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フォーギブミー・ノット  作者: 香坂茉音
小学3,4年生
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31/33

小3


  小学3年生の夏休み明け、担任の先生が児童にこう説明した。


 「おうちの事情で久保くんはお名前が変わって、雪元くんになりました。みんな事情を聞いたりせず、いつもと同じように雪元くんと接してあげてね」


 一樹と同じクラスだった志乃は驚いた。思わず一樹の席を見る。今日彼は休んでいた。不思議に思った志乃は家に帰って早速そのことを親に報告したが、親たちの間ではすでに話が回っていたようで驚かれなかった。


 志乃の母は優しく娘に離婚の事について説明する。離婚っていうものがあってね。いっくんはこれからお母さんと妹と三人で暮らしていくんだよ、と。


 志乃は結婚という言葉は知っていて、好きな人同士が一緒になるものだと認識していた。しかし離婚というものがこの世にあるのだとこのとき初めて知った。しかも結婚や離婚でどちらかの苗字が変わることも8歳で知った。


 夏休み前、一樹の家にみんなで遊びに行った。生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこさせてもらった。その時は何ともなかった。一樹の母も父もいつも通りだった。だが本当はその時点で色々と決まっていたのだった。


 志乃の母は担任と同じように、いっくんと遊んであげてね。と言った。志乃は苗字が変わったことに驚いただけで、一樹は一樹のままなんだからと偏見を持ったりはしなかった。それは将次郎も同じで、ふーん。そうなんだ、くらいにしか思わなかった。実弦も特に気にはしていなかったが、同じ片親家庭となっても父と母では違うのかなと考えたくらいだった。


 当の本人、一樹は父も母も自分のもので、世界の中心は俺、という性格をしていたので、両親が不仲であることには気付かなかった。なので「お父さんとお母さんはこれから別々に暮らすんだよ」と告げられた時は頭を殴られたような衝撃が走った。完璧だった自分の世界が壊れたように見えた。


 実は一樹の世界の崩壊は、お母さんのお腹に赤ちゃんがいるんだよ。と告げられた時から少しずつひびが入るように始まっていた。今まで自由気ままに好き勝手生きてこられたのに、「一樹はお兄ちゃんになるんだよ」、「お兄ちゃんになるんだから頑張れるよね?」、「我慢できるよね?」と言われるようになった。


 その度に、兄弟なんていらない。欲しくないという気持ちが一樹の中で膨れ上がる。だがそれを表に出すことはしなかった。今までは母を困らせることで気を引いていたが、赤ちゃんがお腹にいる今、そんなことは許されないと思った。


 お兄ちゃんになるんだからもう我儘は言わない。困らせたりしない。いいお兄ちゃんになるんだ、と一樹は自分に暗示をかけ続けた。


 そうした抑えた感情はありつつも、実際に妹が誕生したときは言葉にならない気持ちが溢れ出てきた。目も開いていない小さな小さな菜々美を見て、抱っこして、名前を呼ぶたび、胸が暖かくなった。兄弟なんかいらないと思っていた気持ちは消え去り、新しい世界が一樹の中に出来上がった。


 菜々美と一緒に遊ぶんだ。俺が抱っこするんだ。お父さんとお母さんと、俺と菜々美で並んで寝るんだ。あいつらに大事な妹を見せてやるんだ。


 そう思っていた矢先、離婚の話をされた。父はこう言った。


 「いいか一樹。これからはお前がお母さんと菜々美を守るんだぞ。お前がお父さんの代わりになるんだ」


 一樹は父のことを嫌っていたわけではなかった。むしろ好きだった。男2人で遊びに行くこともあったし、一緒にゲームしたり風呂に入ったり格闘したりと楽しかった。だが父にそう言われたとき、一樹の中で何かがズレた。そしてのちに母に離婚の理由を聞いたとき、一樹は反吐が出るほど父を嫌悪するようになった。


 それでも父の言葉は一樹の脳に呪いのように張り付いた。母が赤ちゃんを抱きながら家事をこなし、寝る間も惜しんで働いている姿を見るようになると、その言葉をより強く意識するようになった。


 お母さんは菜々美のものになった。お父さんは消えた。もう誰も俺を見てくれない。でも俺がしっかりしなくちゃいけない。強くならなきゃいけない。好き勝手しちゃいけない。お兄ちゃんにならなくちゃ。お父さんにならなくちゃ。


 一樹は母を手伝い、妹の面倒を見るようになったが、もとはやんちゃな甘えん坊だったので、相反するような気持ちを燻ぶらせたことにより、だんだんと不安定さが露出するようになった。


 将次郎や志乃の家に遊びに行ったときや、運動会や参観日などで周りの子の両親が揃う場面を目にすると、嫉妬が湧き上がる。俺のお父さんはいないのに。俺は1人で頑張ってるのに。あいつら子供みたいに親に甘えてバカみたいだな、と思うようになった。


 逆に実弦には強い仲間意識を持つようになった。元々友達意識はあったが片親同士になったことでさらに親近感が湧いた。菜々美みたいに、実弦は泣き虫で弱いから俺が守ってやるんだ。あいつを傷つけちゃいけない。傷つける奴は許さない。


 将次郎に対して嫉妬する気持ちはあったが、そこまで大きな変化があったわけではない。出会った時からいけ好かない奴だとは思っていたが、遊んでいくうちに自分と同じような匂いがすると感じていたからだ。将次郎は真面目だが、本当はそれが嫌なんじゃないか。俺と同じようにやんちゃで、破壊衝動のようなものを抱えているんじゃないか。


そう思えるようになると、なんだか唯一無二の友達に見えてきた。将次郎は曲がったことが嫌いなヒーローだから、俺は気まぐれで荒くれ者の相棒だな。そんな風に感じていた。それから将次郎が自分と同じように親にあまり心を開いていないのだと分かると、嫉妬する感情は無くなりさらに距離が近くなった。


 一方で、一樹は志乃にきつく当たるようになった。志乃は父親に溺愛されている。大切にされている姿を見ると腹が立った。親だから子供を大切にしているんじゃない。志乃が女の子だから父親に大事にされてるんだと考えた。それに加えて、一樹の中で志乃は心の中の特別な場所に座ろうとしていた時期でもあったので、母や妹と同じ性別であっても志乃を大事にすることができなかった。


 「お前にそんなスカート似合わねえよ」


 一樹が最初に志乃に言った悪態はこれだった。一樹の壊れ行く世界で何を言うべきか、何を言わずにいるべきか、言ったら相手がどう思うかなどの判断は鈍っていた。だから悪口がこれで終わることはなかった。


 「いつまでそんな喋り方してるんだよ。赤ちゃんかよ」


 「髪の毛長すぎ。似合ってない。邪魔」


 「可愛くない」


 「お前に可愛いものなんて似合わねえよ」


 「ブス!」


 「女のお前には分かんねえだろ」


 さらに悪質なのは、一樹は将次郎や実弦の前ではこうしたことは言わずにいたことだった。志乃と2人きりのとき、会話のついでにさらりと発していた。


 自分のことを可愛いと信じて疑わなかった志乃はこのときに消えてしまった。あたしは可愛くない。お父さんやお兄ちゃんは家族だから可愛いっていうだけで、他の人から見たらあたしは不細工なんだ。みんなあたしをそう思ってたんだ。女の子らしいもの、可愛いものは似合わないんだ。


 そう思い込んだ志乃は3年生の終わり頃になると、長かった髪を自分でバッサリと切ってしまった。可愛い服を嫌がり、兄のおさがりばかり着るようになった。喋り方や動き方も男の子を真似た。


 両親は志乃の変化に驚いていたが、志乃は一樹に意地悪なことを言われていると告げなかった。可愛いものを自分で選んでいたわけではなく、押し付けられていたのだと思ったからだ。可愛いものに目が行っても、どうせあたしには似合わない。趣味じゃないと拒否した。


 この変化に驚いたのは両親だけでなく、将次郎と実弦もそうだった。実弦は好きなものが変わったのかな?と思った程度だったが、将次郎はショックを受けていた。絵本の中に出てくるようなお姫様に恋をしていたのに。


志乃が変わってしまった原因は一樹にあるのでは、と将次郎は後々に気付くのだが、幼稚園から一緒に育ってきた志乃がどういう子なのか知っていたので、志乃が劇的な変化をしても嫌いになる事はなかった。男の子のようになってしまった志乃に接しやすさは感じたが、それでも淡い恋心が消えたわけではなかった。


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