その後
「あんたら、どれだけあたしに金払わせるつもり?」4月のある日。志乃は横浜にある実弦の家でキレた。
「志乃ちゃん。無理しなくていいよ」実弦が遠慮する。「今日だって入学祝い貰っちゃったし」
「そうだよ志乃ちゃん」江見澤も第二子をあやしながら遠慮した。
幼馴染たちは年に数回、誰かの家やどこかの店で集まっており、この日は実弦の第一子の小学校入学祝いを兼ねた食事会が開かれていた。そこで江見澤が第三子の妊娠を発表。おめでたいことが続いていたが、志乃は頭を抱えていた。
「払いますよ。払います。払わせてください」志乃は怒ったように言った。実弦の上の子も下の子も出産祝いを出している。「友達なんだから当たり前だろ」
「本当に無理しなくていいからね」実弦は微笑んだ。彼は横浜にあるゲームデザイン会社を数年前に辞め、今は東京にあるゲームデザインの会社で働いている。江見澤もショップ店員をしていて、住まいは横浜のまま子供たちと4人で暮らしていた。
「太っ腹な友人を持てて幸せだな実弦」将次郎が笑う。その隣にいた井浦冬舞も少し困り顔で微笑んでいた。
将次郎は証券会社で数年フロントオフィスを務めたあと、最近になってミドルオフィスに移り、今は何かの主任を任されているそうだ。忙しく働きながらも、休日には竹刀を握ることもある。そして6月に結婚式を挙げる予定。井浦冬舞と。
将次郎と井浦が結婚すると聞いたとき、志乃は口から胃が出てきそうなほど驚いたが、同時に将次郎と付き合えるのは井浦しかいないなと妙に納得もしてしまった。将次郎と井浦の間には色々あったそうで、いつ付き合い始めたのかと尋ねても本人たちは首を傾げる始末。本人たちが一番この結果を不思議に思っていた。
もちろん結婚式のスピーチは志乃が担当する。志乃は嫌がったが、仕方なく受け入れて今は練習中。スピーチの最後に「冬舞を泣かせたら許さないからな」と将次郎に言うつもりでいた。
井浦冬舞は小説家としてデビューし、彼女の書いた物語が映画化やドラマ化されるまでになっていた。彼女本人がメディアに出ているわけではないので、比較的穏やかに仕事で着ているそう。実弦たちの結婚式のあと、約束通り志乃と2人で北海道や沖縄旅行など何度か遊びに行っていた。
「だから聞いたじゃん。チケット安くしようか?って」一樹が志乃に言う。
「だってもうジョージに払っちゃったもん」志乃は不貞腐れる。「でしょ?」と将次郎を見た。
「あぁ」将次郎は携帯電話を取り出して、オンラインチケットの決済画面を見せる。そこには来月始まる舞台のタイトルが表示されていた。
一樹はモデルの仕事を続けながらボイトレや演技のレッスンを受け、数年前から舞台俳優として活躍している。表のメディアに出る機会は少ないが、その界隈では名前が知られていて、来月開演される舞台をみんなで観に行こうと将次郎がチケットを全員分をまとめて取っていてくれた。
「あー。もう金欠だ。あたしだけなんもない」志乃は肩を落とす。彼女はレコード店を辞めたあと数年は地元の飲食店で働いていた。だがやはりどうしても音楽と関わりたい気持ちがあったので、今は横浜へ引っ越して大手楽器店に就職。楽器を売りながらベースを教えるイベントを開いていた。
「お前らさっさと結婚しろよ」将次郎は携帯電話を仕舞いながら、一樹と志乃を交互に見た。「ご祝儀は弾んでやるから」
「まだ付き合ってもいませんけど」志乃は耳を掻きながら将次郎を睨む。
「はいはい」将次郎はやれやれとため息をついた。
食事会は和気あいあいとしたまま終わり、一同解散となった。春の温かい夜道を志乃は一樹と歩く。
「なぁなぁ」一樹は言った。
「なに?」志乃は見上げる。
「実はさ、来年ミュージカルに挑戦するつもりなんだ」
「え?マジで?」志乃は驚く。
「うん。今すごい練習しているところ」ニッと少年のように笑う。
「すご。来月から舞台始まるのに、もう来年の練習もしてるんだ」
一樹は本当に変わってしまった。何事にも興味を持たず、投げやりだったのに、今はコツコツと努力して色んなものにチャレンジしている。モデルとしてデビューしてからは問題を起こすこともなく、家族とも仲良くしている。やんちゃ坊主だった一樹のいい部分が再び芽吹いていた。
数か月前、一樹は志乃にこんなことを言った。「俺のこと、許さなくていいよ。でも俺は志乃のために頑張りたいから。ずっと頑張るから。志乃のその傷の責任を取りたい」
「偉い?見直した?」一樹は人懐こそうな笑顔で尋ねる。
「うん」志乃はふっと少女のように笑った。
「やった」一樹は喜ぶ。「じゃあチケット用意しておくから来てよ」
「……みんなの分もあるんだよね?」
「もちろん」当然だろ、というような口調。「志乃には2枚な。あいつらと一緒に来る分と、」
終




