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11月の文化祭で行われた劇を志乃は将次郎と実弦、井浦冬舞と観に行った。そのほかは特に大きなことがなく、去年よりもずいぶんと静かに文化祭の日を終えた。
文化祭が終わると一気に進路色が強くなった。同級生ではあるが、3年生は全員ライバルであり他人でもあった。世の中に試されている人独特の緊張感が漂い、教室がある東側の校舎はどこを見てもピリついた空気が漂っていた。
だが3年生全体が大人の階段を上ろうとしている中に入れない生徒もいた。志乃は就職先を決められていなかったし、一樹は10月の終わり頃から段々と学校に来なくなっていた。
見ていられなくなった将次郎や実弦が一樹に連絡を入れてみたりもしたが、いい結果とはならなかった。
「上松、これ雪元に届けてやってくれ」11月中旬、3組の担任はプリントの束を志乃に渡した。
「え?」志乃は苦い顔をする。「なんであたしが?」
「お前ら仲良かっただろ。家も近いんだし。頼んだぞ」
志乃は渋々それを受け取った。本当は嫌だった。でもこれが一樹と話すキッカケになるんじゃないかとも思えた。
今日はバイトもないので、志乃は授業が終わったあと一度家に帰った。それから一樹の家にプリントを届けようと鞄から束を出すと、それを母に見られた。
「やだ!なにそのプリント!」母は悲鳴に近い声を上げる。「あんたどれだけ溜めたの!」
「ちげーよ」志乃はため息をつく。「一樹のやつ。今から渡しに行くの」
「あぁ。良かった」母はホッとする。「いっくんのやつね。いっくん、最近休みがちなんでしょ?」
「うん」母親同士の連絡網が存在するので、子供のことはなんでも筒抜けだった。
「いっくん、どうしちゃったのかしら?」母は不安げな顔をした。「いっくんママも忙しそうだから、あんまり連絡つかないし。もしかしてあんた、いっくんとケンカでもした?」
「は?」志乃は驚く。「別にケンカしてないし」と早口になる。
「したんだ」母にはお見通し。「さっさと謝って仲直りしなさいよ。拗れたままにしておくと、どんどん収集つかなくなっちゃうんだから」
「あたしのせいじゃ…」ケンカしてから一樹は授業をサボり、学校に来なくなった。あたしがクラスにいるから?それでテストや卒業や就職まで蹴るつもり?
「向こうのせいだし…」と力なく言う。
「それでも仲直りしなさい。せっかく幼稚園からの仲なんだから大事にして」
「分かってるよ」志乃はプリントを見せ、今から行ってくるんだと示した。
家を出て歩道を歩きながら、なんであたしから謝らなくちゃいけないんだとイライラしたり、やっぱりあたしが悪かったよなと落ち込んだりしながら一樹の家へ向かった。
夏休み以来訪れていない一樹の家のインターホンを押す。一樹の妹が扉を開けた。
「菜々ちゃん。兄さんいる?」志乃は尋ねた。
「いないよー」菜々美は首を振る。
「そっか」ホッとする気持ちと落ち込む気持ちが一緒に来た。「これ、兄さんに渡しておいてくれない?」とプリントを渡す。
「うん」菜々美は頷いて受け取った。
「あのさ…。兄さん、元気にしてるか?最近学校に来てないけど」
「う~ん。分かんない」肩を落とす。「お兄ちゃん、あんまり家に帰ってきてないんだぁ」
「え。家にも帰ってないの?」
「うん。ちょっと前にね、ママと大ゲンカしちゃって」菜々美は涙目になった。「イスをね、バーンって倒して、床にも壁にも穴が、空いちゃったんだぁ」
「あぁ…」涙をこぼし始めた女の子を見て志乃はオロオロした。「それは怖かったな」頭を撫でて慰める。
「あら。こんにちは」一樹の祖母が玄関に現れた。「確か、一樹のお友達だったかしら?」
「はい。そうです。上松志乃です。一樹にプリントを届けに来ました」
「あぁ。そうそう。志乃ちゃんだったわね」祖母は微笑む。「ありがとうね。一樹のために」
「いえ…」志乃は恐る恐る尋ねた。「あの…。おうちの方は大丈夫ですか?」
「えぇ。大丈夫よ」祖母は孫を慰める。「最近、一樹は夜遊びをするようになってね。まぁ、この年頃の男の子ならよくある事なんでしょうけど…」
「夜遊び…」一樹はチャラチャラしている様に見えるが、夜遊びをするような人ではなかった。
「恵美は仕事があるでしょう?菜々ちゃんが1人になっちゃうから、時々手伝いに来てるのよ」祖母は仕方ないわと微笑む。
「そうですか…」志乃はますます罪悪感に駆られた。あたしが振ったからここまで一樹は変わってしまったのだろうか。あたしのせいでこんなにやさぐれて…。幼馴染たちだけでなく、家族までも蔑ろにするなんて…。
志乃は失礼しますと言って、重い気持ちで家に帰った。帰り道はあの日のことを思い出してしまい、秋風が寒々しく体を覆った。
11月の末になると、再び担任からプリントを届けてやってくれと頼まれた。志乃は前回ほど嫌な気分にはならなかったが、プリントが前回より重く感じた。もし一樹が家にいたらどうしよう。なんて声かければいい?もし謝ったとしてそのあとは?あいつが許してくれるのか?また友達に戻れるのか?
学校を出ようとすると、校門のところで将次郎と鉢合わせた。
「お、志乃。今日はバイトだっけ?」
「うん。そうだけど、」志乃は晴れない顔をした。「一樹のとこにプリント届けてから行くつもり」
「プリント?あぁ、なんか前にも届けたって言ってたな」
「そう」
将次郎は志乃の浮かない顔を見た。「俺が届けてやるよ」プリント出しなと手を出す。
「え?いや、ジョージ今から塾でしょ?」
「志乃もバイトだろ?俺はちょっとくらい遅れても平気だから」さっさと出せと催促する。
「あ…。ありがとう」志乃は鞄からプリントを出して将次郎に渡した。
「ここまで拗れるの初めてじゃないか?」将次郎はプリントをパラパラめくりながら言った。一樹には思うところがあるが、ケンカが続くのはこっちも不愉快だ。それに志乃いつまでも一樹のことで元気がないのは気に食わない。
「あたしもどうしたらいいのか分かんない」しょぼくれた声で志乃は言った。「話そうにも会えないし」
「そうだな。……今回のケンカ、本当に志乃の言い過ぎだけが原因なのか?」彼女を見る。
「うん…」志乃は手で顔を擦る。
一瞬、志乃の瞳が潤んだのを見逃さなかった。志乃がそこまで大きな失言をしたとは思えない。それに一樹も、ここまで志乃を許さないとは思えない。もっと別の何かがあったはずだ。志乃はそれを隠してる。
「……じゃ、バイト頑張れよ」
「うん。頼んだ」志乃は小さなため息をついてバイトへ向かった。
将次郎は考え事をしながら一樹の家を訪れる。インターホンを鳴らそうとすると、玄関の扉が開いて一樹が出てきた。
「うわ」私服姿の一樹は将次郎を見ると嫌な顔をした。
「お前、なに学校休んでんだよ」将次郎は苛立たしげに聞く。「もうすぐ卒業って時に。就職にも響くぞ」
「お前に関係ないだろ」一樹は刺々しく返して去ろうとした。
「待て」一樹の腕を掴む。微かに一樹の服から煙草のような香りがした。
「なんだよ」将次郎の手を払う。「てかお前何しに来たわけ?」
「志乃の代わりにプリント届けに来たんだよ」プリントを見せる。
一樹はハッと鼻で笑った。「彼女の代わりにね。優しい彼氏だこと」
「は?なに言ってんだよ」眉を寄せる。
「とぼけんなよ。志乃と付き合ってんだろ、どうせ」一樹は将次郎から目を逸らした。
「付き合ってねーよ。なんでそんな話になるんだ」
一樹は将次郎を見る。嘘を言っているようには見えなかった。
「てかお前、いつまで志乃とケンカしてんだよ。さっさと仲直りしてやれ」
「……もう無理だろ。どう考えても」一樹は地面に目をやる。
「なんで?」
「……聞いてないのか?」将次郎を見る。
「なにを?」
本当に知らなさそうにしていたので一樹は腹が立った。あいつ俺が告ったこと将次郎に言わなかったのか?なんで?
「……俺が志乃に告ったから」一樹の声は木枯らしのように冷たく将次郎に響いた。
「…は?」将次郎は固まった。だから2人はここまで拗れたのかと理解すると同時に苛立ちも湧いてくる。なんで志乃は隠したんだ。なんでコイツ、志乃に告白なんて。
「それでフラれたってか」将次郎は貶しを含めた言い方をした。
余裕ありそうな優等生の表情に一樹はグッと拳を握り締める。
「自業自得だろ」将次郎は続けた。「志乃がああなったのはお前のせいなんだから。いつもイジって揶揄って。上手くいくと思ったのか?フラれて当然だろ。それでいじけて学校までバックレて、どれだけ自分勝手なんだよ」
一樹は悔しさで奥歯を噛みしめた。将次郎には自分のことも志乃のこともお見通しだ。だから余計に腹が立つ。
「日和ってるお前には言われたくないね」一樹は低い声で言い返した。
「は?」将次郎は目くじらを立てる。
「お前だっていっつも志乃のことコントロールしようとしてただろ」お見通しなのはこっちも同じだ。「自分の希望に合わないからってイラついてんじゃねえぞ」
「そんなことしてない」将次郎も拳を握る。
「どうせお前は告りもしてないんだろ」とバカにする。「そんな奴がなに言っても無駄。せいぜいいつもみたいに、俺たちのケンカを遠巻きに見てろよ」
一樹の頭に志乃の言葉が浮かんだ。「ジョージと付き合ったほうがマシ」そんなこと死んでもコイツには教えてやらない。
「クソ野郎が」将次郎は距離を詰める。
一樹はそんなことでは怯まなかった。将次郎が手を出してこないと分かっている。それに素手の暴力になったとき、彼が脅威になると思えなかった。
将次郎もそれを分かっていたので、舌打ちをして目を逸らした。暴力は避けたい。でももしいま竹刀を持っていたらやってたかもしれない。
「もういい。二度と志乃には近づくなよ。俺にも実弦にも」
「言われなくとも」一樹は荒く答えると将次郎に肩をぶつけて去って行った。
将次郎はよろめかなかったが、ダメージはしっかりと受けていた。あれが最後の置き土産かよと、ひりつく肩を撫でながら、俺もこれが最後だとプリントをポストに突っ込んで帰った。




