03.黒い波と箱
目を開ける。
もう教室はなかった。
吹きつける風。
足元はコンクリート。
学校の屋上。
「……は?」
「瞬間移動、転移とも言う。借り物の神力」
神代は何でもないことのように言った。
俺は返事をするより先に、屋上の隅へ目を向けた。
金属でもない。石でもない。
それは見落としてしまいそうなほど小さく、真っ黒で、無機質な立方体。
そこから波は波紋のように広がっていた。
水面みたいに揺れながら、それを中心に流れ出ている。
「……あれだ」
俺が指差す。
神代も同じ方向を見る。
「何が見える?」
俺は目を細めた。箱から流れ出る波を追う。
……違う。
流れているだけじゃない。
箱の周囲を巡り、近づくものを拒むように渦を巻いている。
「神力が流れ出てる」
「……あの箱から?」
神代の声は低かった。
「ああ。でも……」
もう一度見る。見間違いじゃない。
「ただ漏れてるだけじゃない」
神代は黒い立方体へ目を向ける。
そして一歩踏み出した。
すると箱を巡っていた波が、不意に止まる。
まるで標的を見つけたように。そしてその標的は──神代春夜。
……襲いかかる。
「神代!」
思わず叫んでいた。
神代は振り向きもしない。
視線は箱だけを見ている。
見えていない。
何が、どこから迫っているのか、分かっていない。
黒い波は、もう目の前まで来ていた。
考えるより先に、体が動く。
「っ!」
神代の肩をつかみ、そのまま地面へ押し倒した。
次の瞬間。
俺たちの頭上を、黒い波が通り過ぎる。
屋上のフェンスが、軋むような音をあげる。
金属が紙みたいにひしゃげ、内側へ折れ曲がる。
「何が起きてるの?」
神代は身を起す。
「今のがみんなを止めてるの?」
「違う」
俺は黒い波から目を離さない。
「あの波はもっと静かで、人を縛る波だった」
神代はフェンスを見て言った。
「じゃあ、これは?」
「分からない。ただあの箱を守ろうとしてる」
「ならあの箱を破壊すればいい?」
「待て」
「何?」
「まだ分からない」
「……」
「あれが原因なのか、封じてる側なのかも判断できない」
「壊した瞬間に悪化する可能性もある」
神代は一秒だけ箱を見る。
「迷っても解決しない」
「──っおい!」
神代は迷わず、
「借りる」
誰かの神力を。
空中が揺らぎ、一振りの日本刀が現れた。
刀は立方体へ向かって一直線に射出された。
飛ぶ刀。
同時に、まだ後ろに残っていた黒い波が神代へ襲いかかる。
「避けろ!」
神代は俺の声だけを信じて横へ跳ぶ。
後ろの俺に振り返らず、迷わず。
跳ぶ。
黒い波は空を裂き、
日本刀は黒い立方体を──貫く。
鈍い音が響いた。
生徒を止めていた波が、薄くなり消えていく。
黒い波も力を失ったかのように止まる。
──そう見えた。
そう思った瞬間だった。
避けたはずの黒い波が、ぐにゃりと軌道を変えた。
最後の足掻くような反撃。
「しまっ──」
黒い波は一直線じゃない。
……狙いを定めている。神代しか見ていない。
避けても追う。
そう理解した瞬間、体が先に動いていた。
俺は神代の腕をつかみ、力任せに引き寄せる。
体勢が崩れる。
そのまま二人まとめて床へ転がった。
直後、
黒い波が俺の背中をかすめる。
熱い。焼けるような痛みが走った。
「ぐっ……!」
黒い波に弾き飛ばされる。
二人まとめてコンクリートの上を滑り、ようやく止まった。
背中が焼けるように熱い。
息を整えながら顔を上げる。
「……いつまでこうしてる」
すぐ目の前から声がした。
「……え?」
視線を落とす。
目の前には神代春夜の顔。真っ白な髪に、肌。相変わらず無表情だった。……なのに、妙に可愛いと思ってしまった。
……にしても近いな。
俺は神代を押し倒したまま、覆いかぶさる格好になっていた。
「……悪い」
慌てて身を離す。
……慌てた振りだったのかもしれない。
その拍子に屋上の隅へ目が向いた。
黒い立方体は消えていた。
黒い波もない。
校舎へ流れていた異様な神力も、完全に途絶えている。
これだけ観測できれば十分だ。
この事件は、終わった。




