22歳
「えーっと…。ただいまご紹介に預かりました、実弦の友人の上松志乃です。実弦、結ちゃん。この度はご結婚おめでとうございます。えー…。実弦とは幼稚園からの付き合いで…」
横浜にある宴会ホールで、志乃は練習してきたお祝いのスピーチをマイクの前で諳んじた。緊張で棒読みになってしまう。それでも白いタキシードを着た実弦はニコニコしながらその様子を見守っていた。
スピーチが終わると志乃は席に戻った。「はぁ。緊張した」
「なかなか良かったぞ」円卓で志乃の右隣に座る将次郎が言った。彼は髪の毛をピッチリと固め、黒のスーツに銀に近い色の白いネクタイを締めている。
「こういうのはジョージの役目だろ。なんであたしが」志乃はヒールのある靴をコツコツ鳴らしながら文句を垂れた。
「実弦のご指名なんだから、文句は実弦に言えよ」将次郎はふっと笑う。
「ったくもう」志乃は落ち着いた色のワンピースを整えて座り直す。こういう服は慣れていないので居心地が悪かった。
結婚式の招待状が届いたとき、準備は大体でいいかと思ったが、母に「せっかくのみっちゃんの結婚式なんだからちゃんとしていきなさい!」と怒られた。なので今朝早くから美容院を予約して髪もメイクもしてもらった。
それでも慣れていないため髪もメイクも崩さないようひとつひとつに気を遣わなければならず、志乃はスピーチのこともあって既に疲れていた。
ため息をつくと、左隣りに座っていた一樹と目が合った。緩くパーマのかかった髪に、グレーのスーツ。白のネクタイを締めている。
「なに?」志乃は眉をしかめる。
「いや別に」一樹はニヤニヤした。「まさか実弦が俺たちの中で一番最初に結婚するとはな」と実弦がいる席を見る。
「それな」志乃はホッとした。今日の結婚式に一樹が来ると分かった時点からずっとソワソワしていた。だが昔のように話せていて安心する。
一樹とは告白されたあの日からまともに会話していなかったし、顔も合わせていなかった。久しぶりに会った彼はリラックスした様子を見せていて、まるで告白したことやケンカしたことなど無かったかのように見えた。
「実弦、前からずっと言ってたよな」志乃は言う。「いつか結婚して家族を持てたらいいなって。きっと仲のいい家族になるよ。次は誰だろうな」チラリと将次郎を見る。
将次郎は志乃の話を聞いていなかった。彼は隣の席、志乃の正面に座っている井浦冬舞の方を見ている。
「さあなー」一樹が応えて将次郎を見た。
披露宴は順調に進み、やがて終わりを迎えた。ゲストのお見送り時間となる。解散する前にあちこちで写真撮影会が始まった。
「スピーチ考えるの手伝ってくれてありがとな。忙しいのに」志乃は井浦に話しかけた。彼女は淡い色のワンピースに濃い目のメイクを合わせている。
「ううん」井浦は黒髪を耳にかけながら微笑んだ。
「今は田舎の方に行って書いてるんだっけ?」
「うん。親戚のところでね」
「お母さんの方の?」志乃は首を傾げる。
「ううん。父の」
志乃はさらに首を捻った。井浦は母子家庭で父親はいなかったはず。
「実はね」そんな志乃を見て井浦は答えた。「高校のとき、助けてくれる人がいるって言ったの覚えてる?」
「あぁ。言ってたな、そんなこと」
「それ、父のことなの。母が入院したとき父と連絡を取ってくれたみたいで。まぁ、父と母は入籍してないんだけど、私は実の父親に会えたってわけ」
「へぇ。そうなんだ」複雑な事情があるのだろうと志乃は深く踏み込まなかった。
「父のことを調べてみたら、私にはたくさん親戚がいることが分かったんだよ。父方の曾祖父は北海道の出身だったみたい。それを知ってたらもう少し修学旅行で色んな所見ておけばよかったなって思っちゃった」井浦は悲しみに似た瞳を志乃に向けた。
「今度行こうよ」志乃はさらりと提案する。
「え?」
「ほら、高3のときは井浦とあんまり遊べなかったし、今もなんだかんだ会えてなかったじゃん?」
「……うん。そうだね」井浦は静かに驚いていた。
「高校のときと違って行きたいところは自由に決められるんだからさ、札幌だけじゃなくて他のとこも行こうよ。北海道だけじゃなくて京都でも沖縄でも、海外行ったっていいし。……あ、1人で行きたい感じ?」志乃はしまったと口を閉じた。
「…ううん」井浦はふふっと笑う。「約束ね。絶対だよ?」
「うん。もちろん」志乃も笑った。
そこに将次郎が来た。「実弦が志乃と写真撮りたいって」
「あ、分かった」志乃は実弦と江見澤の元へ向かった。途中でなんとなく振りかえる。将次郎と井浦が話をしているのが見えた。
実弦と写真を取り終えると、今度は一樹が話しかけてきた。
「志乃、ちょっといいか?」一樹は目を合わせずにどこかを指す。
「うん?なに?」志乃は一樹に付いて行った。ホールの隅、人気のないところで立ち止まる。
「この後どうすんの?」一樹は志乃を見降ろす。
「どうするって…。帰るよ」志乃は訝しんだ。
「実家?」
「ううん。家を出たんだ」志乃は今年から実家近くでひとり暮らしを始めていた。「父さんと揉めに揉めたけどね」
「なんか想像できるわ」一樹はクッと笑った。「仕事は?」
「レコード店…。って知ってると思うけど」彼も母親伝いで聞いているだろう。「でも辞めようかなって思ってる」
「なんで?」一樹は少し首を傾げた。
「うーん…」彼の仕草に志乃は懐かしい感覚に陥った。「なんとなく違う気がして」
「そっか」優しさを含んだ表情を見せる。「無理すんなよ」
「うん…」一樹らしくない返答に疑問が浮かぶ。「そっちは?」
「まぁまぁかな」眉を下げて微笑んだ。
「今は東京にいるんだっけ?」
「そう」一樹はスカウトされたあと、19歳までは神奈川に住んでモデルの仕事をしていたが、20歳になってからは東京に引っ越していた。
一樹は続ける。「やっぱりちょっと寂しいよ。ひとりで東京にいるの。今までずっとお前らと一緒だったからさ」
「あぁ…」またも一樹らしくない発言に、志乃は彼がすっかり業界に揉まれて別人になってしまったんだなと悲しくなった。
「でもジョージが東京にいるじゃん」将次郎は大学を卒業後、そのまま東京で就職した。今は証券会社で働いている。
「いやぁ…。アイツとはケンカしてるからなぁ…」一樹は将次郎のいるほうを見た。まだ井浦の隣にいる。
「仲直りすれば?」
「う~ん…」目が泳ぐ。「…できるかな?」
「できるよ」志乃は背中を押すように強く頷く。「あんたとジョージの仲でしょ」
「……そうだな」一樹は志乃を見て微笑んだ。「俺さ、事務所から『歌ってるところ撮って動画サイトに載せろ』って言われてんだよね。出した方がいいと思う?」
志乃はまたもや疑問に襲われた。どうしていきなりそんな相談をしてくるんだろう?「うん…。やりたいならやってみれば…?でも安売りすんなよ」
「安売り?」
「あんたが歌上手いの知ってるけど、なんか安売りされそうだからさ」一樹の事務所を悪く言うつもりはないし、その業界のやり方があるのかもしれない。けれど売れるならどんな小さなことでも晒して雪元一樹を売ろうとしているような気がしたので、志乃はそう答えた。
「そっか…」一樹は視線を落として考えた。「志乃さ、」
「うん?」
「さっきレコード店辞めようか迷ってるって言っただろ?」
「あぁ」
「東京来ない?」目線は外れているが一樹の声は真剣だった。
「え?」志乃は固まる。
「俺…。志乃が来てくれたら嬉しい。まだ、お前に気持ち残ってるから」
突然の告白に志乃はグッと息を飲んだ。あの時と同じように、こんな事を言われると思ってなかった。だから何と答えればいいか分からない。
「あの時の俺って本当にバカだったよな。ガキすぎたっていうか…」一樹は謝罪を込めて志乃を見つめた。
「本当はあそこで告るつもりなかったんだ。ずっと隠しておこうと思ってた。ほら、俺が友達以上にお前に絡んでたら、お前が周りから色々言われるだろ?だから…。でもなんか焦ってたっていうか、つい気持ちが先走って…」
「う、うん…」志乃は呆然と頷いた。
「卒業したら言おうかなって考えてた。結局、俺が自滅しただけだったけど」自虐的に鼻で笑う。「一番傷ついたのは志乃だったのに、俺は自分のことしか考えてなかった。俺の気持ち志乃に分かって欲しいって…。でもそれじゃダメだって後々気付いた。そう思ってるうちはなんも変わんねぇなって」
志乃は一樹を見つめた。その顔に、声に、ひとつも隠すような偽りはない。
「ほんとにごめんな。できれば許してほしい」
志乃は言葉を探した。一樹を憎む気持ちはもうないが、完全にしこりが消えたわけでもない。今日だって久しぶりに会って、まだ少ししか話していないのに。もしこの違和感を無視して一樹を許しても、彼と上手くいくか分からない。仕事を辞めて東京に行くことにだってリスクはある。だがこのまま一樹と気まずい関係を続けたくはなかった。しかし許すかどうか迷っている自分もいる。
「ねぇ、ちょっといいかな?」実弦が来た。将次郎を連れている。将次郎は一樹を見て気まずそうに目を逸らした。
「え?」志乃は驚いて実弦を見る。「う、うん。なに?実弦」
「あのね」実弦は緊張しながら全員を見回す。「み、みんな今ここで仲直りしよう!」と声を震わせながら言った。
「え…」3人は実弦を見る。
「僕のために、って言うとおこがましいんだけど、やっぱり僕にとってみんなは幼馴染で、一番の友達で、い、命の恩人でもあるんだ。大袈裟に聞こえるかもしれないけど本当にそう思ってるんだよ!だ、だからこれからもずっと、ずーっと仲良くしたい。またみんなとお喋りしたいし、遊びに行ったりしたいし、つ、つまらないことでも共有したりしたいんだ。今までずっとそうだったから…」
実弦は目に涙を浮かべながら懸命に3人に訴えた。
「ぼ、僕ね、自分は泣き虫で弱虫で、なんの役にも立たない人間だって思ってた。でもみんなのおかげでここまで来られたし、みんなが今まで守ってくれたから、僕ももっと頑張らなくちゃって…。こ、今度は僕がみんなを守ってあげたいんだ。
友達って、ケンカする時もあるよ。でも仲直りもできるんだよ。きっと見えないところで誰かが誰かを助けたことだってあるはず。そう思ってみたらもっと相手が好きになるはずだよ。だからえっと…。あの…。ぼ、僕がいま言えるのはこのくらいしかないけど…。僕ら幼馴染だから、友達だから、仲直りしよう!」
3人は沈黙した。結婚式のざわめきが遠くで聞こえている。
「……バカだな実弦」将次郎がうつむき加減で最初に口を開いた。
「え?」実弦は将次郎を見つめる。
「お前がいたから俺たちは友達になったんだろ。お前が泣き虫じゃなかったら、俺たち今ごろここにいないよ」
「将次郎くん…」実弦はその目から涙を溢れさせた。
「……悪かった将次郎」一樹がそっと言う。「実弦も。本当にみんなごめん。俺も、またみんなで遊んだりしたい」
「一樹くん……。ありがとう」実弦は泣いたまま微笑んだ。
将次郎は長いため息をつく。「俺が許すと思ってんの?」
「うん」一樹は即答した。「俺のことなら殴っていいよ」
将次郎はブハッと吹き出して笑った。「バカかお前は」
それを見て一樹もヒヒッと笑う。実弦も2人がまたいつものやり取りをしていると安堵した。
ひとしきり笑った将次郎は全員を見回す。「俺も悪かったよ。態度悪かったよな。特に志乃と実弦には迷惑かけた」
「ううん。将次郎くん余裕なさそうだなって分かってたから」実弦がフォローする。
「ありがとう」将次郎は頷いてから志乃を見た。「志乃?」
志乃はうつむいていた。何か言うべきだと思っていたが言葉が出ない。幼馴染の絆は自分が壊してしまった。ずっとその重みが胸を支配していた。しかし今日またみんなが揃って、笑顔が溢れている。いつものように。それが何よりうれしかった。壊れたと思っていたものは、しっかりとした支柱が根を張っていた。再構築できる。壊れてなんかなかったんだ。
志乃はその感動に耐えられなくなって号泣した。その場にしゃがみこんで、メイクが崩れるのも構わずに泣いた。
男3人は慌てふためき、それに気付いた井浦が飛んできた。井浦は志乃の背中をさすりながら、志乃ちゃんを泣かせるなと3人を叱った。




