型の観客席。
日光を浴び、乾いた砂埃を舞わせる闘技場。
照り返しだけで喉が渇きそうだった。
「緊張してる?」
「……そりゃあこれだけ広かったらね」
キリも来る。
そう思うだけで手に汗が滲んだ。
それでも、この機会に僕がどれだけやれるのかも知りたい。
緊張や不安だけじゃない。
期待もそれだけ大きかった。




