04.過程
「……終わったのか」
誰に聞かせるでもなく呟く。
誰も返答しない。
屋上には風だけが吹いている。
さっきまで暴れていた黒い波は、跡形もない。
フェンスだけが大きく折れ曲がり、何かがあったことだけを物語っていた。
「終わってない」
神代春夜が立ち上がる。
制服の埃を払う仕草まで落ち着いている。
「そうなのか?」
「原因は消えた。でも誰があれ置いたかは、分からない」
その言葉に、俺は黒い立方体があった場所を見る。
何もない。
神力の流れも完全に消えている。
神代の中では事件の真相が分かるまでは、終わっていないということなんだろう。
「本当に見えなくなった?」
「ああ」
春夜は少しだけ安心したように白い息を吐いた。
「そう」
短い返事だった。
だが、その横顔は何か考え込んでいるようにも見えた。
「戻る。その前に背中、大丈夫?」
「ああ。たぶん」
本当は痛い。
制服の背中は裂け、熱を持っている。
神代は黙って俺の背中を見る。
「見せて」
「いや、大丈夫だ」
「いいから」
有無を言わせない口調だった。
制服を少しめくる。
「……っ」
火傷。
「痛い? 私を庇ったから」
「……そうだな」
「ありがとう……助けてくれて」
俺は返事ができなかった。
神代は視線を俺の背中へ落とす。
「借りる」
俺の背中へ手をかざした。
何も起きない。
神代が小さく眉をひそめる。
「どうした?」
「治せない」
「?」
「近くに治癒の神力者がいない」
「借りられる範囲があるのか」
「どこからでも借りられるほど便利じゃない。いくつか制限がある」
「何でもできるってわけじゃないんだな」
「そう、万能じゃない」
神代はそう言って、俺の背中から手を離した。
風が吹く。
「火傷は酷くない。でも一応、保健室に行って」
俺は素直にその言葉に頷く。
「私はグラウンドの人の処置に回る」
そう言うと、神代は踵を返した。
「待て」
思わず呼び止める。
神代は振り向いた。
「俺は……事情を聞かれたらどうすればいい」
「事情?」
「急にお前に連れられてみんなの前から消えた」
「……」
「ここだってほら、フェンスが壊れてるし、みんなに質問されるだろ」
「確かに」
俺は苦笑する。
誤魔化せる話でも、隠していい話でもない。
「神代春夜が答えるって言えばいい……慣れてるから、私こういうの。私は余白の神代だから」
淡々とした口調だった。
まるで、事件に巻き込まれることが日常だと言わんばかりに。
「慣れてるって……」
「今回のような事件は、別に珍しくない」
神代は空を見上げる。
「でも今日みたいなのは初めて……見えなかった」
春夜は少しだけ目を伏せた。
「また今日みたいな事件が起きたら、少しまずい」
神代は自分に言い聞かせるように呟いた。
「私は事件が起きたあとなら痕跡を追える。でも今日は、その痕跡が見えなかった」
「痕跡……」
神代は静かに頷く。
「……発火なら、火がどこで生まれ、どう燃え、煙がどこへ流れたか。その"跡"を追えば──」
「事件を追えるってことか。それは俺が見えていた波とは違うのか?」
「違う、似てるようで。あなたは神力が起こす過程を見ている。私が見ているのは起きた後。その痕跡」
正直よく分からない。
そう思っていると、
「借りる」
神代の周りに白い波が集まり始めた。
さっき屋上で見た黒い波とは違う。
澄んでいて、静かで、流れが途切れない。
「見える?」
「白い波」
思わず口から出た。
「流れが。今、お前の周りに集まってる」
「……私にはそれが見えない」
少女は唇をほんの少し噛みしめ、
「……結局、事件が起きた後でしか動けない」
「今回みたいな事件は、痕跡すら追えない」
神代は寂しそうに笑う。
初めて見た神代の笑顔だった。
それは笑顔というより、虚像だった。
「私もあなたみたいに、見えたらいいのにな」
初めてだった。
この力を羨ましいと言われたのは。
初めて、この力を否定されなかった。
神代は俺に手を差しのばす。
「飛ぶ。借りた力が消える前に保健室に送る」
「ああ」
俺たちは再び、景色を置き去りにした。




