2-7
翌日の昼休み。志乃はトイレに行くフリをして将次郎を先に中庭に行かせたあと、教室へ戻った。自席についてお弁当を広げる。せっかく4人揃ったいつもの昼食が戻ってきたと思ったのに、江見澤の件もあって今日はベンチに行こうという気になれなかった。
「珍しい。中庭行かないの?」井浦が志乃の隣に座った。井浦はいつも1人静かに教室で昼食を食べている。
「うん…。なんか行き辛くて」おかずを無意味につつく。
「なにかあった?」井浦もお弁当を開けながら尋ねた。
志乃は昨日の江見澤の話を打ち明ける。
「そっか」井浦は複雑な表情をした。
「誰も悪くないのは分かってるんだけど…」落ち込んだ声で志乃は言った。「いや、あたしが悪いのか…?」
「言ったじゃん。男女の友情は成立しないって」彼女は淡々と話した。「大体の女の子はそう思ってるよ」
「うん。そうなんだけど」頬杖をつく。「ちょっとびっくりしたところもあってさ。今まで一樹や将次郎を好きだって言う女の子はいたけど、実弦は初めてだったから。
……いや、モテないとかバカにしてるわけじゃないよ?そういう意味じゃなくて、それは当たり前で、でも驚いて…」自分でも何を言ってるか分からなくなった。
「自分だけのオアシスを奪われた感じ?」井浦は的確に言葉にした。
「う~ん」志乃は完全には同意しなかった。実弦が癒しであったことは間違いない。それは彼の可愛さや優しさのことであって、決して恋愛感情から来るものじゃない。
弟のように実弦の面倒を見ていたのに、昨日はいつの間にか彼を頼るような言動をしていて、自分にも驚いたところはあった。
「あいつらのことは友達だと思ってるんだけどな…」志乃はボソッと言った。自分があの3人に抱いている感情は友情ではないのだろうか。
「まぁ、なんとなく気持ちは分かるよ。私もそういうの言われたことあるし」井浦は言った。
「なんて言われたの?」志乃は彼女を見る。
「中学のときね、男子と普通の会話をしてただけなのに、その男子を好きな女子から『もう話さないで』って怒られて。それで私は控えてたんだけど、なぜか段々といじめられるようになっちゃって」ご飯を口に入れる。「面倒だよね。女の嫉妬って」
「あぁ…」この容姿を持っていれば何をせずとも僻みの対象になる。井浦ほどの人でもいじめられてしまうのか。彼女が遠い高校を選んだ理由にも納得がいく。男子と喋らないのもそう。
「面白かったけどね」井浦は微笑んだ。「机に暴言を書かれたり、靴を隠されたり、水をかけられたり。漫画みたいなイジメする人ほんとにいるんだって」
「た、大変だったな」志乃は井浦に恐怖を感じて苦笑いした。図太いな。そうなってしまうのも無理ないけど。「そいつらとどうなったわけ?」
「うん?どうもなってないよ?先生に咎められることもなく、謝られることもなく卒業して、のうのうと高校生活送ってる」井浦の笑みが大きくなる。
「あ…。そうか」こいつだけは絶対に敵に回したくない。
「許すのも難しいことだからね」井浦は静かにため息をついた。「例え傷が癒えたとしても、それが許しになるわけじゃないと思うし」
「そうだなぁ…。今は大丈夫なわけ?」井浦は淡々としているが傷ついたはず。仕方なく学校に来ている雰囲気もあった。もしかしたら今も学校に来るのが苦痛なのか?
「大丈夫だよ。平和に学校に通えてる。志乃ちゃんのおかげかな」井浦は感謝をその瞳に浮かべ、純粋に微笑んだ。
「ん?あたしはなんにもしてないけど?」首を傾げる。
そう言うだろうと思ったと井浦は頷く。
「そういえばそれ、自分で作ってんだろ?」志乃は井浦の小さなお弁当を指した。彼女の家は母子家庭で、1年生の時に自分で作っていると言ったことがある。
「うん」
「すごいよなぁ。朝から弁当作るなんて」実弦のこともすごいと思っていた。彼は絵だけじゃなく料理もできる。
「もう慣れたよ」小さなお弁当箱を持ち上げる。「これだけだし」
「そっか。家のこととかも自分でやってんだろ?」
「うん。ひとり暮らしだからね」
「え?」志乃は驚く。「そうだっけ?薬剤師の母親と2人って言ってなかった?」
「そうだったんだけど、」井浦は眉を下げた。「去年の夏に亡くなったの。私が中3のときに病気が見つかって、去年の春から入院してたけどそのまま」
「え…」なんと言えばいいか分からなくなった。去年の夏?もう1年以上経っている。その間に井浦とは何度も接してきたのに、全く気付かなかった。
「ごめん。全然気づかなくて…」志乃は申し訳なく言った。
「気にしないで。夏休み中のことだったから、言うことでもないかと思って」井浦は首を振る。
「でも、なんか無理させてなかったか?」
「ううん。悲しんだりとかしてないから」と微笑む。
その微笑みに志乃はまたしても恐怖を感じた。実の母親が亡くなったのに、あまり悲しんでいる様子が見られなかったからだ。
井浦の親子関係がどんなものか分からないが、2年近く一緒にいるのに井浦のことをよく知らない。彼女も未だに一線引いているところがある。絶対に見せない部分がある。かなりの黒いものが彼女の中にあるんじゃないかと、志乃は少し身を引いた。
「誰にも言うつもりなかったんだけど、志乃ちゃんには特別」井浦はシーっと指を口に当てた。「でも本当に気にしなくていいからね。私は大丈夫だから。助けてくれる人がいるし」
「そっか…」助けてくれる人がいるなら良かったと志乃は少し安堵した。
「おい志乃!」一樹が教室に現れた。食べかけのパンを持っている。「お前なんでこんなとこで食べてんだよ。中庭来ないから探したじゃん」と文句を言いながら、志乃の前の席に座る。
「どこで食べたってあたしの自由だろ」志乃はつっけんどんに答える。「今日は井浦と食べるんだよ」
一樹はチラリと井浦を見る。「へぇ~」
井浦は何も言わなかった。
「あんたこそ何してんだよ」志乃が言った。「他の2人は?」
「あとで来るんじゃない?」一樹はパンを齧る。「志乃が来ねぇなーって話になって、探しに行くのに俺がいちばん身軽だったから」とパンを指す。
「あっそ」
「俺も混ぜてよ~。なんの話してたの?」
「女子会だよ。女子会。あんたはあっち行ってな」シッシッと手払いする。
「えー。俺もけっこう女子の話に参加できるよ?」長い脚を組む。「なになに恋バナとか?」
「全然違うけど」志乃は呆れる。
「モテそうだよね。雪元くんって」井浦は一樹を見ずにお弁当を食べながら言った。
志乃は驚いて井浦を見る。なぜ急にそんな話を振ったのか不思議だった。
「まぁね」一樹は謙遜せず、人懐こそうに笑った。「年に何回かは告られるし」
志乃は鼻で笑う。「そういうのいいから」
「僻むなよ」一樹は志乃をあしらう。「井浦さん?もモテそうだよね。告られたことあるでしょ?」と井浦を見る。
「まぁ、何度か」井浦は淡泊に答える。
「付き合ったりとかしたことある?好きなタイプとかは?」一樹は井浦の反応を見て、自分は嫌われているなと感じた。そしてあまり深くかかわり合えない人だとも思ったので、気まずくならないようなんとなく質問した。
「付き合ったことはないよ。年上がタイプだから」
「へぇ。でも先輩に告られることはあったでしょ?」
「うん…。でも子供っぽいから無理。もっと精神的に落ち着いてる人じゃないと」残酷に切り捨てるように井浦は言う。
「ふ~ん」
「そういうあんたはどうなんだよ」井浦のために志乃は話を振った。「けっこう告られてるのに、誰とも付き合わずにフラフラしてんじゃん」
「俺はモテるから選べないだけー」一樹は参ったというように首を振る。
「うざ」
「好きな子がいるとか」井浦がピシャリと聞いた。
「いやぁ?」一樹は笑う。「別にいないけど」と志乃を見る。
「じゃあどんな子がタイプなんだよ」志乃は聞いた。なんでこんな話になってるんだと思うところはあったが空気を合わせる。
「そりゃ、やっぱ優しい子よ。可愛らしくてこう、守ってあげたくなるような」と誰かを抱きしめる動作をする。「お前とは正反対の子」と志乃を指した。
「はいはい。どうせあたしはガサツですよ」志乃は白けた。
「好きな子をいじめる男の子っているよね」井浦が突拍子もなく言う。「私あれ理解できないんだけど」解説を求めるように一樹を見る。
「好きだから可愛くていじめちゃうんじゃない?」一樹はさらりと答えた。「あれだよほら、キュートアグレッション的な?あとはその子と関わりたくてイジってるとか」
「そんなの人との関わり方が下手なだけでしょ」井浦は再び氷のように冷たく切り捨てた。「小学生じゃあるまいし。もういい歳なのに変わり方が分からないからいじめるって、とっても幼稚だと思う」
「まぁ…。そうだね」一樹は笑顔のまま固まった。
志乃はどうしたのかと井浦を見つめる。
「誰が自分をいじめてくる子を好きになるっていうの?いじめっ子を好きになるなんてあり得ない。好きになってもらいたいなら断然、優しくした方がいいに決まってるのに」
いじめられた経験があるから井浦はこんなことを言っているんだ、と志乃は思った。「確かに好きにはなれないよなぁ…」と呟く。
「なぁ~」一樹は同意しつつも、自分の胸の中にある太い枝がボキッと折れたように感じた。
「あ、いた」将次郎と実弦が教室の扉から顔を覗かせた。「何してんだよ」と言いながら近づいてくる。
「いいだろ別に」志乃が答えた。
「も、もしかして」実弦が言う。「志乃ちゃん寒い?きょ、教室の方があったかいから。外寒いもんね」
「そうそう」適当に相槌を打つ志乃。
「じゃあ明日からこの教室に変えるか?」将次郎は志乃の後ろに座る。実弦はソワソワしながら一樹の横に立った。
「いや、明日は中庭行くよ」志乃は井浦を気にして言った。
「でも、これからもっと寒くなるよ?」実弦が心配する。「ど、どこか室内で空いてるところないかな?前使ってたと、ところは1年生が使ってると思うから…」
「食堂?」将次郎が提案する。
「食堂は他のやつに絡まれやすいんだよなー」一樹が嫌がる。「教室じゃダメ?」
「あたしらうるさいからな」志乃は首を振る。「あんま人がいない所がいいんじゃない?」
「どこかあるか?」将次郎は他3人を見回した。
4人は考える。
「あ」実弦が声を上げた。「も、もしかしたら美術準備室の鍵、か、借りられるかも」
「マジで?」幼馴染3人は実弦を見る。美術準備室は1階の端にあった。
「う、うん。先生に借りられるか聞いてみるね」実弦はえへへと笑う。
「ナイス。実弦」一樹は実弦の背を軽く叩いた。
「頼んだ」将次郎と志乃も感謝する。
井浦は初めて4人に囲まれ、4人の空気を味わった。それは幼稚園から一緒にいる彼らにしか分からない美味しさであった。
友達であり仲間であり、悪友、親友、家族、兄弟、全てが少しずつ混ざり合ってできている。ひとりひとりが役割を持って、絶妙なバランスを保っている。彼らの歴史がそれを作り上げた。ここに何かが入ることはなく、抜けることもない。少しでも変わると崩れてしまう。
だから彼らはここまで関係が続いている。以前志乃が言っていた「上手くバランスを取っている」というのが理解できた。
井浦は、安易に彼らの関係を否定するべきではなかったなと内省した。




