1-8
5月の中旬になると中間テストが行われた。将次郎は難なく学年トップを取り、実弦も40番以内に入った。一樹は130番辺りで、志乃はなんとか食らいついて220番あたりに入り、ギリギリ赤点は免れた。
「なぁ。○○の××って曲知ってる?」1年4組の岸本優也は、1年2組の上松志乃に尋ねた。
中間テストが終わったあとの部活動の時間。軽音部の先輩から、「1年生で何か1曲練習して、部内で披露するように」という課題が出されたため、1年生たちはなんの曲にするか話し合っているところだった。
「あぁ。知ってるけど」志乃は答える。その曲は去年流行った歌で、志乃も聞いたことがあった。「それにする?」
「俺たちはいいけど、」岸本は自分と他の男子2人を指した。「この曲、結構ベース難しいぞ?」
「そうだっけ?」志乃は頭の中でその曲を再生した。指が自然に動く。「できると思う」
「そ?じゃあ頼んだわ」岸本はギターを担いだ。彼はリードギターとボーカルを務める。他の男子2人はドラムとリズムギターを担当していた。
「ちょっと練習してから1回合わせようぜ」と岸本。
「オッケー」志乃は頷いた。
30分ほど各々練習したあと合わせに入った。曲を流しながらそれとなく演奏する。このとき男子たちは感覚を掴む程度のつもりで演奏したので2,3割ほどの完成度だった。対して志乃は7割ほど弾けてしまった。それが男子たちの反感を買った。
「空気読めよ」演奏を終えると岸本は厳しく言った。「初合わせなんだから普通、ちょっと弾く程度だろ。ベースが主張しすぎて他なんも聞こえなかったわ」
「……ごめん」志乃は不満だったが謝った。うるさく弾いたつもりは全くなく、他の男子たちと同じように様子を見ながら弾いていた。
「はぁ」岸本は大袈裟なほどのため息をつく。「もういいわ。もう1回それぞれで練習しようぜ」
「うん…」志乃は口をすぼめた。あたしがうるさかったのか?もう少し周りの音を聞けばよかった?と内省しながら練習する。
練習を続けていると部長が寄ってきた。「今度動画を撮るから、よかったら参加しない?ベースは君でボーカルは俺。ドラムは2年の女子でギターは3年のあいつっていうメンバーでどう?」と提案する。
志乃が「ベースは3年の副部長がいいんじゃないですか?」と尋ねると、「あいつより君の方が上手いから」と部長は言った。
志乃は「いやぁ…」と言葉を濁す。自分よりも副部長の方が上手だと思っていたし、1年生の自分だけが先輩たちと組むのは遠慮したい気持ちもあった。
部長は「考えておいて」と言って去っていく。その様子を傍から見ていた岸本優也はさらに腹を立てた。なんであいつだけが先輩に声かけられてるんだよ。自己中なのに。ベースのくせに。色目でも使ってんじゃねえのかと不満を内に燃えさせた。
次のホームルームの日。時事問題の発表に向けて、1年4組の将次郎と橘ひかりは調べてきたことをグループに共有した。それを整理し、それぞれの発言する順番などを決め、一度通して発表の練習する。まずまずの出来になったので、グループは授業が終わるまで雑談タイムに入った。
「あ。ヤベ」一樹は今日の時間割を見た。
「どしたー?」一樹の向かいに座る持田が聞く。
「次って古文だよな?」
「うん」
「ヤベー。辞書持ってくんの忘れた」一樹は髪をかき上げる。「将次郎~。2冊持ってたりしない?」と幼馴染を頼った。
「持ってるわけないだろ」また始まったと将次郎は呆れる。
「え~」一樹はうなだれた。
「ピンチじゃん」持田がキャハハと笑う。「隣に見せてもらえば?」
「俺、隣いないし」一樹は自席を見る。「くっそー。こういう時は不便だな」
「ヤバいじゃん。どうすんの?」
「んー。ま、いっか。無くてもなんとかなるでしょ」椅子の背もたれにどっかりともたれて楽観的に答える。
「いいわけないだろ」将次郎が注意した。「借りてこいよ」
「え~。しょーがねーなー。志乃が持ってるわけないから実弦に借りるかぁ」
「志乃って誰?」先ほどまでキャッキャしていた持田の顔が曇った。
「…幼馴染」一樹は持田の嫉妬に気付いて簡素に答える。
「ふ~ん」持田は機嫌を悪くした。
ため息をつきたい気持ちを一樹は堪える。こうした感情をぶつけられるのは初めてじゃないが、対処するのが億劫だった。
「志乃ってもしかして、2組の上松志乃?」グループの1人、岸本優也が気怠そうに聞いた。
「そうだけど…」岸本の口調が友好的ではなかったので、一樹は少し顎を上げて岸本を見る。「なに?」
「いや。俺、軽音部だから」岸本は目を逸らす。
「あぁ。そうだった」なんとなく嫌な予感がして、チラッと将次郎を見た。彼は調べてきた資料に目を通していて、この話を聞いていないように見えた。
「あいつ、ベース上手いだろ」一樹は志乃を褒める。彼女のベースは素人が聞いても上手いと思うレベルで、一樹は志乃がベースを弾く姿も気に入っていた。
「全然」岸本は唾を吐くように言った。
持田と将次郎が岸本を見る。
「技術があっても空気が読めないんじゃな」岸本は横柄な態度で続けた。「バンドなんてチームワークがあってこそだろ?輪を乱されると困るんだよな」
「ほぉ~ん」一樹は下まぶたを痙攣させた。
将次郎も資料から手を離す。
「あいつ何したわけ?」一樹が尋ねた。
岸本は初合わせのことを説明する。「1人だけ調子乗っててマジ合わせ辛かったわ」
「なるほどな―。まぁ、確かにあいつ空気読めないところあるけど、」一樹は背もたれに肘を置いて足を広げる。「つまりお前がヘタクソってことでいい?」
「は?」一樹なら乗ってくれると思っていた岸本は貶されて眉をしかめた。
「嫉妬してるってことだよな?あいつが上手すぎて」
「ちげーよ」首を赤くさせる。「空気読めって話。あの時が初合わせだったんだから、弾けなくて当然だろ」
「だからってバカにすんのはどうかと思うけどな」フンと鼻で笑う。「嫉妬は醜いよ~。俺そういうの大嫌い」
持田は男子たちから目を逸らす。
「別にバカになんてしてねーよ」岸本は貧乏ゆすりを始めた。
「はいはい」これ以上喋るつもりはないと一樹はあしらった。将次郎もそれを聞いて資料に戻る。
「…なんだよ」ちょっと人気あるからって上から言ってきやがって。どいつもこいつも、上松ばっかり贔屓かよ。
岸本は腹の中に苛立ちを住まわせたまま、その後はずっと黙り込んでいた。
2組の志乃のグループも、それぞれが調べてきたことを報告し合って、ひとつにまとめる作業に入った。その後誰がどのパートを担当するかなどもトントン拍子で決まり、こちらも時間が余ったためお喋りをしていた。
「江見澤さんって何部だっけ?」志乃が何気なく聞いた。
「結でいいよ」江見澤は微笑む。「私は演劇部。って言っても演技じゃなくて、小道具とかそっちを担当してるんだけどね」
「へぇー」
「手芸とか裁縫が好きで、服作れるところないかなーって思って演劇部に入ったんだ。これから文化祭とかで衣装作れるの楽しみ」ウキウキと楽しそうに話す。
実弦は聞き専に回ってうんうんと頷き、北島は寝ていた。
「すごいじゃん。器用なんだな」志乃は尊敬した。
「そんなことないよ」照れたように笑う。「志乃ちゃんは軽音だっけ?」
「うん」
「すごいなぁ。私は何ひとつ楽器できないから」へへッと困ったように笑った。
「あたしは小さい頃からやってたから」志乃は井浦の方を見る。「井浦さんは部活入ってるっけ?」
「ううん。帰宅部」井浦冬舞は首を振る。余った時間で本を読もうとしていたが、質問されて表紙を閉じた。
「入らなかったんだ」江見澤が言う。「どうして?」
「……色々あって」井浦は濁した。
志乃は何か訳ありなのかと察した。「あれだろ?確か、家が遠いとか言ってなかったっけ?部活やってたら帰るの遅くなるよな」と助け舟を出す。
「え…。あ、うん。そう」井浦はそれに気付いて乗った。「それに部活するより、本読んだり書いたりする方が好きだから」と馴染むように付け足す。
「書くって…。お話を書いてるの?」江見澤の目が好奇心で光る。
「まぁ、うん」虫の居所が悪そうに井浦は頷く。
「すごい!よかったら今度読ませてくれない?私も本読むの好きだから」期待を込めて身を乗り出す。
「いや…。下手だから」井浦は身を引いた。
「下手なわけないよ!井浦さんが書く話なら絶対面白いと思う!それにせっかく書いたんなら、読んであげなくちゃそのお話が可哀想だよ!」ニコッと笑って井浦を励ました。
「あ……。うん。そうだね」気が抜けたように頷くと、眉を下げて微笑んだ。「じゃあまた今度」
「やった!楽しみだなぁ」江見澤は喜んだ。
志乃はチラリと井浦の表情を盗み見る。
「柏木くんは何部だっけ?」江見澤は実弦に話を振った。
「ぼ、僕は」実弦は少しビクッとなった。「美術部」
「へぇ!絵が得意なんだね」と笑顔を向ける。
「う、うん。ちょっとだけ」
「どんな絵を描くの?」
「ゲームのキ、キャラとか。ゲームするのもす、好きだから」恥ずかしそうに答える。
「へぇー!」
そのとき授業終了のチャイムが鳴り、休み時間に入った。全員自席に戻り、江見澤はトイレに立つ。井浦は今度こそ本を読もうと表紙を開いた。
「なぁ」志乃が話しかける。
「なに?」井浦は振り向いた。
「大丈夫か?別に無理して見せなくてもいいんだぞ」
「え?」
「さっきの。本書いてる話」
「あぁ」井浦は少し考えてからふっと笑った。「大丈夫だよ。嫌じゃないから。それにあの子の言う通り、読んでもらわなくちゃ書いた意味ないから」
「そっか」彼女が納得していそうだったので志乃も満足した。
「というか、さっきはありがとね」志乃が助け舟を寄越してくれたことを感謝した。今も気にかけてくれている。
「なにが?」志乃は首を傾げる。
無自覚な表情の志乃を見て、この子は本当に何気なく人を助ける子なんだなと井浦は感じた。
「ううん。いいよ」
「ん?」志乃はなんのことだと眉間にシワを作る。
「おーい!実弦ー!」雪元一樹の大声が2組の教室内に響いた。
「一樹くん。どうしたの?」実弦は驚いた。志乃も迷惑そうに一樹を見る。
「なぁなぁ」一樹は実弦の席まで行った。「辞書持ってね?次の授業、古文なんだけど忘れちゃって」
「あ、いいよ。ちょっと待ってて」実弦は教室の後ろにあるロッカーに辞書を取りに行った。
「ん。志乃」お前そこにいたのか、という軽い感じで一樹は志乃に近寄る。
「なに?」志乃はウザそうに一樹を見上げた。
「今日は部活サボってカラオケ行こうぜ」ニカっと笑う。
「行くわけないだろ。あんたと違ってあたしは忙しいの」いつものおふざけが始まったと志乃は思った。
「いいじゃんよー。1日くらいサボったってバチ当たんねぇって」
「うるせー。曲の練習しなきゃいけないんだよ。先輩の前で披露することになってんだから」
「ちぇっ」一樹は舌打ちする。志乃はこういうところで変に真面目だから、この誘いには乗らないだろうと諦めた。
「適当にやれよ。ステージに上がるわけでもないんだから」とアドバイスする。
「はいはい」志乃はあしらった。
「どうぞ」実弦が辞書を持ってくる。
「おっ。サンキュー。やっぱ天才だわ実弦」一樹は実弦の肩に腕を回した。「あとで返すな」
「うん」
「じゃあなー」一樹は颯爽と去って行った。
「あいつ大騒ぎするだけして帰ったな」志乃は呆れる。「絶対あたしが辞書持ってないって思ってるだろうし」
「そうだね」実弦は眉を下げて笑った。「一樹くんらしいけどね」
「そうだなー」
この日の放課後、志乃が軽音部へ行くと、1年男子からあからさまな無視を受けた。この日だけでなく、その次の日も次の日も続いた。
岸本優也は嫉妬を拗らせており、志乃に何か言われたわけでもないのに、なぜか志乃を無視することに決めた。
志乃は「無視すんなよ」とキレたが、それでも岸本も他の男子も話に応じようとしなかった。そのため仕方なく、志乃は1年生のグループから抜けて、部活動中は1人でベースを弾くことになった。
先輩に曲を披露する日が来ても志乃はグループに加わらなかったため、不思議に思った部長が志乃に理由を尋ねた。
志乃は「体調があまり良くなくて練習不足だったから、足手まといにならないよう抜けた」と言い訳した。彼女は無視されている原因が、初合わせのときに岸本の機嫌を損ねてしまったせいだと考えていた。
だから先輩にも顧問の先生にも無視されていることを相談しなかった。それに何より問題が大きくなるのが面倒だったし、こうして拗れてしまった以上、上手い曲なんて弾けないと分かっていたので黙っていた。
部長は1年男子にも理由を聞いたが、「あいつが練習に参加しなかった。俺たちはやろうって声をかけたのに」とごちゃごちゃ言った。
部長は彼らが志乃を無視しているとは思わず、どちらの理由も含めて納得してしまった。しかし部長は引き続き志乃の腕を見込んでいたので、「この前言ってたバンドを組まないか」と再度志乃に提案した。
志乃は不完全燃焼を起こしていたのでそれを了承し、これでやっとバンドでベースが弾けると喜んだ。
だがいざメンバーが揃うと、2年生でドラムを担当している女子生徒が、「ベースは副部長がいい。自分は副部長と付き合っていて、副部長が引退する前に一度バンドを組んでおきたいから」と抗議した。
部長はその女子生徒の説得を試みたが、それを見た志乃は自らベースを辞退した。自分が抜けることで解決するなら喜んでそうする。もうこの部で面倒事を起こすのは懲り懲りだった。
しかしそうなると志乃はどこのバンドにも入っていないことになる。どこかのグループに途中から入るのも困難だった。もし自分でバンドを組んだとしても、ここの人たちならどうせまたギスギスすることになると志乃は考えた。




