20歳
1月の第二月曜日、地元の役所近くになる文化ホールにて成人式が行われた。ホールには成人を迎える人とその家族が集まり、振袖の鮮やかな色々と静かなスーツの色が祝日を盛り上げていた。
志乃は入社したときに買ったパンツスタイルのスーツを着てホールを訪れた。行かなくてもいいかと考えていたのだが、実弦に行こうよと誘われたので行くことにした。
待ち合わせの場所に着くと、深い紺のスーツを着た実弦と、明るい赤の振袖を着た江見澤結がいた。彼らは今も交際をつづけている。実弦はこの春デザイン系の専門学校を卒業する予定で、既に横浜にあるゲームデザインの会社から内定を貰っている。
江見澤も横浜にある服飾系の専門学校に通っており、ファッション業界への就職が決まっているそうだ。
「志乃ちゃん」志乃を見つけると実弦はパッと明るく笑った。実弦とはメールを交わしたりゲーム内で遊んだりしていたが、実際に会うのは久しぶりだった。彼はスーツを着ていても変わらず子犬のような幼げな表情が覗いていた。
「久しぶりだね、志乃ちゃん」江見澤が言った。彼女は長い髪を結い上げ、メイクもしていたので高校のときよりずいぶんと大人っぽく見えた。
「あぁ」江見澤と話すのは久しぶりだったので、志乃は少し気まずく応えた。
「髪の毛、切っちゃったんだね」と江見澤は志乃の髪を指す。
「うん」志乃は自分のショートカットに触れた。高校を卒業してからすぐに髪を切り、それ以来ずっとショートにしている。
「お仕事は順調?」江見澤は微笑みながら尋ねる。
「うん」志乃は変わらず地元のレコード店で働いていた。憧れていたベースを手に入れることもできたので、休日はそれを弾く日々を送っている。
「将次郎くんも来るよ」実弦がそっと言った。
「ふーん」志乃は気にしていない素振りで言った。将次郎は東京の大学へ通うため、卒業後はすぐに引っ越してしまい、ほとんど会っていない。
「井浦は来られないんだっけ?」志乃は言った。
「うん。お仕事だって言ってたね」江見澤が応える。志乃も江見澤も井浦と繋がっているが、年に数回メールする程度だった。卒業してからまた会おうと約束したのに、お互いなかなか予定が合わず会えていない。
「そもそも井浦さんって横浜の人だよね。こっちの成人式には来ないかも」と江見澤。
「あ、確かに」志乃は納得した。「元気にしてんのかな」
「ね。お仕事上手くいってるといいね。私すっかり井浦さんのファンだよ」井浦冬舞は最近おおとも ゆきという名前で小説家デビューしていた。
「あ、将次郎くん」実弦が志乃の後ろを見て言った。
志乃は振り返る。将次郎は質のよさそうな黒のスーツをビッチリと着て、姿勢よく立っていた。志乃と一瞬目を合わせたが、すぐ逸らして実弦を見る。
「よう」将次郎は昔と変わらぬ声で言った。
「久しぶり、将次郎くん。元気にしてた?」実弦が聞く。
「あぁ。なんとか。母さんから聞いたよ。実弦、横浜で就職したんだって?頑張れよ」
「うん。将次郎くんも大学頑張ってね」
「おう」将次郎はそう応えると気まずそうに志乃と目を合わせた。「…よう」
「よう」志乃も気まずくなった。将次郎とはケンカ別れしたわけではないのに、なんとなくピリピリしたまま離れてしまった。何を話せばいいのか分からない。
将次郎は小さなため息をつく。「相変わらずだな、お前。なんも変わってない」と志乃を見回す。
「…そっちもな」志乃は嘘をついた。将次郎は大学で経済学を学んでおり、この2年ですっかり様変わりしていた。子供っぽさというか、昔ながらの面影は消えて、気品と賢さが溢れ出る大人になっていた。
志乃は自分が何も変わらず、全く大人になり切れていない事に気付いて恥ずかしくなった。
「振袖、着なかったんだ。髪も切って」将次郎は残念そうな声色で志乃の髪を見る。「親父さん、泣いてるんじゃないか?」
「前撮りで許してもらえた」志乃は成人式のことで散々父親と揉めた。振袖を着て欲しい父と、着たくない娘でケンカが勃発。母が介入して、せっかく一度きりの人生なんだから1回だけ着ておきなさい。と説得された結果、成人式はスーツで振袖は前撮りで着るのみで収まった。
「その写真見せてよ」将次郎が言う。
「えぇ~…。やだ」志乃は眉を寄せる。「ジョージの袴姿と交換ならいいよ」
「袴なら見たことあるだろ」久しぶりにジョージと呼ばれて、将次郎は嬉しくなった。
「剣道のじゃなくて、」志乃は辺りを見回す。「あ、ほら。あんな派手なやつ。髪はリーゼントね」と遠くにいる白や金の袴を着た男性集団を指す。
将次郎は笑った。「着ねーよ」
彼の笑みに幼い将次郎が現れて、志乃はホッとした。昔と変わらない会話ができてこっちも口角が上がる。
「……元気にしてたか?」笑いが収まると将次郎はふと聞いた。
「してるよ。あんたは頑張ってるみたいだな」
「まぁな」将次郎は自分のつま先を見た。大学受験に追われ、心に余裕をなくし、さらに一樹とのこともあって周りに気を遣えていなかったなと東京に行ってから気付いた。今日、志乃と会うのに緊張していたが、昔と変わらぬ志乃の笑顔に将次郎も安堵していた。
胸を詰まらせていたのは実弦も同じだった。普通に会話している志乃と将次郎を見て、2人を誘って本当によかったと感動していた。
「……一樹は?」将次郎は周りを見渡す。
「一応誘ったんだけど、」実弦が言う。「返事がなかったんだ。多分お仕事だと思う」
一樹は卒業式にも現れず、どうなるかと心配していた。しかし服屋でのバイトは続けていたらしく、その最中にモデル事務所からスカウトされたそうだ。最近はちらほらメディアなどでモデルとしての一樹を見かけている。
実弦はモデルになった一樹の情報をチェックしていたが、志乃と将次郎は気にしないようにしていた。だが母たちがすっかり一樹のファンになってしまい、あれに出るわよ、これに載るわよと逐一子供たちに報告していた。
そのため志乃は嫌でも一樹の姿が目に入った。モデルとしての一樹は輝いていて、それが志乃には気に食わなかった。
こんな作られた姿は一樹じゃない。彼本来の輝きが、照明や加工などで塗りつぶされていると感じていた。けれど一樹がそれを望んでいるならと複雑な気持ちになっていた。彼はすっかり変わってしまったんだ。もうあの頃の雪元一樹はいないんだと悲しくなった。
「あ、そういえば」実弦が言う。「さっき北島くんと会ったんだよ」
「あぁ。北島」志乃と将次郎は頷く。
実弦は北島とも交流が続いていた。「すごいんだよ北島くん。り、陸上の日本選手権に出場するし、世界陸上の強化選手にも選ばれそうなんだって」
「へぇー!」志乃たちは驚いた。「あいつ陸上一筋で頑張ってたもんな」
「ね。ずっと走ってたよね」江見澤が頷く。
「うんうん。それでね、北島くんが言ってたんだけど、」実弦が続ける。
「柏木って最初どういう奴なのか分かんなかった、だって。オドオドしてる僕が成績トップの将次郎くんと、人気者の一樹くんと、カッコイイ系女子の志乃ちゃんと友達なのが不思議だったって言ってた。ぼ、僕がパシリに使われてるんじゃないか心配したって」
幼馴染たちはケタケタと笑った。
「やっぱ他の人から見ればそう思うんだな」将次郎が言った。
「まぁ無理ないなぁ」志乃も同意する。
「うん。でね、僕、気付いたんだ」実弦は晴れ晴れとした笑顔を見せた。
「僕はみんなの存在に守られてたんだって。む、昔から守ってくれてたのは分かってたけど、言葉や行動だけじゃなくて、見えない盾みたいなものが僕についてたんだなって」
志乃と将次郎はゆっくりと笑顔を閉じて実弦を見つめた。
「それでもうひとつ気付いたことがあったんだ。一樹くんが僕を肘置きにしていたのはそういう理由なのかもしれないって。人気者の一樹くんが僕みたいなのに構ってくれたから、僕は変な人に絡まれずに済んだんだ」
「あぁ…」志乃は視線を彷徨わせた。将次郎もうつむいている。
「それに気付くのが遅くなっちゃったなぁって反省したよ。僕はずっと自分のことばっかり考えてた。みんな、ごめんね」と幼馴染たちを順に見る。
「…気にすんなよ。あたしがやりたくてやってたから」志乃は優しく言いながら感傷に浸っていた。
「そうだ。気にすんな」将次郎も言う。この中で一番大人になったのは実弦だと2人とも感じていた。
実弦は本当にこの人たちと幼馴染でよかったなと嬉しそう微笑んだ。
その後、4人は成人式のセレモニーに参加した。市長の挨拶と祝辞、記念撮影のみであっさりと終わる。ホールの外に出て、このあとどこかでメシでも食うかと話し合っていると、スーツを着た男性集団が4人の側を通りかかった。
「あれ?」そのうちの1人が立ち止まる。「もしかして…。中尾?」
「え?」将次郎はその男を見て眉をしかめた。
「ほら!やっぱり中尾じゃん!俺だよ俺!小学校のとき一緒だった田村!おい、お前も覚えてるだろ野口?」と連れの男性に聞く。
「あぁ。確かに」野口を呼ばれた男は答えた。「え、てか柏木と上松も居んじゃん」と志乃と実弦を指す。
将次郎、実弦、志乃の頭に小学生のときの記憶が蘇った。確かに彼らは小学校のときの同級生だった。
「ヤベー!なっつ!」田村は騒いだ。
志乃は咄嗟に実弦の前に立つ。あの頃のクセが今もなお抜けていない。
「お前らまだつるんでんのかよ」田村が揶揄うように言った。
「お前たちに言われたくない」将次郎は冷静に言い返したが、その声には嫌悪が滲んでいた。
「てかいま何してんの?大学?」野口が聞く。
「まぁ、そんなとこ」将次郎は言う義理もなければ教えたくもないとハッキリ答えなかった。
「どこの大学?」田村が尋ねる。
将次郎は答えないと長引くだろうと判断を切り替えて、しぶしぶ東京の大学名を答えた。
「へぇ~」田村はつまらなさそうな表情をした。「お前、昔から勉強できたもんな」
「俺も東京の大学行ってるぜ」野口が自慢げに言う。「医大。こいつは教師目指して地元の大学行ってんだ」と田村を指す。
志乃はそれを聞いてカチンときた。「へぇ。イジメやってた奴が医者と教師とか、どういうお笑い?」思わず口に出る。
「は?」野口と田村は志乃を見た。将次郎も驚く。
「意味わかんないだろ。イジメやってた奴が人助けとか子供に関わるとか。ほんとに助けられんの?子供守れんの?それともイジメんのか?」志乃は苛立ちを募らせた。
「やめろ志乃」こいつまたと思いながら将次郎は止める。
「さっきからなに言ってんだよ。俺らイジメとかやってねーし」野口が言う。
「お前いつもそうやって柏木のこと庇ってたよな」田村が偉そうな態度で出てきた。「男みたいな格好してさ。すげー野蛮だったよな」
「そうだった、そうだった」野口がニヤつきながら乗る。「柏木はいつも女の後ろに隠れてたよな」
実弦は奥歯を噛みしめる。指先が震えてきて思わず体が逃げようと後ろに下がった。
「黙れ」志乃は2人を睨みつける。「謝りもしないでのうのうと」
「やめろって」将次郎は志乃の口を手でふさいだ。「放っておけよ。こんな奴ら相手にすんな」
野口は将次郎の言葉に腹を立てた。「は?お前らいつまでヒーローごっこしてんの?そういうの地でやる奴ってマジでキモイからやめな?大人なんだから現実見ろよ」
「ガサツな女はモテねえぞ」田村もはやし立てるように口を挟む。「あぁ、もう女としては終わってるか」
志乃は将次郎の手を払いのけた。「お前は人間として終わってんだろ、このゴミが」
「あ?」田村は志乃に詰め寄る。
将次郎が間に入った。
「し、志乃ちゃん…」実弦がか細い声で言って、志乃の腕を引っ張る。怖がって見ていた江見澤も志乃のスーツを掴んだ。
「もういいだろ」将次郎は落ち着いた声で言った。「こんなところで揉め事起こすな。さっさとどっか行け」と田村と野口を見る。
「お前もウザいんだよ」野口が将次郎に吐きかける。「昔から良い子ちゃんぶりやがって。正論振りかざしていい気になるなよ」
将次郎もさすがにイラっと来た。「消えろって言ってんだよ。何度も言わせんな」と低い声で凄む。
野口はほんの少し身を引くと、舌打ちをした。そして田村に「もう行こうぜ」と言って他の男たちと共に去って行った。
「……なんで止めるんだよ!一発くらい殴らせろ」志乃は噛みつくように将次郎に言った。
「警察沙汰になりたいのか?」将次郎は振り向いて志乃を見る。「志乃が言ったことは間違ってない。けどあんな奴らに構うことないだろ」
「あたしがあいつら殴ってもあんたらに害ないだろ」将次郎と実弦には将来があるが、自分には何もない。せいぜい職を失うくらいだ。自分のことはどうなってもよかったし、相手の人生もどうなったってよかった。むしろグチャグチャになればいいとも思った。
「バカ言うな」将次郎の目は真剣だった。
「そ、そうだよ志乃ちゃん」実弦もそっと言う。「落ち着いて」
「なんでよ?」志乃は実弦を見る。「あいつらのこと憎くないの?」
「憎いよ」実弦はうつむく。「い、今でも許せない」
「じゃあ、」
実弦は志乃を見た。「でも、今さら仕方ないよ。あの人たちはもう自分の人生を歩んでる。どうしようとあの人たちの自由だよ」
「そんなこと言ったって…」志乃は納得できなかった。
「ぼ、僕はもうあの人たちがこれ以上、僕の人生に関わって欲しくない。それだけだよ。そ、それにあの人たちのために志乃ちゃんがぎ、犠牲になることない。僕らが一瞬たりとも負担することないんだ」志乃が手を出してしまったら、今度は志乃が彼らの汚点となってしまう。そんなことは少しでも嫌だった。
「でもあいつらイジメやってたこと忘れてたんだよ?自覚させたほうがいいって」志乃は実弦の想いを汲み取りつつも言った。「謝らせるくらいしないと」
「謝っても許すわけじゃないから」実弦は毅然としていた。
「うん…」その姿を見て、言いたいことは他にもあったが、志乃は肩を落とした。井浦が言っていたことを思い出す。許すのが一番難しいことだと。
「志乃ちゃん。ありがとう」実弦はそっと微笑んだ。「さ、どこ行こうか?」気を取り直して尋ねる。
将次郎は実弦のために怒る志乃を見て、こいつは本当に変わらないなと思っていた。俺が志乃に何と言おうと、守られるのは性に合わないとなりふり構わず向かっていく。弱いものや大切な者を守るためにどんな相手だろうと。
それが志乃のいいところだ。だが無鉄砲とも言える。昔からそうだった。彼女はずっとこのまま変わらない。俺のために変わってくれることはない。俺がどれだけ男として強くなろうと、賢くなろうと、例え金持ちになったとしても、彼女はずっと変わらない。
そのままの志乃で俺と接してくれる。それは“友達“としては有難いことだ。
将次郎の中にある淡い恋心は、久しぶりに志乃にあったことで一瞬濃くなった。しかしそれは日が経つにつれてゆっくりと、白に近づいて行った。




