1-7
翌日の午前中、2組の女子は体育館、男子はグラウンドに出て体育の授業をしていた。今日は準備運動ののち体力測定を行う。
名前順に前から2人1組を作れとのことで、女子は1番の人がこの日欠席していたため、3番の志乃は2番の井浦とペアを組んだ。
「なんか意外だな」背中合わせになり、腕を組んで背筋を伸ばす準備運動中に志乃は言った。
「なにが?」志乃がお辞儀したので、井浦は仰向けになりながら応える。
「いや、なんかこういうの休むタイプかなって」色白で痩せている井浦は、木の下で本を読みながら体育を見学するタイプに見えた。
「体育は好きじゃないけど、」井浦は志乃の背から降りる。「運動音痴ってわけでもなくて」
「そっか」井浦のひとつに束ねた髪が志乃の首に掛かって少しくすぐったく感じた。
今度は井浦が体を曲げて志乃を背中に乗せる。「休んで留年にもなりたくないから」
「そっか」華奢な井浦に乗るのは少しヒヤッとしたが、意外にも彼女はしっかりと志乃を支えた。
「どこの中学だった?」地に降りると、志乃はこの際だからと質問した。
「東」
「どこそれ?」志乃は腕をほどいて床に座ると、足を広げて上体を前に倒した。
「横浜にある学校」井浦は志乃の背を押す。
「え?結構遠くない?」イテテと唸りながら志乃は言った。「じゃあ家もその辺?」
「そう」
「行き帰りとか大変じゃない?1時間くらいかかるだろ?」上体を起こす。
「うん。だけど知り合いがいない学校が良かったから」井浦は座った。
「あぁ…」何か訳ありかと勘繰って志乃は立ち上がる。
「上松さんはこの辺の人でしょ?」井浦は足を広げて上体を倒した。補助がなくとも体が床にピッタリと密着する。
「そうだよ」志乃は気持ち程度で井浦の背に手を当てた。「てか志乃でいい」
「……どんな感じ?幼馴染と高校まで一緒って」
「どんな感じぃ?」志乃は眉を寄せた。「別に何とも…」
「大変じゃない?」井浦は体を起こす。
「大変て?」
「なんて言うか…」明確な言葉があるのだが、それを口にするのは失礼になると井浦は躊躇った。「ほら、知ってる相手とずっと一緒って窮屈に思わない?」と濁す。
「いいや」志乃はそれに気付かず井浦に手を差し出した。「なんかもう幼稚園から一緒だから、家族とか兄弟みたいなもんだし」
「そう…」井浦は志乃の手を見つめたあと、その手を取って立ち上がった。「でも家族でも嫌になることあるでしょ?」
「まぁなー。ケンカすることもあるし、イジられることもあるし、あいつらのフォローすることだってある。でももう慣れたもんよ」
聞きたかったことが志乃の口から出てくれたので、井浦は楽に思った。「もし1人だったら、そのフォローしなくて済むでしょ?昨日のホームルームみたいに」
「あぁ~…」志乃は井浦の聞きたいことが掴めた。彼女は志乃と実弦の関係を尋ねている。
お喋りしてないでさっさと次に移りなさいと先生に注意された。2人は移動する。
「まぁ、ギブアンドテイク?みたいな感じだから」志乃は歩きながら話した。「あたしだってあいつに迷惑かけることあるし…」少し恥ずかしくなって体操服の首元を弄る。
「へぇ」隣を歩きながら井浦は言った。
「仮に幼馴染じゃなくても、あたしはあいつのフォローしてたと思うよ。てか、あんまり深く考えてない。損とか得とか。あたしがしたいからやってるだけだし、楽しいから一緒にいるだけ」
「そっか」井浦は志乃を見つめた。
井浦冬舞の薄い茶色の瞳に見つめられ、志乃はドギマギした。なんでも見透かされているような気分になる。
「あ。もしかして、」志乃はハッとなった。「実弦のこと面倒だと思ってる?」井浦がグループワークの中で実弦を厄介に思っているのでは、と不安になった。
「悪い。あいつのことなら、」
「ううん。そういう意味じゃないよ」井浦は慌てて否定した。「上…。志乃ちゃんがどう思ってるのか知りたくて」
「あたしは別にどうも思ってないよ」
2人は長座体前屈の測定器がある場所に来た。井浦に先を譲り志乃が測る。井浦は壁に背をつけて座ると測定器を押した。
「実弦のことどう思ってる?」測りを見ながら志乃は聞いた。井浦の指先は悠々と足の先を越えている。かなり体が柔らかい。
「どうとも」冷たいとも取れる言い方。「そういう子なんだって察するだけ。イライラしたり面倒に思ったりはしてないから」うめき声ひとつ上げずに、軽々と体を起こして立ち上がる。
「ふーん」実弦を嫌ってはいないが好きでもなさそうだなと思いながら、今度は志乃が壁に背を着けて座った。
「北島くんは直接聞いてたけど、」井浦が測定器をセットする。「柏木くん的にはその方がよかったの?」どうぞと合図した。
「う~ん」志乃は腕を伸ばして体を倒した。「聞き方にもよるけど、良かったんじゃない?」
「もっと行けるよ」井浦は志乃の背を押す。
「痛いイタイ!」志乃は痛みに耐えながらも腕を伸ばし続け、「あぁ!」と息を吐き切ってから体を起こした。
「平均にも行ってないよ」数値を見ながら井浦は言った。
「押すなよ」志乃はプリプリと怒る。
井浦は春風のようにふふっと笑った。「志乃ちゃんはそれで辛くないんだ?」
「辛いよ!めっちゃ痛かったし!」勢いよく立ち上がる。
「測定のことじゃなくて、」井浦も立ち上がった。「さっきの話だよ」そっと微笑む。
「あぁ…」この女、なかなかの小悪魔だな、と伸びきった体を緩ませながら志乃は胸の内で思った。
「実弦は実弦なりに頑張ってるし、そういうところを見られたら、こっちのフォローも無駄じゃないっていうか…。応えようとしてくれてるんだなって思うし。辛いと思ったことはないかな」
「ふぅん…」井浦は羨ましさに似た表情を浮かべる。
2人は長座体前屈の数値を記録したあと握力へ移った。
「実弦とは同じクラスになるだろうなって思ってたから、今さら悩むことでもないし」志乃は握力計を右手で持った。
「どうしてそう思ったの?」井浦は見守る。
「あたしの母さん、学校の先生でさ」志乃は思いっきり力を入れて握力計を握った。「……っ!クラスの分け方を教えてもらったことあるんだ」脱力して数値を見ると、うんと頷いて満足する。
「どんな方法?」井浦は志乃の数値を覗き見た。
「まず成績順に並べるだろ」握力計を左手に持ち変える。「それで最初のやつから順にクラスを割り振るんだ」グッと力を入れた。
「なるほど。それなら全クラス同じくらいの学力になるね」
「そうそう」脱力して数値を見ると志乃は首を傾げる。「それからまた細かく入れ替える。どこの学校から来たのかとか、こいつとこいつは仲がいいから一緒にするとか、こいつらは問題があるから離そうとか。ピアノ弾ける奴もクラスに1人はいるようにするんだって」握力計を井浦に渡す。
井浦は右手で持った。「確かにピアノ弾ける子いた。合唱コンクールとかで生徒がピアノ弾くもんね」
「そうそう。だからあたしは実弦と一緒になるだろうなって。いつも面倒見てたから」
「そういう仕組みだったんだ」井浦は力を入れた。
「……え?力入れてる?」志乃は数値を見て驚いた。
「入れてる」ふうと脱力して握力計を持ち変える。
「なさすぎじゃない?赤ちゃんでももうちょっとあるよ?」志乃は純粋に心配になった。
井浦はジロッと志乃を睨んだあと、左手の握力を測った。こちらも無いに等しい数値が出る。
「怖くなってきた。逆に」志乃は慄く。「大丈夫?」
「ご心配なく」イジられ慣れていないのか、井浦はツンとした表情を見せた。「もう次いこう」
「はいはい」その表情すらも嫌味に見えず、志乃は改めて彼女を恐ろしい女だと思った。
本作に登場する学校名、幼稚園名は架空のものです。




