幼稚園
どの子供も小動物のように辺りをキョロキョロと見回し、小さな椅子に座って足先をスイングさせ、爪を噛み、髪を触り、服の裾をいじくり回す。
そんな落ち着きのない3歳児たちの入園式で、幼馴染4人は出会った。偶然横並びの席になり、一番端に実弦、その隣に志乃、将次郎、一樹と座っていた。
柏木実弦は白いシャツにアーガイル柄のセーター、半ズボンという服装で泣きべそをかいていた。彼は生まれつきの人見知りで、1秒でも母親と離れると泣きじゃくるような男の子であった。
何かにチャレンジするということは滅多になく、一人っ子で兄弟喧嘩をした経験もないため非常に穏やかで優しい性格をした子供だった。幼稚園などには行きたくないと反抗すらできなかったため、入園式の今日も仕方なく連れてこられた。
最初は我慢していたが、どうしても涙が溢れてくる。静かにしゃくりあげながら、何度も後方の席にいる親の方を振り返った。その顔は、永遠にここに座っていなければならないのか、とでも言いたげだった。
上松志乃はそんな様子の実弦を気にしていた。白のワンピースに淡いピンクのカーディガン、リボンのついた白い靴下を履き、生まれてから一度も切っていない髪を頭の高い位置でふたつ結びにしていた。
上松家には既に12歳と11歳の男の子がいた。男の子2人でも幸せに暮らしていたのだが、父親がどうしても女の子が欲しいという気持ちを捨てきれなかった。母親はその気持ちを汲んで3人目を妊娠。女の子を授かった。
志乃と名付けられたその子は、生まれた瞬間から父兄に溺愛され、上松家の宝物として大事に扱われた。
そんな愛情を受けた志乃は自分を可愛いと信じて疑わず、自分がこの家で一番だとも思っていた。それでも男3人の甘やかしにストップをかけた母親のおかげで、傲慢な女王様気質にはならず、天真爛漫で明るい笑顔が似合う女の子となった。
元々誰とでも仲良くなれる資質を持っており、他人に優しい子だったので、隣の席でメソメソと泣いている実弦を志乃は放っておくことができなかった。
「どうしたの?」志乃はそっと尋ねた。
実弦はチラリと志乃を見ただけだった。
「ねぇ。大丈夫?」優しく話しかける志乃。
「う、うん」実弦はコクリと頷く。「マ、ママ…」
「ママがいなくて寂しいの?」志乃は後ろを見た。自分の両親はすぐに見つけられたが、この男の子の両親がどれだか分からない。「ママはどこ?」
「わ、分か、ん、ない」実弦はグーにした手で涙を拭う。
「大丈夫だよ」志乃はキャラクターもののハンカチをポケットから取り出すと、実弦の顔をぐいっと拭いてやった。
「うぅ…」実弦の頬がほんのりとピンクになる。
「すぐに会えるよ。それまであたしがいるから。大丈夫だよ」志乃は彼が落ち着くまで声をかけ、肩や背を優しく撫で続けた。
実弦は見ず知らずの女の子に動揺しつつも、志乃の母のような優しさに安心感を覚え、徐々に涙の数を減らしていった。
「ねぇ。これ落ちてたよ」少しすると、志乃の反対隣りに座る将次郎が何かを拾い上げ、彼女に見せた。
中尾将次郎は黒っぽい子供用スーツに青いシャツ、赤のネクタイを締めていた。
彼は厳格で気品ある両親のもとに生まれ、3つ上に兄がいる次男坊だった。甘々な末っ子ポジションではなく、自立心と正義感が強くて他人の面倒も見られる賢い性格。家族や友達、仲間には気を配る優しさも持っていた。
「え?」志乃は将次郎の方を振り返る。彼の手には小さなリボンが乗っていた。「あ!あたしのリボン!」
靴下を見ると確かにリボンが取れていた。志乃はそのリボンを受け取ると「ありがとう」と笑顔で将次郎にお礼を言う。
「い、いいよ」将次郎は目を逸らした。彼には志乃が絵本の中に出てくるお姫様のように見え、その幼心に彼女への淡い恋が芽生えた。
志乃はリボンをポケットに入れると実弦を見た。実弦をあやすことに集中していて、将次郎の恋心には気付くはずもなく、ただリボンを拾ってくれた優しい男の子だと思っただけだった。
「ねぇ、お名前はなんて言うの?」志乃は実弦に尋ねる。「あたしは上松志乃」
「か、か、柏木、み、実弦」声を詰まらせて答える。彼はこの頃から吃音の症状が出ていた。
「実弦くん?よろしくね」志乃は手を差し出した。
恐る恐る実弦はその手を握って握手する。
「どうしたの?」将次郎が体を折り曲げて2人の顔を覗き込んだ。
「緊張してるんだって」志乃が代わりに説明する。なんとなくママを探していると言わない方がいいと思った。「この子は柏木実弦くんって言うんだって。あたしは上松志乃。あなたのお名前は?」
「中尾将次郎」姿勢を正して答える。
「ジョージ?」志乃は首を傾げる。
「将次郎!」好意を持った女の子に聞き返され、将次郎は少し怒ったように言い返した。
「ふーん。あたしのお父さんね、ジョージ・マイケルって歌手が好きなんだよ。あとはね、ビールトズ?ってバンドも好きだし、あとねぇ、えっと、ジャクソンファーブも」手を広げて5を示しながら、志乃は舌足らずに説明した。
「なにそれ?」聞いたこともない言葉に戸惑う将次郎。
「歌を歌ってる人だよ。日本の人じゃないの」志乃は得意気になった。
「ふーん」と感心しつつも、将次郎は口を少し尖らせた。
「ジョージロウは日本の人?」
「ジョージロウじゃなくて将次郎だよ!」
「おい!なに言ってんだよ!」口を挟んできたのは、将次郎の反対隣りに座っていた久保 一樹だった。
一樹は白いシャツに紺のセーター、チェック柄のズボンを履いていた。この時点では実弦と同じ一人っ子だったが、実弦とは真反対の性格をしていた。
負けず嫌いで大雑把。チャレンジ精神旺盛でよく動き回り、親の話など全く聞かない王様タイプ。グイグイと相手の懐に突っ込んでいくやんちゃ坊主だった。
「なんか泣いてるから」将次郎は一樹に責められたと思い、ちゃんと理由があったんだと実弦を指した。
「そんなの分ってるよ」泣いている実弦に今気づいたの?とでも言いたげな将次郎の表情に、一樹はカチンときた。
一樹は誰よりも先に実弦が泣いていることに気付いていた。気付いてはいたが声をかけるには少し遠く、なんと言葉をかけてやればいいのか分からずソワソワしていた。
どうしようかと悩んでいるところに、志乃が代わりに気付いて声をかけてくれたのでホッとした。しかし、自分が真っ先に実弦に気付いていたんだぞ、と主張するために3人の中に入って行った。
「なんで泣いてんの?」一樹は荒っぽく聞いた。
「緊張してるんだって」横柄な態度の一樹に将次郎は眉をしかめる。
「ふーん」体を曲げて実弦の顔を覗き込んだ。緊張したくらいで泣くなんて変なやつだなと思った。「泣くなって。大丈夫だよ」と実弦に話しかける。
「そうだよ」将次郎も負けじと言った。「こんなの座って待ってればすぐに終わるよ」将次郎も言った。
「う、うん…」実弦は男の子2人の勢いに戸惑った。
「ねぇ、お名前はなんて言うの?」志乃が一樹に尋ねた。「あたしは上松志乃。この子は柏木実弦くんだって」
「おれは久保一樹!」威張った態度で自己紹介する。
「よろしくね」志乃はそんな一樹にも笑顔を向けた。
一樹は志乃を笑顔の可愛い女の子だなと感じた。それは将次郎のような恋心ではなく、優しい子だと好感を持った程度だった。
これが幼馴染4人の出会いである。このときはただ同じ幼稚園の子と認識していた。小さい子特有の、みんな仲良しという気持ちで接しており、お互いに強い友情を感じているわけでもなかった。
だがこの最初の繋がりがそれぞれの胸の中に残っていたため、在園中はなんとなく4人で過ごすという機会が幾度かあった。それを周りの大人や子供たちに目撃され、男の子3人と女の子1人という組み合わせもあって、あの4人はいつも一緒にいて仲良しというイメージが付いてしまったのだった。




