第一七話
エリスは寝たふりをしていた。
ハンドルドさんは続けた。
「ある程度までの魔力は、人を殺めなくても鍛錬で至ることが可能です。ですが……」
ハンドルドさんは俯いてしまった。
「それ以上を目指すと、人間の寿命では到底、たどり着けないのです。だから……戦時中の人たちは現在もなお、冒険者として強いのです」
ハンドルドさんは、自分の傷痕だらけの腕を見ていた。
今でも痛そうな痣が残っていた。
「凶悪犯罪者が強いのもそれと同じです」
ハンドルドさんの目元の皺は深く垂れ下がっていた。
「じゃあ……僕のお姉ちゃんは……」
気がつけば青水晶を握っていた。
僕の体温を帯びて生温かくなっていく。
その答えを知りたいようで、知りたくない。
「それは違いますね。彼女は、この世界のエラーです。生まれながらにして人間が許容できる魔力量を大幅に超え、更には数千年生きた魔族の魔法より鋭く、破壊力のある魔法を扱えたのですから」
それが聞けてほっとした。
だが、人を殺せば強くなれることは、胸が締め付けられるような事実だった。
「だからこそ人々は彼女に終戦を託したのです。ですが、五賢人をも遥かに上回る圧倒的な力は彼女を孤高にさせてしまった」
「……」
僕は、お姉ちゃんのことをよく知らなかった。
『すごい』と周りの人に言われているのを聞き続けてきた。
でも、お姉ちゃんの内面の話を聞いたことは、一度も無かった。
僕はお姉ちゃんの一面しか見ていなかった。
何も知らずに勝手に憧れていた。
——コホン
ハンドルドさんが咳払いをした。
「これは余談になりますが、リヴィエラ様は調子に乗り、民に魔法をお披露目しては、天文学的な被害額を出す怪事件を連発いたしました。また、ある時には……」
「も、もういいです」
たしかにお姉ちゃんはよくやらかす人だった。
それを気にしないくらいによく笑う人だった。
でも、ずっと一人だった。
少しだけ、僕の知っているお姉ちゃんの人物像が変わって見えた。
「失礼いたしました。では、今から、アルズ様の魔力量を増やす鍛錬をいたしましょう。まずは、扱える魔法を何でもどうぞ」
「わかりました」
目を閉じる。
頭の中で水の雫を浮かべた。
——アメシズク
そう心の中で唱える。
僕の頭上に丸い水玉が浮かぶ。
「水の初等魔法ですね。それを弾けないように、その形のまま保ってください」
ハンドルドさんの鱗粉魔法でも同じようなものを見せてくれた。
「は、はいっ」
ただ、弾けさせずに保つ。
身体中に疲労と痛みが広がる。
水玉は、わずか数十秒で弾けた。
「っはあ、はあ……倒れて……ない」
気を失わなかった。
足は震えているが、立てていた。
「なるほど……。まずは、これがアルズ様の限界点ですね。では、これからは制御できるように、私が指導いたします。本日の魔法は控えましょう。その代わり、少し休んでから、筋力も鍛えていきましょう」
「は……はい」
休憩後は、筋肉が悲鳴を上げても鍛錬をやめられなかった。
「あと十回でございます」
木刀を振り上げる。
腕が震えて、もう肩より上には上がらない。
「っ……!」
それでも両手に力を込めた。
木刀を振り下ろすたびに、お姉ちゃんの笑顔が頭をよぎる。
——ずっと一人だった。
「……あと、九回」
「はい」
もう一度、木刀を持ち上げた。
流れる汗が魔力の真実とお姉ちゃんのことを薄れさせるから。
とにかく今は、考えちゃ駄目だ。
鍛錬は夕方まで及んだ。
一息つく頃、ハンドルドさんは静かに尋ねた。
「アルズ様は、お姉様のように強くなりたいのですか?」
「……」
違う、とは言えない。
お姉ちゃんみたいに強かったら、もっとみんなが僕を必要だと思ってくれるから。
「はい。強くなりたいです」
「そうですか……」
「でも」
でも。
その力は努力だけでは得られないと言うなら……
「それが誰かを犠牲にしないと得られないなら、僕は弱いままでいいです」
影を焼き払うように真っ赤な夕陽が光を放つ。
ハンドルドさんと目が合った。
「それに、強くなくても僕を大事にしてくれる人たちがいるってわかったんです」
事実でもあるしちょっと強がりでもある。
たとえ数が少なくても、今の僕と一緒にいる人たちを大事にしたい。
ハンドルドさんはゆっくりと頷いていた。
夕陽を受けた風はまだ、ほんのりと温もりを帯びていた。




