第二話
傷だらけで倒れていた者の口から出たとは思えない、随分と図々しい要求だった。
だが、僕は疑う間も無くただ要望通りに食べ物を与えてしまった。
バッグに詰めていた三日分の食事が早々に底を尽きた。
魔族の傷口は、縫い合わされるように塞がっていった。
本当に助けてしまってよかったのだろうか。
「いやあ、助かったよ。君、名前は?」
にっこりと笑うと魔族はそう言った。
心臓が警鐘を鳴らすように鼓動が速くなった。
「……僕はアルズ」
「そっかそっか!私はイヴエリスって名前だったっけかな?忘れちゃったなあ。まあ、エリスって呼んでよ」
「……」
「そんなに怖がらなくてもいいよ?」
「えっと、その、君は魔族?」
恐る恐る尋ねた。
すると、エリスと名乗る魔族は自信満々胸を張った。
「私は龍。龍だよ!伝説の本とかでよく見るやつ」
「龍?」
「そう。だから、伝説の存在である私は追われる存在なわけだよ!」
とんでもない虚言癖を持つ魔族と出会ってしまった。
「……」
「あ、信じてないでしょ」
エリスは口を大きく開けた。
「炎を出せば信じるでしょ。青い炎を出せるんだよ」
そのまま息を吸い込むと、空へ向かって息を吐きだした。
ふうっと音がした。
それだけだった。
「それじゃあ」
「ま、待ってよ!本当なんだって!ほら、あれだよ。私、昔、どっかの王様と契約を結んで莫大な富を築いたこともあるんだって」
「それじゃあ!」
僕はエリスという魔族の言葉を遮り。
早足で歩き出した。
幸い、追ってくる感じはなかった。
「そっか。そうだよね……」
エリスという魔族は小さな声で呟いた。
地べたに座っていた。
やがて、魔族が見えなくなると、一気に肩の力が抜けた。
心音はゆっくり落ち着いていった。
僕は首元の宝石をじっと見た。
脈打ってもいなければ、不思議な感じもしない。
ただの石だった。
さっきのエリスとかいう魔族の姿はもう見えない。
ついてきてもない。
無事にやり過ごせた。
そう思っているはずなのに。
来た道を戻っていた。
——「そっか……。そうだよね」
エリスは一人だった。
離れたはずなのに、見えなくなったはずなのに、その顔と声が離れない。
「何してるんだよ、僕は……」
さっきの場所へ戻ると、まだそこにエリスはいた。
今度は、エリスの姿を見ると一安心してしまった。
「え、アルズ?」
驚いた顔をして僕を見ていた。
エリスと目が合った瞬間、心が見透かされるような心地がした。
「君、とっても悲しい目をしてるね」
「……君、本当に何者?」
「私はイヴエリスって言う名前の龍よ!」
「……へえ。それで、どうしてこんなところで倒れてたの?」
そう聞くと、エリスは唸るようにして腕を組んだ。
「私、なんでか思い出せないんだけど人間に追われてたんだよ。で、ご飯も食べてないものだから倒れちゃったってわけ!」
「え?」
エリスのさっきまでついていた傷跡。
あれは確かに冒険でできるものにしては物騒だった。
「だから、アルズ。私は君にお礼がしたいんだ」
「お礼?」
「そ。ズバリ私は、君に支えてあげようと思うの!この世界では冒険者って仕事があるんでしょ?なら私がいればどんな難しい依頼だってこなせるわ!」
その声は自信に満ちて、微塵の疑いもないようだった。
エリスの実力はわからない。
それでも仲間が誰もいない僕にとっては、正直、魅力的だった。
でも、踏みとどまってしまう。
——「え……魔法使えないのかよ?」
——「じゃあ、一緒にいる意味ないじゃん」
——「まあ、その、アルズ君はアルズ君の才能があるわけで……」
もうみんな声変わりして、僕へ向けた発言すら覚えていないはずなのに、僕だけはいつまで経っても忘れられない。
あの過去から目を逸らすように、エリスから目を逸らした。
「……でも」
本当は言いたくない。
でも、このまま失望されるよりは、今の浅い関係のまま終わってしまった方が楽だろう。
やっぱり、エリスと別れよう。
「どうしたのさ、そんなにじっと見つめちゃって?」
エリスが不思議そうに自分の周りを見ていた。
伝えなきゃ。
「……僕は、魔法が使えないんだ」
僕は、喉から搾り出すように声を出した。
僕は、エリスから目を離していた。
「……」
風音が通り過ぎて行った。
「あ。そうなんだ。じゃあ、尚更いいんじゃないかな!」
エリスは違った。
僕の言葉を聞いても、何も変わらなかった。
「きっと、冒険に出るんだよね?それならさ、私がいた方が心強いよ」
本気なんだ。
だからこそ、怖くなった。
「ん?アルズ、どうしたの?」
「……」
「もしかして、言い出しといて怖くなっちゃったの?」
エリスは揶揄うように口元に手を当てている。
慣れていたはずなのに。
今だけは、失望されるのが怖かった。
唐突に言っても、何のことか分からないかもしれない。
それでも、関係を終わらせるなら今しかない。
「僕はリヴィエラの弟なんだ」
リヴィエラの弟。
これを言えば、みんな失望して僕から離れてくれた。
ところが、エリスは目を丸くして黙っているだけだった。
ふわりと風が吹きつけた。
あたり一面の若葉の香りを含むそれは、新たな旅立ちを告げるようだった。
「え?誰それ。それよりも君はアルズでしょ?どうして他人が出てくるの?てか、なんで今?」
エリスは不思議そうに首を傾げた。
空は青く澄み渡り、目の前の景色がこれまでになく鮮やかに見えた。
「リヴィエラが誰かは知らないけど、アルズが優しい人だから、私は君の力になりたいんだよ」
家族以外でこんなことを言われたことはあっただろうか。
本当は僕が手を差し出すべきだった。
だけど、震えた手は動かなかった。
その手を包み込むようにエリスが握った。
「よし!契約成立だね!」
エリスの握る手を見つめた。
「……本当に、僕でいいの?」
「ああ、もう湿っぽい人だなあ。魔法とかどうでもいいよ。アルズだから協力するって言ってるんでしょうが!」
胸の奥が熱くなった。
「え?泣いてる?」
「泣いてない」
エリスから顔を逸らす。
「いいや、泣いてるでしょ?」
エリスはニヤニヤと覗き込もうとしてくる。
「ちょっと、やめてよ」
エリスに顔を見られないようにしている時だった。
——ガサガサッ……
突如、草の茂みがざわついた。




