2-8
11月が静かに終わり、12月に入った。期末テストに向けての勉強期間になると部活も休みになるので、将次郎は志乃と一緒に帰ろうとしていた。
「帰るか」ショートホームルームのあと将次郎は鞄を担いで志乃の席へ行った。「今日はバイトないだろ?」
「うん」志乃は少しソワソワした。「先に6組行っててよ」
「なに?なんで?」将次郎は眉をしかめる。志乃が勝手に教室で昼食を食べていたあの日から、彼女の態度は白々しくなっていた。先日もテスト勉強をしようと誘ったのにバイトだのなんだのと言って断られている。
彼女のこうした変化を良い方へ捉えてよいのか、嫌われていると捉えたほうがいいのか…。
「いや…」志乃は何かを気にしていた。「トイレ寄っていくから」
「…分かった」嘘をついているなと思いながらも将次郎は先に教室を出た。
志乃はホッと息をつく。将次郎とあまり2人きりにならないよう気を付けていた。将次郎だけでなく実弦と一樹とも。彼らが親しげに話しかけてきてくれるのは嬉しいが、もうそうもしていられない。
彼らの気持ちを避けることは、せっかく長い時間をかけて組み立てたパズルのピースをひとつずつ外していくような気分だった。
志乃は時間つぶしのために本当にトイレへ寄った。そして6組へ行くかと女子トイレを出たところで将次郎がいた。
「え?なんでいんの?」志乃は驚いた。
「話があって」将次郎は少し不機嫌だった。
「あたしはないけど」気まずさで目を逸らす。
「...俺のこと避けてない?」彼はストレートに尋ねた。
志乃は少し目を見開く。「...んなわけないじゃん」
「こっち見ろ」
将次郎を見た。小さい頃から見慣れた顔なのに、今は全く知らない別人の顔に見えた。
「なんかあったのか?」将次郎は心配から聞いた。
「なんもないよ」志乃はそれを悲しく思った。「ジョージさぁ…」
「ん?」
「クリスマスの予定聞いたじゃん」落ち着かなくて首元をさする。
「うん。どうなった?」
「やっぱ…。無理そう」そっとポケットに手を突っ込んだ。
「バイト?一日中?」将次郎は瞳に影を落とす。
「うん…」うつむく。
彼はじっと志乃を見つめた。「……嘘ついてんな」と呆気なく見抜く。
志乃は大きく息を吸い込んだ。「なんでわかんの?」
「そりゃ、」小さな笑い声。「ずっと見てるし。何年一緒にいると思ってんだよ」
「だよね…」志乃は遠くを見た。「でもやっぱり、クリスマスは一緒にいられないかな」
「……俺なんかした?」
「ううん」将次郎を見る。「ジョージのこと嫌いとか避けてるとか、そういう意味じゃないよ。でもなんか…」
将次郎は志乃の目に迷いを見つけた。嫌っているわけでも避けているわけでもない。それは彼女の顔を見れば本心だと分かる。しかし迷っている。
「分かった」いつも一緒に遊んでいた男友達から、いきなりそうした感情をぶつけられたら迷うのも無理ない。恐らく志乃の中でまだ整理がついていないのだろうと思った。
「いいよ。気にすんな」まだもう少し時間がかかるか、と将次郎は志乃の肩をポンと叩いた。「6組行こう」
「うん…」
12月の期末テストが終わると冬休みに入った。年明けは恒例の4人で初詣に行き、それ以外はそれぞれの冬休みを過ごす。1月の始業式を迎えると4人の関係に少しだけ変化があった。
「はい。これやるよ」昼休みに美術準備室でお弁当を食べていると、一樹がお菓子を志乃に渡した。
「え。また?」一樹はいつも昼食にコンビニのパンやお弁当を買ってくるのだが、最近小さなお菓子やジュースを買って志乃にあげることが増えた。
「なんで?いらない」お菓子を返す。
「いいから。貰っとけって。会計のキリが良かったんだよ」軽いノリで言うとお弁当を食べ始めた。
志乃は訝った。前も、たまたま好きでもないやつを買っちゃったと言って渡してきた。それだけじゃない。最近は揶揄う発言を一切しなくなった。何度かいつものノリで揶揄おうと口を開いても、何も言わないか、別の言葉を発していた。
将次郎も実弦もそのことに気付いており、実弦は文化祭の一件で懲りて、そのお詫びで志乃に優しくしているんじゃないかと考えた。
一方で将次郎は危機感に近いものを抱いていた。何がキッカケとなったのか知らないが、なぜ一樹は今ごろ彼女への接し方を改めたんだ。お菓子を渡すのだって、餌付けのように見える。単なる優しさなのか、それとも…。
そう思っていても将次郎は引き続き、志乃とつかず離れずの距離を保っていた。彼女から拒絶されているわけじゃない。ならばいつものように友達として接する。その中で少しずつ間合いを詰めている感覚も得ていた。いきなり相手の懐を突くのではなく着実に、ひとつひとつ守りを削ぐように彼女の気が変わるのを待っていた。
志乃は男3人との間に薄いカーテンを張り続けた。急に態度が変わった一樹には奇妙さを感じていたが、こちらが気軽な気持ちで接していれば一樹はそれに合わせてくれる。でも一樹のファンから反感を買わない程度に留めていた。
そして将次郎には今までよりも更に慎重に接するようになった。彼がどういう気持ちでいるのかハッキリと掴めていない。それに橘が将次郎のことを好きだと思っていたので、彼女のために気を付けていた。
実弦に関しては大きな変化がなかったが、彼と江見澤が会話している姿をよく見かけるようになったので、邪魔はしないでおこうとそっと見守った。
3月の下旬。2年生最後となる終業式を迎えた。午前中のホームルームを終えると、最後の部活動として将次郎の引退試合を行うことになった。彼は「見に来いよ」と幼馴染たちを誘う。
志乃はこっそりと橘ひかりを誘った。だが、彼女は首を横に振り「もう気を遣わなくていいよ」と告げた。志乃はこのとき初めて橘が将次郎のことを諦めたのだと知った。塞ぎ込んだ様子の橘を見て理由は尋ねなかったが、あたしのせいなのかもしれないと蟠りは残った。
将次郎が好きなのは志乃で、でも志乃は将次郎を友達だと思っている。そのことを橘は知っていたので、失恋した理由を志乃に打ち明けなかった。志乃に嫉妬する感情は少なからずあったものの、それで彼女に意地悪しようとはならなかったし、これ以上クラスメイトで友達の志乃と気まずい空気にもなりたくなかった。
橘は積極的に自分を見て欲しいとアプローチする性質ではない。彼女にとって空き教室で質問したことが自分にできる精一杯の行動であった。それも将次郎に拒否された姿勢を見せられたことで、心がポッキリと折れていた。
それでも綺麗さっぱり彼のことを忘れられるタイプではなかったので、淡い恋心を静かに胸に秘めながら、残りの学生生活を送った。
幼馴染3人は武道場へ行き、将次郎の最後の部活動を見守った。将次郎は有志で挑んできた1年生ひとりと、2年生3人に圧勝し、3年生2人には片方に勝ち、片方に負ける結果となった。
連続試合を終え、竹刀を置き、面を外した将次郎は悔いのない爽やかな表情をしていた。それは彼が高校受験ができず、バッティングセンターで鬱憤を晴らしたあの時と同じ顔だった。志乃はそれを見て、あの日の将次郎がまだいたことに安堵した。
将次郎は剣道部の部員と打ち上げをすることになったので、幼馴染3人は武道場をあとにした。実弦は美術室に寄ってから帰ると言い、志乃は一樹と帰ることになった。
「よかったよな、ジョージ」歩道を歩きながら志乃は鞄を肩に担ぎ直した。学年末なので全ての教科書やプリントを持って帰らなければならず、かなりの重量が肩にのしかかっている。
「そうだなー」一樹は軽々と鞄を背負っていた。「3年からは猛勉強人間になるんだろ?付き合い悪くなるよなー」
「仕方ないよ。あいつが選んだことなんだから」
「まだ剣道続けたいとか思ってねえのかな?」ボソッと疑問が口から出た。
「前に聞いたときは納得してるって言ってたけど?」志乃は不思議がる。
いつの間にそんな話してたんだよ、という言葉を一樹は飲み込んだ。
「それに満足そうな顔してたじゃん」
「…だったらいいけど」将次郎が不満たらたらで剣道を辞めたようには見えなかった。だが本当にそれでいいのかと思う部分はあった。
志乃は自虐気味にふふっと笑う。「いやー。ほんとジョージも実弦もよく頑張ってるよな。あたしなんてなんも変わってないし、努力もできてないじゃん?」
「お前だってバイト頑張ってんじゃん」一樹は志乃を見降ろす。
「そんなのなんてことないだろ」志乃は前方をボーっと見ていた。「部活辞めちゃったし、勉強もできないし、赤点取って父さんとの約束も破ったし」情けない声で言う。
「あいつらと比べることねーよ。できる容量がみんな違うんだから」
「う~ん」志乃は鞄を担ぎ直す。
「てか、俺にはなんも言ってくれないわけ?俺も頑張ってるよ?」志乃の視界に入るよう身を屈め、ふざけた調子で問う。
「あぁ~…」目を逸らし、身の入っていない返答。
「……お前なんかあった?」俺のことは気にかけてくれないのかよと不満には思ったが、志乃の異変に気付いた。
「え?」一樹を見上げる。「なんのこと?」
「俺のこと避けてね?」
「は?さ、避けてないけど。どこ見てそう思ったんだよ」志乃は少し怒ったように言った。
いつもの彼女の返しに戻った。俺の思い過ごしか?「いや、なんでもない」
「なにそれ」志乃は鞄を担ぐ肩を変えた。「あんたこそ最近なんかあっただろ」
「もうそれ貸せ」一樹は志乃からサッと鞄を奪った。
「あ」志乃は驚く。「いいよ別に。自分で持てる」返せと手を出した。
「黙って持たれてな」彼女の手を軽く叩く。
「マジでいいから」志乃は眉を寄せて嫌がった。「ほんと返して」と焦ったように周りを見ながら言う。
「なんでそんなに嫌がんの?いいじゃん、楽しちゃえば」
「だって、」何かを言おうとして口を開いたが、諦めてため息をつく。「あんた自分の鞄、重くないの?」
「俺のはなんも入ってないから」自分の鞄を叩く。
「なんでなんも入ってないんだよ」
「えー。ほら、教科書とか家にあるから?」悪気なく笑う。「あ、そうだ。俺の鞄持ってよ。それで罪悪感ないでしょ?」自分の鞄を志乃に渡す。
「はぁ?ほんとに何も入ってないじゃん」一樹の鞄を振る。「何しに学校に来てんだよ」
「そりゃ青春ですよ」
「あー。はいはい」と呆れる。「お気楽だな」
「まぁな。てかさー。3年生は同じクラスになれるといいよなー。俺ら」ヘラっと笑った。
「それは無理でしょ」忘れたのかと一樹を見上げる。「進路調査があっただろ。多分3年生は進学と就職でクラス分けになるから、4人一緒にはならないよ」
俺とお前という意味で言ったのに。「そうだけどさ、俺らみんな一緒のクラスになったのって、今までで1回くらいしかなくない?」
「あぁ~。確かに」志乃は昔のことを思い返した。「小4のときだっけ」
「そう」一樹も思い出す。
つかの間の静寂が訪れた。
「…1年ってほんとあっという間だな」一樹はポツリと言う。
「うん」志乃は一樹が何を言いたいのか理解している様に頷いた。
哀愁を匂わせた春風が2人の間に吹き抜ける。




