1-10
6月に入ると志乃は軽音部を辞めた。代わりに放課後にバイトを始めようとしたが、案の定過保護な父親に反対された。
志乃はそれでも折れることなく反抗し続け、週3日で16時から20時までバイトする許しを掴み取った。家の近所にある飲食店で働き始め、そこの人間関係は良好だった。
同じく一樹も深夜にでも働こうかとバイトを探した。しかし高校生を深夜バイトで雇ってくれる所などどこにもないため、仕方なく土日のみ服屋でバイトを始めた。
志乃たちの通う高校は1年生と3年生だけ6月の末に体育祭があるので、その練習も始まった。体育祭といっても競技の数は少なく、今年はクラス対抗リレーと部活対抗リレー、玉入れの3つのみだった。
クラス対抗リレーでは、男女それぞれ4人がクラスを代表して走ることになっている。5月の体力測定で行った50メートル走の結果から、志乃が2組の女子リレーメンバーに選ばれた。4組の男子では一樹が選ばれ、将次郎と実弦は部活対抗リレーの方に参加することになった。
体育祭当日。広いグラウンドに1年生と3年生、観に来た保護者が集まった。生徒たちはトラックの周りに椅子を並べてクラスごとに座る。保護者は保護者エリアから観戦。来賓や救護のための大きなテントも3つほど設置された。
よく晴れて汗がにじんでくるような気温の中、全生徒は指揮台の前に整列する。校長先生の長話を聞き届けたあと、体育祭実行委員の生徒が開会宣言をする高らかな声がグラウンドに響いた。
生徒たちが自席に座ると、クラス対抗リレーが始まった。まずは1年生がトラックに登場する。ひとり半周で、1組から7組までそれぞれ4人の走者がスタート地点に向かった。男子から走るため、一樹も最終走者の場所に立つ。女子は次のレースに備えてトラック内で待機していた。
第一走者がスタンディングの姿勢でスタートラインに揃うと、指揮台に生徒会長が立った。片耳を塞ぎながらピストルを頭上に構える。位置についての掛け声のあと、グラウンドが一瞬シンと静まり返り、乾いた破裂音がその静寂を破った。
大声援の中、高校生たちは走り出す。足に自信のある男子生徒たちは目にもとまらぬ速さでトラックを半周した。次々に先頭が変わり、あっという間にバトンが次走に渡る。
4組も抜きつ抜かれつを繰り返しながら、一樹にバトンが渡った。一樹は持ち前の運動神経の良さと足の長さを活かし疾走する。ひとりひとり着実に前を走る生徒を追い抜いて行った。
そして、クラスや幼馴染たちの声援もあって、見事ゴールテープを切ることができた。一樹は余裕の表情で笑いながら周りの歓声を受け取る。
間髪入れずに女子のリレーが始まった。志乃は第一走者を任されていたため、スタート位置に着く。
「志乃―!頑張れー!」といういくつもの声が志乃の耳に届いた。それは同じクラスの仲間や両親だけでなく、将次郎や一樹の声も含まれていた。
中でも先に走り終えていた一樹が場所的に志乃に近く、さらに彼の声は大きいので一番目立った。それは3番手を任されていた4組の持田にもよく聞こえた。
志乃は深呼吸してからスタンディングスタートの姿勢で合図を待つ。手にうっすらと汗をかいていたので、落とさないようにしっかりとバトンを握りしめた。
大きな破裂音がグラウンドに鳴る。すぐさま志乃はゴムで弾かれたように走り出した。歯を食いしばって足を素早く回転させる。ほんの数秒で半周を走り、最後の数メートルは2位の走者と競り合った。だが大声援が彼女の背を押し、無事に1位で第二走者にバトンを渡すことができた。
志乃は息を切らしながらトラックの内側に入る。そして自分のクラスを応援した。第二走者も気張り、1位のまま第三走者にバトンが渡る。2位は4組だった。
バトンを受け取った第三走者の持田は、2組なんかに負けたくないと全速力で走った。しかし気持ちだけが空回りしてしまい、途中で足がもつれて転んでしまった。彼女は顔を赤くさせながらすぐさま立ち上がる。俯きながらもしっかりと走り切って最終走者へバトンを渡した。
「おい、大丈夫か?」志乃は持田に駆け寄る。
持田はヒョコヒョコ足を引きずりながら歩いていた。
「膝、擦りむいてるぞ」と血が出ている持田の膝を心配する。他の走り終えた女子たちも心配して近寄ってきた。
「平気」持田は恥ずかしさと悔しさで最悪な気分になっていた。何度も前髪を直してソワソワする。
「救護テントに行こう」志乃は肩を貸そうとした。
「いい。やめて」無情に志乃の手を払う。
志乃は唖然となった。助けようとしてるのになんで?と思ったが、持田の真っ赤になった顔を見て、手を貸されるのは嫌なのかもと思い直す。
「大丈夫か?もっちー」一樹が来た。いつの間にか女子のリレーは終わっていて、2組が1位を取っていた。
「ケガしてんじゃん。救護行く?」一樹は持田の膝に気付いて、志乃と同じように肩を貸そうとする。
「うん。行く」持田は頬を赤く染めたまま一樹の腕に頼った。
志乃は頭の中でハァ?と大声を上げ、眉をしかめる。そっちは頼るのかよ。……そりゃ知らない奴より好きな男の方がいいんだろうけど。
2人はゆっくりと救護テントの方へ歩いていく。
不満だったが志乃は何も言わずに自分のクラスへ戻った。1位になったことを仲間たちと喜び合い、自席に座る。
「お疲れさま」隣に座る井浦が言った。
「あぁ」志乃は救護テントの方を見る。持田が手当てを受け、その横で一樹が見守っていた。
「どうしたの?」井浦は志乃の視線を辿る。
「なんでもないよ」志乃はトラックに目を戻した。3年生のクラス対抗リレーが始まろうとしている。
「そう?」気になったがそれが何なのか井浦は掴めなかった。「…ところで、あそこにいるの親御さん?」と保護者エリアを指す。
「え?」志乃は指の先を見た。確かに志乃の両親が最前列にいる。「うん。そう」
「一番大きな声で応援してたから。特にお父さんが」井浦はふふっと笑う。
「うぇ」志乃は顔を歪めた。「も~。恥ずいことすんなよな」
「いいじゃん」寂しさを見せ隠れさせながら、井浦は志乃の両親を見つめた。
「あんたの親は?来てないの?」志乃は尋ねる。
「来てないよ」影のある瞳で志乃を見る。「仕事だって」
「へぇ…」こんな美少女の親は一体どんな人なんだろうと興味が湧いた。「なんの仕事してんの?」
「う~ん」井浦は困った顔をする。「母は…。薬剤師」
親なのに他人の話をしているように聞こえ、志乃は少し引っ掛かりを覚えた。「父さんは?」
「父は…。いないの。シングルマザーだから」ピストルの音が聞こえた。
「あ、そうなんだ」井浦冬舞の見た目や雰囲気からして、お金持ちの両親に大事に育てられたのかと思っていた。
「なんかごめん」志乃は申し訳なく思った。
「いいよ。ずっと母と2人だったから、今さら気にしてないし」井浦はケロッとしていた。
「そっか」
3年生のリレーが終わり、部活対抗リレーに移った。走者は学年関係なく出場できる。圧倒的な差が出ないよう文化部と運動部でチームを組み、交互にバトンを繋いで走ることになっていた。
男女差のことも考えて、女子の多い部活は男子のみの部活と組む。毎年同じ組み合わせにならないよう変更していて、今年は陸上部と美術部がチームになった。
陸上部には北島、美術部には実弦が走者の1人として走る。もちろん将次郎も剣道部で走り、チームには演劇部の江見澤がいた。
部活リレーがスタートするとグラウンドは大声援に包まれた。志乃と一樹も大声で応援する。
実弦は亀足だったが懸命に走り、ほぼ最下位で次走の北島にバトンを渡す。北島はご自慢の脚力で他の運動部をごぼう抜きにし、上位に着いた。
将次郎も下位を走っていた演劇部の先輩からバトンを貰うと、その俊足で上位に上がり、江見澤にバトンを渡す。
結果は、1位がサッカー部とコーラス部。2位は野球部と茶道部。3位は陸上部と美術部となった。将次郎と江見澤がいる部活は惜しくも4位だった。
大盛り上がりのリレー競技が終わると昼食タイムになり、その後は全員参加の玉入れが始まった。やる気のない子供たちによる玉入れはまずまずの盛り上がりを見せ、体育祭は終わった。
この日は部活もないので、幼馴染たちは久しぶりに一緒に帰ろうかとなった。しかし一樹だけは加わらなかった。
「ちょっと、もっちー送っていくわ」一樹は3人に軽々しく言うと、持田と共に去っていく。
ケガをした友達を送っていくなんて、一樹くんは優しいなぁと実弦は思った。
志乃は、中学の頃からそんな様子を見せていた一樹が、ついに彼女持ちになるのかと考えた。チラリと将次郎を見上げると目が合う。
「…帰るか」将次郎もそれを感じていた。空気を読んで2人に声をかける。
「うん」志乃たちは一樹と持田の背を見送ったあと、帰路についた。
当の一樹は、俺がいつも女子とどう接しているかあの3人なら分かってるだろうし、まさか俺たちが付き合ってるだなんて思わないだろう、と気にしていなかった。
持田から送って欲しいと縋られたときは、正直少し面倒くさい気持ちが湧いたが、断り切れなかった。彼女を友達以上には見られない。だけど無下にはしたくなかった。
だから一樹は楽しげに話す持田の隣をゆっくりと歩きながら、彼女に調子を合わせていた。
一樹は人付き合いのいい性格で、特に女子には優しく接する。本心ではそう思っていなくとも、甘い言葉や態度を取ることがあった。それで相手が喜んでくれるならと己の言動に罪悪感は抱いていない。なのでその外見も相俟って、一樹に恋する女子は沢山いた。
それは持田も例外ではない。一樹がいつまでももっちーと呼ぶのには疑問を抱いていたが、「もっちーの方が可愛いじゃん。小動物のキャラみたいでさ」と言う一樹に悪い気はしなかった。
むしろ自分をそんな風に見てくれてるんだと舞い上がっていた。幼馴染の志乃よりも自分の方が扱いが丁寧だし、外見だって自分の方が可愛い。今だって楽しそうに話しているし、わざわざ家まで送ってくれてる。
そんな特別感に持田は増々気持ちが昂り、絶対に一樹と付き合えると思っていた。




