2-6
文化祭が終わった次の授業の日。将次郎は昼休みに1組の副委員長と、書記の橘と一緒に職員室を訪れた。昼休みのあとのホームルームで文化祭の総括を行うため、その準備で担任に呼ばれていた。
担任はプリントと写真を副委員長に渡し、将次郎と橘には空き教室に保管してある謎解きに使った資料や展示品を教室へ持っていくよう指示した。
将次郎と橘は空き教室へ向かう。その間、橘は気まずくならないよう将次郎に話しかけ続けた。文化祭楽しかったよね。どこか模擬店に行った?そういえば部活の方はどう?大学はどこに行くの?勉強大変だよね。次のテストは難しいかな。
「中尾くんって上松さんと仲いいよね」空き教室の中に入ると橘は聞いた。「どうして上松さんは中尾くんのことジョージって呼んでるの?」
「あぁ」将次郎は机の上に置いてあった1組の展示品を手に取る。「志乃のお父さんが洋楽好きで、志乃もそれに影響を受けてたから、初めて俺の名前聞いたときにジョージって聞き間違えたんだ」
「へぇ~」橘は資料を持ちながら将次郎を見る。
「何度か訂正させたんだけど、あいつ直す気なくて」将次郎は暖かく微笑んだ。「俺も面倒になってそのままになってる」
橘もヘラリと笑った。「なんかそういうの、友達って感じがあっていいなぁ。昔からの綽名というか」
「そうだな」橘を見る。「持てる?」と資料を全部持てるか聞いた。
「あ、うん!」ドキッとなって彼女は慌てる。「全部持ったよ」
「じゃあ行こうか」将次郎たちは教室を出ようとした。
「今日も中庭でお弁当食べるの?」橘は窓から中庭の方を見た。空き教室からは幼馴染4人がいつも座っているベンチが見える。そのベンチには既に2人の人影があった。
「うん」将次郎も窓の外を見る。
「あ、あのさ、」お弁当を一緒に食べようと誘うことが橘にはできなかった。
幼馴染たちが一緒にお弁当を食べていることは、1年生のときから周知の事実となっていて、今さらそこに誰かが混ざったり、誰かを引き抜くことはできないだろうなと橘は思っていた。
でもなんとかして将次郎と距離を詰めたい、という気持ちが昂った彼女は、このチャンスを逃すまいと勇気を振り絞った。
「も、もしよかったら、」橘は顔を真っ赤にさせる。「私も…。私もジョージって呼んでいいかな?将次郎くんとかでもいいんだけど、私も、その、中尾くんと仲良くなれたらなって…」小声になっていく。
将次郎は目も合わせられないほど恥ずかしがっている橘を見つめた。そして彼女の意図していることを読み取った。
「…ごめん。それはちょっと…」と申し訳なく断る。
「あっ!そうだよね!いきなりそんな呼び方になるのはキモイよね!ごめんね!気にしないで!」恥ずかしさで思わず早口になる。
「いや、キモイとかじゃなくて。別にいいんだけど…」将次郎は片方の手の甲を口元に当てて、目を逸らした。「ジョージって呼ぶのは志乃だけの特権だから…」
将次郎の微かに赤らんだ頬を見て、橘は目の前が真っ暗になった。中尾くんは私の気持ちに気付いたんだ。それで自分には好きな人がいるって遠回しに伝えたんだ。修学旅行の時もそうだったんだ。
「あ……」橘はなんとか声を絞りだそうとして喘いだ。「う、うん…。そう…だよね」
「ごめんな」将次郎は手を降ろすと、このあと向かう中庭のベンチの方を見た。
「実弦と昼メシ食べるの久しぶりじゃん」中庭のベンチに座る志乃が言った。
「文化祭終わったからね。将次郎くんは?」実弦はニコニコしながらお弁当を広げた。
「次のホームルームの準備だって。すぐ来ると思うけど」志乃は校舎の方を見た。「一樹は?」
「先生に呼び出されてたよ」
「また?」志乃は呆れた。「この前も呼び出し食らってたじゃん」
「なんだろうね?僕も分かんない」実弦はモグモグとお弁当を食べ始める。「食べないの?」と志乃のお弁当を見た。
「うーん。なんか食べる気しなくて」志乃はお弁当が入っている巾着の紐をいじくった。
「珍しいね。ど、どうしたの?」
「いや…。最近あの2人の仲が悪くてさ。ピリピリしてるんだよね。そのせいでお弁当の味がしなくて…。今日は実弦がいるから平気だと思うけど」
「そうなの?なにかあったの?」首を傾げる。
志乃はケンカになりかけた話をした。あの時から気まずい空気が将次郎と一樹の間に流れていて、昼食の時間は集まってもヒヤヒヤしながら食べていた。
「それは大変だったね」実弦は労った。
「もう嫌になる」志乃は実弦の肩に頭を乗せた。一樹が腕を回すように、実弦に頼りたくなった。なるほど確かに。硬すぎず柔らかすぎず、実弦の肩は寄りかかるのにちょうどいい。
「実弦の側にいると落ち着くよ。実弦の空気はあたしを傷つけないから」心地よさに志乃は本音を吐いた。
「ど、どういうこと?」実弦はチラリと志乃を見る。彼女がこんな風に寄りかかってくることも、弱音を吐くことも初めてだった。
「一緒にいて楽ってこと」志乃は秋風を吸い込んだ。
「僕も志乃ちゃんといると落ち着くよ。言葉も出やすいし」実弦はおかずを口に入れた。「心強いなっていつも思ってる」
「そりゃどうも」ふっと笑う。
「みんなもそう思ってるんじゃないかな?将次郎くんも一樹くんも他の人も、志乃ちゃんを傷つけようだなんてお、思ってないよ。みんな志乃ちゃんのこと大事に思ってるから」
「そうか?」志乃は頭を上げる。「あたしは……。あたしが何か間違ってんのかな?」
「ん?」実弦は志乃を見つめる。
「いや…」少しためらった。「実弦はあたしが男だったらって思う?そのほうが友達として接しやすい?」不安になって思っていたことを尋ねてみた。
「ううん」彼はすぐに否定した。「志乃ちゃんが男の子だろうと女の子だろうと変わらないよ。ど、どんな志乃ちゃんでも僕を守ってくれただろうし、どんな志乃ちゃんでも、僕はこうして友達になってたよ?」
「ん」その言葉に安心感を得られた。どんな姿形、性別でも実弦は仲良くしてくれる。対等に接してくれる。
「ありがと……。なんか実弦、頼もしくなったよな」志乃は感謝と寂しさを笑顔に表した。
「そ、そうかな?」実弦は褒められてえへへと笑う。
「おい」将次郎が来た。志乃の隣にドサッと座って大きく息をつく。
「なに?走ってきたの?」息切れを起こしている将次郎を見て志乃は尋ねた。
「あぁ。食う時間なくなるだろ」将次郎は自分のお弁当を広げながら、志乃のお弁当に目を落した。「食わないの?」
「あ、うん。食べる」志乃はなんとなく将次郎がソワソワしているように見えた。
3人でお弁当をつついていると、一樹がやってきた。
「お、今日は全員集合か」と言いながら実弦の隣に座る。
「遅かったね。一樹くん」実弦が言う。「せ、先生なんの用だったの?」
「力仕事だよ。文化祭で使ったやつ運んでたの」ふわぁっと欠伸をすると、ペットボトルのお茶を開けて飲み始めた。
「なんだ。お説教じゃなかったんだ」志乃が言う。
「あったり前だ。いつも怒られてると思ってたら大間違いだぞ」パンの袋を開けて齧る。
「え、偉いね」実弦が褒める。
「だろー?」一樹は自慢げに笑う。
「褒めるなよ実弦」将次郎が言った。「ヤンキーが猫助けただけですごいって言われてるのと同じだぞ」
「俺ヤンキーじゃねえし」一樹はブーブーと口を尖らせた。「やればできる子だから俺」
「知ってるけど」将次郎は呆れた。「なんでやらないかね」
「えー。だってなんでもできちゃったらつまらないだろ?」
「一樹くん、なんでもできるもんね」実弦がクスクスと笑う。
いつものやりとりに志乃はホッと胸をなでおろした。やはり実弦がいるといないでは大きく違う。
ぺちゃくちゃとお喋りをしながら昼食を食べ終え、幼馴染たちは中庭をあとにした。一樹と実弦は6組の教室へ。志乃と将次郎は1組の教室へ向かう。
将次郎は志乃と廊下を歩いている最中、彼女の様子を伺っていた。
「なに?さっきから」志乃は気付いた。
「いや…」将次郎は志乃のブレザーの襟を見る。目立たないが、うっすらと紫がかったシミが残っていた。
「落ちなかったのか?それ」とシミを指す。
「ん?」志乃は襟を見る。「あぁ。うん。クリーニング持って行ったんだけど、ちょっと時間かかりますよって言われたから、冬休み中に出そうかなって」
「それじゃますます落ちなくないか?」冬休みまで1か月はある。
「うん。でも土日だけじゃ間に合わないよ。3日くらいかかるらしいから」志乃は不貞腐れた。「ブレザー着てなかったら注意されるし」
「事情を話してジャージとか着させてもらえよ」変なところで真面目だな。スカートの下にジャージを履こうとしていたのに。
「う~ん。でもそんなにこのシミ目立たないし、気にならないだろ?」志乃は将次郎を見上げた。
「ならないけど、」眉を寄せる。「俺は気になる」マーキングされたみたいで。
「ジョージみたいな性格のやつはな」志乃はケタケタと笑った。
「そうじゃなくて」将次郎は立ち止まってギュッと拳を握った。「志乃さ」
「なに?」志乃も止まる。
実弦の顔が頭に浮かび、言葉が喉につかえた。志乃が世話を焼くのはあいつが好きだから?ああいうのが好みなのか?世話を焼かれるより焼くほうがいいのか。それともただ頼りないあいつを守ってるだけ?じゃあさっきなんで……。
同じクラスの生徒が近くを通った。
「……なんでもない」こんなところで、そんな質問ができるわけない。それに一瞬でも実弦より俺の方が、と思ってしまった自分が嫌になった。
「なんだよ」志乃は話してみろよと呆れた。
「…あのさ、」将次郎は周りを見回し、生徒がいなくなるタイミングを待ってから口を開いた。
「クリスマス空いてるか」ボソッと尋ねる。
「え?」志乃は面食らった。「クリスマス?」
「そう」真剣な目を彼女に向ける。
「……分かんない。バイトのシフトがまだ出てないから」また2人で出かけようと誘われるんじゃないかと志乃は身構えた。
「休めんの?」距離を詰める。
「うーん…」迷って目を泳がせた。「聞いてみないと…。なんかあんの?」
予鈴が鳴り響く。
「クリスマスの予定聞かれたら分かるだろ」指先が熱くなるのを感じながら教室の方を見た。「決まったら教えて」と言いながら歩き出す。
「あ、うん…」志乃は呆然としながら機械のようにぎこちなく教室へ向かった。
ホームルームの間、志乃は抜け殻のように過ごした。やはり将次郎はそういう意味で自分を誘ったのだろうか。自暴自棄みたいな感じになって他っぽいけど、あたしの思い過ごし?
文化祭の総括もそこそこにホームルームが終わると、本日の授業は終了となった。
将次郎は部活へ行くため教室を出る。志乃はダラダラと鞄に教科書を詰めてから教室を出たが、廊下に江見澤結がいた。
「志乃ちゃん」江見澤が言う。
「あ、どうした?」志乃は教室の中を見た。「井浦ならもういないぞ」また小説の感想を渡しに来たのかと思った。
「ううん。井浦さんじゃなくて志乃ちゃんに用があるの」深刻な顔をしている。
「あたしに?」なんの用だろうと驚く。「なに?」
「ちょっといいかな。ここじゃ話し辛くて」江見澤は志乃の手を取るとずんずん歩いた。志乃はそれに付いて行く。
2人は幼馴染たちが昼食を摂っている中庭のベンチに着いた。
「あのね」江見澤は誰もいないのを確認してから志乃の手を離す。「今日の昼休み、柏木くんとここでお弁当食べてたでしょ?いつもみたいに」とベンチを指す。
「あぁ」志乃はベンチを見る。「それが?」
「……柏木くんの肩に寄りかかってたよね?」江見澤は不快感をその声に乗せた。
「そうだけど…」嫌な予感がした。「見てたの?」
「うん。たまたま見かけて。……どうして?」
「どうして?」声が裏返る。
「いつもそんなことしないよね?どうして今日は寄りかかったの?」
「いや…。リラックスするため…?」志乃は気まずくなって身じろぎする。
「本当に?変な意味じゃなくて?」
「うん。ただ一樹みたいに寄りかかっただけ…だけど…」志乃は江見澤から目を逸らした。
「あのね」江見澤は責めるように言った。「2人が幼馴染で友達だっていうのは分かってるし、一緒にお弁当を食べるのもいいけど、あんな感じでベタベタするのはやめて欲しい」
「え」太い針で突かれたような衝撃が胸に走った。「それは…」
「うん」江見澤は顔を紅色に染める。「私…。柏木くんのことが好きなの。だからいくら志乃ちゃんでも、もうあんなことするのはやめて欲しい」
「あ…」バラバラと何かが壊れる音が志乃の耳の中で聞こえた。「うん…。分かった。ごめんな」
「ううん。ただ、友達として柏木くんに接して欲しいなって思っただけだから…」江見澤は申し訳なさげに微笑む。「ごめんね。急に呼び出して。じゃあまたね」
「うん」
江見澤は去って行った。
志乃はひとり、力なくベンチに座り込む。そうだよな。好きな人が他の人とベタベタしてるのは嫌だよな。普通の女の子ならそう思うはず。男と女なんだから、友達ごっこなんてしないよな。
持田も橘も江見澤も、今までの女の子だってみんなそう。井浦の言う通り、男女の友情なんて成立しないのかもしれない。気を付けてはいたけど、あたしだけが幼稚だった。あたしだけが男女の友情関係は成立すると思ってた。やっぱりあたしがおかしかったんだ。




