第十二話
糸目の男はそう耳打ちした。
それが何を意味するのかはわからず、聞こうとした時だった。
「何をしてるッ!さっさと歩け!」
遮るようにして冒険者の恫喝が響く。
僕に向けられた言葉でもないのに脳内が白くなる心地がした。
糸目の男たちは冒険者たちに連行された。
こうして、僕たちの依頼一件目は終わったのだった。
「はあ……」
無事に依頼は達成したものの、一日目にして、とてつもない疲労だった。
報酬は一日の宿代と、居酒屋で軽い食事を取るだけで底を突いた。
こんなに一生懸命働いても、一日の生活費で全部消えていく。
駆け出しとはいえ、もう少し余裕があるものだと思っていた。
大きな誤算だった。
「これじゃあ、冒険にも出られない……」
財布を振っても布ずれの音しかしなかった。
なのに明日は依頼を受ける暇もなく、ルーチェさんのところへ行かなくてはいけない。
考えたってどうにもならないのに、明日のことを考えてしまう。
「ねえ、アルズ」
なんとも情けない問題に頭を悩ませている僕にエリスが話しかけてきた。
「なに?」
「いやあ、ネロって人、知ってる?」
「知ってるよ。虫害対策の防虫剤も、農地開発もあの人が中心だもん。周りではよく、聖人なんて呼ばれてるし」
「へえ。聖人、ね……」
じゅっ……
網の上で取り忘れていた肉は黒く変色すると、姿をくらますように身を縮めていた。
「ネロがどうかしたの?」
「あの二人の心が少しだけ読めたんだ」
箸でつつこうとしたらぱらぱらと灰になって消えていった。
「なんか、ネロって人が出てきた」
「それで?」
「終わり」
「終わり?」
「うん。そうだけど?」
エリスはぽかんと言った。
「人の心、読めるんだよね?」
「もちろん!」
エリスはいつもみたいに自信満々だった。
「……今は不完全でほぼ読めないけど」
エリスの持つフォークから肉が落ちた。
「あ……」
「今日の晩御飯。エリスは落ちた肉とさっき灰になったやつね」
「そ、そんなあッ……」
エリスと一悶着はあったものの、無事に食事も済ませ、安宿に戻ってきた。
「あんたらも大変だね……。今日は、少し割引してやるよ」
晩御飯を済ませたのに、お腹が鳴っていた僕たちを見かねたオーナーが割引をしてくれた。
本当に、申し訳なくて、恥ずかしかった。
「浮いたお金で明日はお腹いっぱい食べようね!」
「……エリス。ごめんね。たしか火、起こせるよね。明日は雑草を取りに行こう」
「はあ。あんたら……。いいよ、今日はタダで」
見かねたオーナーはため息をついた。
「い、いいんですか?」
「ああ。俺だって生活に困ってた時期もあるからな」
「本当に、ありがとうございます!」
僕は頭を下げた。
「だがなあ。なんだ。魔族の異性とこんな宿に泊まるのは……」
オーナーは言い淀むと、チラチラと壁の料金表を見上げていた。
それを見て、僕はすべてを理解した。
本当に知らなかった。
下手をしたら、冒険者人生が終わったかもしれない一日だった。
なかなか寝付けない中、糸目の男の言葉だけが、妙に耳に残っていた。
翌朝。
まだ鳥が数羽しか鳴いていない時刻に宿のチェックアウトを済ませた。
というのも昨晩、ルーチェさんから伝言があったのだ。
『明日、君たちにお礼をしたい』と。
「あるず……、なんか、今日、はやいね……」
「うん。そうしないといけなかったから」
道中は軽く朝食でも買おうかと思っていたが、どの店もまだ開店はしていなかった。
城の前へ到着するも門は開いていない。
すっかり、門が開く前に城へ来るのが定着してしまった。
「どうしてさ、こんなにも朝早くに出たの?まだ門も開いてないし」
「……冒険者だからね。朝は早いほうがいい」
「まあ、たしかにそれはそうだけど」
「それよりさ……」
エリスと話している内に門が開くと、その先には警備の冒険者がいた。
「おはようございます。お早いですね。どんなご用事ですか?」
「はい。ルーチェ様からお呼びがかかったもので……」
「承知いたしました。では、念の為、お名前をこちらへ」
警備の冒険者は筆と入城簿を渡す。
僕はその署名欄に名前を書いた。
「ご協力ありがとうございます。アルズ様、イヴエリス様。どうぞお入りください」
王城の中へ入ると、老執事に案内され、ルーチェさんの執務室へ向かった。
「こちらでございます。では、お入りくださいませ」
老執事はそう告げると、来た道を戻っていった。
入っていいとは言われたものの、流石に少し緊張する。
扉の前でモタモタしているとエリスが痺れを切らしたように声を出す。
「ほら、さっさと入っちゃおうよ」
「わ、わかってるよ」
僕はエリスに背中を押されるようにして扉をノックした。
「失礼します!」
「ああ。入って構わないよ」
扉の奥からルーチェさんの声がした。
僕たちはルーチェさんの執務室に入った。
「待たせてしまったかな。アルズ、イヴエリス」
「おはようございます」
「すまないね。忙しいのに呼んでしまって」
「い、いえ。大丈夫です」
執務室には、よく磨かれた大理石の彫刻や、宝石の装飾を施された重厚な椅子が並んでいた。
僕たちは椅子に座るように促され、腰掛けた。
対面に座るとすぐに、ルーチェさんは深々と頭を下げた。
「村の件から今回の件まで。何と礼を言えば良いのやら……」
「い、いえ。今回はたまたまというか何というか」
それよりも僕はルーチェさんに聞きたいことがある。
「あの、少し言いにくいのですが……その、捕まった二人はどうなりますか?」
気がつけば前のめりになっていた。
「君は本当に……」
ルーチェさんの視線が肘掛けへ落ちた。
少しの沈黙があった。
ルーチェさんは姿勢を正すと、僕に視線を戻した。
「いや、失礼した……。君はアルズだからな」
「?」
何を言おうとしたのだろう。
ルーチェさんは僕を見て、にこっと笑った。
「それで、用って何?」
エリスが聞くと、ルーチェさんはゆっくりと頷いた。
「王族の血は代々引き継がれる。それは遺伝であるもの。または契りによって継がれるものでもある」
民に王命を告げるような、威厳に満ちた声が響く。
何か重要なことを伝えていそうだったが僕にはよくわからなかった。
「いや、周りくどいな。単刀直入に言おうか」
ルーチェさんは軽く息を整えた。
凛とした視線を僕に向ける。
背筋がピンと伸びる。
身構えて続く言葉を待った。
——「アルズ。君に、私の血を飲んでもらいたいんだ」
「……」
「はい?」




