第一三話
「エリス。この人、何言ってるかわかる?」
「もちろん!ルーチェの血を飲んでほしいんだってさ」
だめだ。
やっぱりエリスは。
「その、どういうことですか?」
僕はルーチェさんに聞いた。
ルーチェさんはガラス細工のペンを手に取ると、それを躊躇うこともなく自分の指に刺した。
「……私は王族の血を引き継いでる。だが私には子を持つつもりがない。既にこの手を血に染めてしまってるからな」
つうっとペン先からインクのように赤が滴ると、ルーチェさんはそれを眺めていた。
「だから君に私の血を飲んで貰って、血縁でもない君を無理やり後継者にしようとしているわけだ」
「えっ!?」
思わず声が漏れだしてしまった。
血の契りがなんとかとは言っていたが、そんな力技でいいのか。
「安心して欲しい。王位継承などといった私たちのしがらみに巻き込む気はない。ただ、私の代まで受け継いできた血を途絶えさせたくないというエゴでしかないよ。もちろん断って貰っても構わない」
ルーチェさんの足が机の下で何度も交差していた。
「あの……もし、僕が飲まないって言ったらどうなるんですか?」
「諦める。ただ、それだけだ」
「わかりました……」
家族以外の誰からも必要とされていないはずだった。
少なくとも冒険者になる前は。
僕がどうして選ばれるのだろうか。
その疑問は拭えない。
ペン先から滴り落ちた血が、床の上で徐々に光沢を失っていく。
「僕は……」
選ばれたことは嬉しかった。
でも、僕はまた失望させたくはない。
だから答えた。
「魔法が使えません」
怯えを覆い隠すように、できる限り凛とした声を出した。
けれど、こだまして返ってくる自分の声は、思っていたよりも情けなかった。
「ふっ……」
ルーチェさんから小さな笑みがこぼれた。
少し開いた窓から、そよそよと風が吹く。
机の紙がひらひらと音を立てている。
僕の視線はその音に吸い寄せられていく。
「関係ない。君だからだよ……」
ルーチェさんは柔らかな笑みを向けていた。
「……え?」
聞き間違いだろうか。
いや、聞き間違いなんかじゃない。
ルーチェさんは迷いなく頷いている。
「アルズ。私は、他ではない君を選びたい」
ルーチェさんの声が響く。
耳に届くと、背筋が震えた。
やがて胸の奥に届き、熱になって全身へ広がっていった。
ずっと欲しかった言葉だった。
もう答えないわけにはいかない。
「……本当に、ありがとうございます」
エリスは珍しく、何も言わずに執務室の天井を見上げていた。
「ふふっ。そんな目を潤わせるほどだったか?」
「い、いえっ。これは、その……」
「そうか。それなら良かったよ。すぐに用意をするから寛いでいてくれ」
ルーチェさんは片手で剣を持ち、躊躇いもなく自身の反対の腕をすっとなぞった。
剣先へと伝う赤はガラス細工のように繊細な光沢を放つ。
「少し抵抗はあるかもしれないが……」
僕は光沢を失う前に、滴る血を手ですくって口へ含む。
一気に飲み込む。
鉄の味だ。
力が溢れてくるとかそういった特別な感覚は……特にない。
ただ、少し、身体が熱くなった気がする。
「これでいいんですよね」
「ああ。すまないね。私のエゴに付き合わせて……」
ルーチェさんがほっと息をつくのを見て、それだけでも飲んでよかったと思えた。
「言い忘れてたよ。後継者は王族の剣技を扱えるようになるんだ」
「え?」
それってつまり……
「まあ、もちろん、相応の魔力は消費するがね」
やっぱりそうか。
そんなに現実は甘くない。
「だが」
肩を落とす僕を見て、ルーチェさんは付け加える。
「王の血を引き継いだんだ。多少は魔力量も増える。今の君ならせいぜい、初級魔法一回分に加えて、蛇口を軽く捻った程度の水なら出せるだろう」
「お、おお……」
普通の人なら、エリスみたいにしょぼそうな顔をするのだろうが、僕は違った。
もう、一発で倒れなくて済む。
「リヴィエラの報奨金の件、緊急依頼、さらには今回の件……アルズたちには幾度となく世話になった」
まだ何かあるのだろうか。
ルーチェさんはスケジュール表を手に取ると僕たちに見せてくれた。
「このままだったら剣技も扱えないだろう。だから、一か月程度ではあるが私と専属の執事から稽古を受けてみないか?」
ルーチェさんはそう提案してくれた。
しかも、その間は飲食費と宿泊費を出してくれるそうだった。
「い、いいんですか?」
「ああ。せめて、王族の剣技を少しでも扱えるまでは協力させて欲しい」
どこか嬉しそうに話すルーチェさんを見ていると、逆に断ることが申し訳なく感じた。
「こちらこそ本当にありがとうございます」
これで僕たちは、ようやく冒険者としての土俵に立てる。
執務室を後にし、僕たちは外に出た。
「随分と苦労人っぽいね。あの人……まさか、あんな趣味があるなんて」
エリスは呟いた。
「苦労人なのは想像つくよ。だけどあんな趣味って?」
「いやあ、見ちゃいけない気がしたんだけどさ、頭の中、もふもふの人形のことでいっぱいだったんだよ」
「嘘?」
「えっ、嘘じゃないよ!」
この反応は嘘っぽくない。
「頭の中で人形にぶつぶつ話しかけて笑ってたんだってば」
本当に、ルーチェさんは苦労人なのだろう。
「それにしても、なんでルーチェさんは僕を選んだんだろう?」
やっぱり気になって仕方がなかった。
「まあ、アルズのお姉さんが特別だとか、単純な力の強さだけじゃないってことだよ」
エリスは隣を歩きながら言った。
ルーチェさんだけじゃない。
エリスも僕を見てくれている。
たしかに冒険者という仕事は大変だ。
それでも僕は冒険者になってよかった。
さて、今日から宿で生活しながらご飯も食べられる。
昨日は宿屋のオーナーが宿代をまけてくれたから、少しだけお金が残っている。
ご飯を食べに行こう。
ポケットに手を入れた。
あれ、財布がない。
記憶を辿った。
さっきの執務室で、ポケットから何かが落ちた気がした。
あれは気のせいではなかったかもしれない。
まあ、場所がわかっているなら取りに行けばいいか。
「ごめん。エリス。もう一回、王城に行ってもいい?」
「いいよ」
「あ。そういえば宿の領収書、差し込んだままだ……」




